泣き濡れていたのさ この世の終わりでさ

自分が書く文章すべてが好きだ

noteで書いたもの

メモ帳に高校生時代から書いてたもの

たくさん残してる

たまに見返している

友達に書いた手紙さえ、最近は何度も読み返す

病気かと思って調べたら

インターネットナルシストと
書いてる人がいた

前にツイッターをやってたときも
 
3秒に一度呟いていたうえに

自分のツイートが好きで定期的に見返していた

こんなこと誰にも言えなかった

なんかしらないけど
引かれそうだし。

でも大好きなんだよね

過去の自分の文章に励まされることも、私もたまにある。

自分が一番自分の理解者だから、

当たり前なのかな


この間、

『何者』って本読んだ。

頭からずっと主人公のことが好きじゃなかった

そしたら最後に主人公の化けの皮がはがされ、この小説の最大の悪者が主人公になった。

「やっぱり、、。そうだよねえ。」
と読んでいたら、

「あんた自分のツイート大好きだもんね!どうせたまに読み見返したりしてるんでしょ?あんたにとってあのアカウントはあったかいふとんみたいなもんなんだよ。」

って主人公が言われた。

はっとしたよ。
自分じゃん、って。

自分も匿名でツイッターやったら
誰でも見れる設定にするし
好き勝手3秒に一度呟く。
そしてたくさん見返す。

でもさ、

「書きたいことが人の悪口とかじゃないことは救いだと思っていいよね?」

そう、これが今日言いたかったこと。

おんなじことしててもさ、

人を傷つけなきゃいいよね!
私は善ってことでいいよね?!

ってことを言いたかった。


どうか、そうであってほしいけど


ツイッターをやめた今

どんな状況でも思ったこと考えたことをすぐ立ち止まってメモに書き残すのをやめた今

「あのときよりは心が健康だなと思ってる。」

あまりにネガティブな自分の中に入っていく行為

ポジティブとネガティブを同等に考えて「あげなきゃ」と思っていた時

私は一生幸せになれないと信じていた

未来に光とか希望とか、はたまた、「生きたい」という感覚を本当に持っていきている人間など一人もいないと信じていた。

そんなこと言う人たちはみんな偽善者たちなんだと心から思っていた。

孤独だったと思う

信じられるのも最後に頼れるのも自分しかいなくてさ
その自分がこの世で一番頼りなくてさ

泣き濡れていたのさ

この世の終わりでさ









ネガティブを無視することは悲しいことだ
でもポジティブとネガティブが同じ量あったとき、なぜか、ネガティブよりポジティブは弱くて、すぐネガティブ側に吸収されて、しばらくすると、数個は消滅してしまってる。だから私は、ネガティブの方が多かったと今日を感覚的に思い返す。そして一言で今日は悪い日だったなと、まとめる。 

だから本当はポジティブこそ必死に探してちゃんと見てあげるものなのだと思う。思い出せなくなる前にネガティブのなかから汲み取って救い出してあげるものだと思う。


以上。




この文章も3回は読み返した

今後もなん十回と読み返すだろう。




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