ピエール・バイヤール著、大浦康介訳『読んでいない本について堂々と語る方法』①
一部しか目を通していない本のことを紹介していたら「嘘」になるだろうか?
なまじ図書館勤めをしていたためか、「お勧めの本を教えてください!」とよく聞かれる。共感してくれる図書館員も多いと思うのだが、この話題、結構困るのである。ほぼ初対面の相手にお勧めを提示するのは難易度が極めて高い。そもそも「お勧め」の名の元に自分の趣味を押し付けてよいか迷うし、真面目に答えようと思ったら、まず相手のニーズや趣味傾向を読み取り、分析した上で、なるほど、だったらこういうのもお好きかもしれないですね?と勧めたくなる。聞いている方はもっとカジュアルに聞いているはずなのに、答える方が重めに構えてしまうところが、常にある。
大学に移ってから、学生さんから、それも本を読むのが比較的苦手だと主張する学生さんたちから、「自分も大学生になったんで、何かしら読もうと思うんですけどお勧めはありますか・・・?」という質問を幾度となく受けてきた。これには答えねばならぬと思った。そして、何が良いかと色々考えてみたところ、掛け値なしでお勧めできる本として、まずバイヤールのこの本を推すべきだという結論に至った。理由はおいおい述べるとして、まず、何かを読まねばならない、という強迫観念から自由になるのに、この本はうってつけだからだ。
「読んでいない本について堂々と語る方法」。ふざけているように見えて全然ふざけていない。読書と教養についての思考を確実に深めてくれる一冊だ。図書館の機能についても考えさせられる話。「学生時代に出会えたらよかった」と思える本であり「大学生として読むことに損はないから、どうしても最初の一冊が決まらなければこれを読むと良い」と授業でも言っている。
著者が示しているのは、例えばこういう問題だ。ある文字のまとまりを、冒頭から最後まで、目で追いかけて最後の行までたどり着いたら、その本を「読んだ」ことになるのだろうか?何が書いてあったかさっぱりわからないけど、一応終わりまで行った本があるとして、自分はそれを読んだと堂々と人に語れるだろうか??
挑発的ともいえるけれど、こうした難しさと同時に、著者は読書をめぐって3つの「暗然たる強制力を持つ規範」について述べている。
3つの規範は読書義務、通読義務、語ることに関する規範。読書義務というのは、読書=神聖なものと見なされ、神聖とされる本を読んでいなければ人に軽んじられるということである(そうした社会は滅びつつあるが、それでもまだ私たちはその社会に生きている、ということ)。通読義務は本は最初から最後まで全部読まなければいけないという観念。飛ばして読んではいけないし、流して読むのは読んでいないのと同じくらいいけないことだし、それを口外するなんてもってのほかという規制。本について語ることの規範については、本について多少なりとも正確に語るためには、その本を読んでいなければならないという考えがあるというわけだ(pp.11-12)。
本なんて好きな人が好きなように読んでればいいと思えば、世の中に「読書マウント」みたいな不思議な言葉は存在しなくなるのだと思うが、こういう勝手に人が頭のなかで作った規範は確かに一定程度あるように思う。
しかし考えてみれば、友達や家族を「理解している」と思ったとしても、生まれてから大人になるまで四六時中一緒にいるということはできない。最初から最後まで付き合えないと、その人について理解したことにならないのだとしたら、理解するとはなんと大変なことか。ましてその人について語るということはどうか。そもそも多くの人が、会ったことすらない政治家やスポーツ選手や芸能人の性格について、公共の空間で議論してたりするじゃないか。
「私の経験によれば、読んだことのない本について面白い会話を交わすことはまったく可能である。会話の相手もそれを読んでいなくてかまわない。むしろそのほうがいいくらいだ」(p.12)と著者はいう。
「読んだ」「読んでいない」の問題を突き詰めていくと、本とどういう付き合い方をするのが良いのかという問題にたどり着く。著者の考察も、そこから展開していく(つづく)。