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クリスマス前、ほぼペンネームにする。
ペンネームをつけることにした。呼ばれ方は今までと変わらず「つじー」で大丈夫な名前に。どうして今さらペンネームをつけることにしたか、本名で生きることのむずむず感を書き残しておく。
1.やっぱ漢字でしょ
ペンネームをつけることにした。漢字の名前だ。辻井凌。僕が普段呼ばれている「つじー」と引き続き呼んでもらえるような名前である。
趣味であろうと文章を書くにあたって漢字の名前が欲しいとずっと思っていた。ペンネーム、特に漢字のペンネームはあこがれである。
まずペンネームという響きがいい。なんだか「書いている」という感じがする。
そして何よりも、僕が読んでいる数々の本の著者は漢字が多い。もちろんひらがなもいるけど多くは漢字だ。だから自分も名乗るなら漢字がいいなあと漠然と思っていた。
2.最近、本名で生きている気がしない
なぜ本名じゃないのか、という話もしておく。いくつか理由があるが、その中の一つに最近自分が本名で生きている時間が少ないような気がしていることがある。
今の僕の交友関係で、本名のみを知っている人はほとんどいない。仕事の関わりか家族ぐらいだ。
あとは「本名から知ったが、つじーのことも知っている」か「つじーから知ってが、本名のことも知っている」か「つじーのことを知っている」だ。
この関係性の中で生きていると、本名メインで生きている場面でなんだかふわふわした感覚になる。
自分は表裏があまりないと言われることが多い。たぶんそれは事実だと思う。話す内容や口数は違えども、仕事でもプライベートでも振る舞いにそこまでオンオフがない。
大元は変わらないけど、本名でいるときの自分は自分っぽくない。そんな気がしてしまう。「つじー」でいるときの経験が年々濃くなって、自分の中の「つじー」領域がどんどん大きくなっているのかもしれない。
別人格ではないけど、一緒にするとむずむずする。本名と「つじー」のクッションになるのがペンネームなのではないか。そんな気がしている。
そして、せっかくつけたからには、来年はもっともっと文章を書き残していきたい。そんなことも思うのである。今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
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