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「本来性」に創造のための場所はあるか

 早寝早起きのリズムが回復されて、朝に瞑想し、夜に走る生活が戻ってきた。ウ・ジョーティカ師のビルマ語著作に『気づきという家』というものがあるのだが、一日の最初を坐ることからはじめると、まさに帰宅したかのような落ち着きを感じることができる。ただ、その安堵感は同時に私の心のある種の熱を冷ますものでもあるから、そこで生ずるバランスの問題に関しては、これまでもずっと考え続けてきた。

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