私頑張らないので! 北海道に行くぞ宣言
ドクターX(私失敗しないので)と同じくらい、この「私頑張らないので」を私の代名詞と言えるくらいに連呼したいなと思う。
私は4年前(と書いてて時の流れに震える)うつになり、頑張ることをやめた。
それまではがんばるofがんばる、おまけでがんばる! な人生だった。
勉強も大嫌いな体育も肌に合わない集団生活も友達付き合いも全部頑張った。
日記の最後はいつも、「頑張ります」だった。
頑張る頑張る言いすぎて、先生からのコメントで「そんなに頑張らなくても!」と来たので「頑張らないように頑張ります」という変な頑張りを発揮する始末。
小中の義務教育を気付かぬうちに心をボロボロにして終えて、勉強を頑張って入った市内トップの自称進高校に入った途端糸が切れた。
私はもう頑張れないんだと知った。
これまで頑張りすぎていたことも。
人生そんなに頑張らなくてもいいことも。
この4年間で成し遂げたことはマジで何も無い。
変化といえば4年で通算10キロほど太っただけ(数値化すると現実味があってやばい)。
同世代が青春やら受験勉強やらバイトやらしてる間も私は寝て寝て寝てスマホ見てTwitterしてYouTube見て心療内科行って犬の散歩して……とまあ単調な色のない世界を生きてきた。
毎日てきとーに昨日と同じように生きてたら4年過ぎてた感じ。こわい。
一応インターンをしてみたり(2ヶ月で辞めたけど)市の起業コンテストに出てみたり(負けたけど)国会議員と車座対話する会に若者代表で行ったり(ヤフコメめちゃんこ荒れてたらしい)と躁鬱で言ったら躁の時にノリで行動しているのだけど、全部無意味に終わってるとしか言えない。
むしろそこでエネルギー全部使ってうつがひどくなってまた病み期に入ってるのでマイナスに近い。
成し遂げたこととして通信制の高校を無事に卒業したけれど、特に真面目に勉強はしてないので血肉になっておらず、きっと学力は中学修了レベルのまま。
体が頑張ることを拒否する上、頑張ってた中学時代を思い出して無理なので、最近になって高校範囲の勉強を結構ガチでしてみたが、心身ともに拒否するのですぐにやめた。
私はやっぱりもう頑張れないらしい。
今日、ノートを広げて内観をした。
目をつぶって思うことをばーっと書くやつ。
そこで私は、もう頑張れない、頑張ってないと思っていたけれど、私は今も十分に頑張っているということに気がついた。
頑張っている=無理をしている
無理をしている=自分に嘘をついている
自分に嘘をついている=ホントの自分を生きていない
私は家の中で無理に明るく振舞って場の空気を保ったり、繋げたりすることが多い。
自分の部屋ではメンタルが落ちてボロボロ泣いてたくせに、部屋を1歩出るからにはとほっぺ自分でぶん殴って涙止めて、それで笑顔の練習をしてから部屋を出る。
リビングにいるからには、上沼恵美子やパー子のようによくひとりで喋り、笑うキャラでいる。
なんでか知らないけど私は無理してそんなキャラでいるようになっていた。
部屋に戻っては、どっちがほんとの自分なんだ?とよく分からなくなった。
上沼恵美子もパー子も、確かに私なのだけど過度にこの仮面を付けすぎている私がいる。
場を繋ぐために濫用してしまっている。
てか私がへらへら笑ってないと繋げない家庭の場ってなんだよ!!!!とキレそうになるがまあここではスルーしておく。
家での私は本体の私に添加物が加えられている感じがする。それがゾワゾワする。
でも、家から出るわけにはいかない。
だから私は日々頑張って仮面を被って笑って生きてきた。
メンタルがやられてうつだと言われてるのに、しんどさをなるべく出さないように無理して笑うとか更に重症化するやつやん……と今になって気づく。
心のどこかで家から出ないと治らないなと思っていたがビンゴなのかもしれない。
私は十分に頑張っていた。
頑張らなくてもいいものを、潜在的に必死こいて頑張っていた。
頑張っていることにすら気がついてなかった。
その頑張るが無意識化・自動的化するのが1番怖いのに。
このことに気がついて私はわんわん泣いた。
ごめん、ごめんなさいと自分に言った。
いくら言っても足りなかった。
もう既に傷の入った心に鞭打ってぶち壊しているのと同じだったから。
自分を痛めつけているのと同じだったから。
泣きながら、もう頑張るのは心の底から嫌だと思った。
頑張るのをやめると決めた。
と同時に、したいことをしてやる、したいことしかしないとも思った。
何をしたい? ときいたら、私は「あそびたい」「こどもをやり直したい」と言った。
めちゃくちゃ心当たりがあった。
2歳で弟が生まれてから、私は子どもでいた気がしない。
いや、子どもだったのだろうけど、姉としての役割を振る舞うので必死で、いい子でいるので必死で。
確かに遊ぶのとかはめ外すのが下手だった。
いつもすんっとしてる大人びた子だった。
心は子どもでいることを望んでいたのに、私は子どものときから頑張ってしまっていた。
森で五感をたっぷり使って遊びたい。
くそくだらない遊びを日が暮れるまでしたい。
泥団子ぴかぴかに磨くとかしたい。
話は変わるが私の好きな俳優さんが、くだらないことを本気でするのに命かける系の人で、それで大好きで。
私のそんな人になりたい。
そうやって生きたい。
無為なことをして生きたい。
もう決して頑張らない。
したいことしかしない。
したくないことはしない。するとしても、てきとーにちゃらんぽらんにする。
そう決めて、私はとりあえず、ずっと行きたかった北海道に行こうと思った。
北欧が好きで憧れていたけれど、言語の壁も地理的な壁もあるし。
妥協して国内で1番北欧感のある北海道のことがいつの間にか好きになっていた。
住むなら北海道! と心のどこかで決めていた。
北海道で、遊ぶ!
プランもお金もないけどもう知らない。
一銭にもならないけど夢ならある。
私みたいにがっちがちに頑張ることに囚われてしまって疲れた人が、全てから解放されて自分に戻って遊べる森の学校をつくること。
そこは子どもから大人までみんな対等で、みんな、ひゃっほー!と遊ぶことしか考えてはいけない。
学校といっても教えることは何一つない。
全部自分の中にあって、相手の中にあって、自然の中にある。
ただ、自分に戻ればいいだけの話。
それと森で小さな喫茶店付きのお宿をしたい。
おいしいごはんとスイーツ。
ふかふかまっしろのベッド。
もうこれだけで幸せ。
私には脚本家になって社会をいい方に変えるという夢というか目標があったけど、もう頑張らなくていいや〜となった。
やめるというわけじゃなくて、楽しくてきとーに力まず書こ!という話。
とりあえず今は北海道に行くんだ!
てなわけでいろいろ調べてます。
北海道の皆さまどうぞよろしくお願いします!
お手柔らかに!
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