脚本家になると決めるまで
脚本家という職業を知ったのはいつなんだろう。
ドラマは小学校低学年の時から好きで、特に医療ドラマを狂ったように観ていた。
中1の冬、「アンナチュラル」という私の人生のバイブルドラマに出会った。このドラマのおかげで今を生きていると言っても過言ではない。
「あなたの人生は、あなたのものだよ」は、私の墓に彫ってほしい。
そんな素晴らしき良作に出会っても、ドラマを作る人になろうという思考回路にはならず、小さい頃から医療バカだったこともあり、医療に関わる人になろうとばかり思っていた。
医師、助産師、臨床検査技師となりたいものはずっと医療職だった。
高校に入って人生が大きく変わった。
これまで「やれば! できる!」の精神論で勉強では学年トップクラスをキープし、かつ大嫌いな体育も学校での集団生活も内申のために耐えていたのだが、志望高校に入った途端、糸が切れたように心身を壊した。
学校には行けなくなってしまった。
この時期はちょうど2020年の夏。
私だけでなく、日本全体のメンタルがおかしかった。
正直何度も、生きることを放棄して消えたくなった。
そんな地の底にいた私を掬いあげてくれたのはドラマだった。
「MIU404」。
このドラマは本当に、私以外にもたくさんの人の絶望に寄り添い、希望を見せてくれたのではないか。
めまいでふらふらし、頭もぼんやりして、血行が悪くて手足紫色にして。
壁に寄りかかって、それでも私は毎週金曜の22時はテレビを観た。
アンナチュラルのチームが再結集ということで、ずっと楽しみにしていたが、まさかこんな心の栄養剤になるとは思ってもおらず。
学校という箱から放り投げられて、社会に生きている実感もなくなってしまった私は、Twitterで感想を叫んで同志とつながるという行為を通して、なんとか生きている・存在している実感を得ていた。
ほんとにこの時のTwitterほどありがたいものはなかった。
MIUではあのアンナチュラルと同じ世界線だということが3話(正確には2話放送後に流れた3話の予告)で判明する。
私の大好きな、というかみんな大好きな毛利さんと向島さんペアが予告に映っていて、もうアンナチュラル推しのTwitter民は叫び倒したものである。
あの瞬間の、血が沸き上がる生の感覚を忘れることができない。
手が震えた。ほんとに震えて、うまく文字が打ち込めなかった。
ひぇ! っとしか声は出なくて、夢かと思った。
もう、町内会中を走り回ってみんなに叫びたいくらい。
生きてた。
毛利さんと向島さんが生きてた。
アンナチュラルの世界のみんなも生きてた。
そして、私の心もちゃんと生きてた。
喜べる。ちゃんと心、動く。
生きねば、と強く思った。
それは来週の毛利さんと向島さんの出演を見届けなければいけないということもあるし、もう、人生全部生きねばとなぜか私は思った。
ここで屈せられないと思った。
そこから私は通信制高校へ転入。
授業動画を見てひたすらに確認テストをするという濃淡のない生活を送っていた2022年の秋。
私は「エルピス」というドラマに出会う。
このドラマは、作り手の「伝えたい」「届けねば」という熱量がとにかくすごかった。
メディアや政治の闇というセンシティブで一歩間違えれば立場が危うくなってしまうテーマを、それこそ本当に命をかけて扱おうという気力。
なんとしてでも、この腐った状況を変えたい。
話だとか演者さんの演技とか、セリフとか、全部いいのだけど、私はとにかくこの熱量に引き込まれた。
私は、心身を壊して通信制の高校に転入したことで、しがみついていた社会のレールから吹っ飛ばされた。
それ以前にも生きづらさはあったけれど、社会のレールから外れた時に感じる劣等感や絶望感、焦りは重くのしかかった。
生きづらさを感じながら、この今の社会に疑問を持った。
なぜ、決められたコースを歩むのが正しく、よい人生だと思われているのか。
なぜ、レールから外れた人のための選択肢があまりないのか。
なぜ、この国はこんなにも精神疾患者数が多く、生きづらいのか。
他にも自身が多子家庭の長女であったことから、多子家庭への支援の少なさや、学費支援についてなどもやもやとすることはたくさんあった。
私にもし力があるのなら、社会を変えてやりたいと思っていた。
もちろん一足飛びにひとりで社会を変える力も金も私にはない。
でも、エルピスを通して私は気が付いた。
ドラマは、脚本は、社会を変える力があるツールなのではないのか、と。
脚本家という生き方がここで浮かび上がってきた。
ここでフジテレビは畳みかけてくる。
次ぐ2022年の冬、大ヒットドラマ「silent」の登場である。
なんとなーく、メインビジュアルがきれいだという適当すぎる理由で1話を視聴した私は、もうありえないくらいに泣いていた。
聴力を失い、高校時代の恋人や友人と縁を切った想と、高校時代に心身を壊してもともと狭かった交友が0になったり「私は死んだことにして」と母に言ったりしていた私とは痛いくらいに重なった。
冬の寒い日に全力で走った後みたいに胸が痛い。
ざらついた空気が肺を刺す。
空気って、画面を越えて届くんだと私は知った。
そして、その空気を操る演者……ではなく、私は脚本家に心底悔しいと思った。
この時の悔しいという感情の湧き方は尋常ではなかった。
それはドラマが終わってからが特にひどく、何かの番組でドラマの映像が流れたり、主題歌が流れたりするたび「く、悔しい!!!!!」と悶えていた。
何がそんなに悔しいのか、よくわかっていなかったが、ある時「人に対して悔しいと思うのは自分の中にもその才能の種があるから」という旨の言葉を見て、すとんと腹落ちした。
あぁ、私は本気で脚本家なんだと。
そこから私はぽちぽちと脚本を書くようになった。
頼りはネットと、尊敬すべき作品のシナリオ本。
はじめて出したコンクール(創作テレビドラマ大賞)はもちろん1次落ちだった。しょうがない。読み返したらひどいと思う。
それでもなんとかTBSのNext Writers Challengeでは1次通過を経験し、大いなる自信と悔しさを手に入れた。
TBSへの応募は本当に突き動かされたみたいで、でもそれがとても楽しかった。
企画書を書くのも面白かったけれど、やはり1番脚本を書くのが胸が弾んだ。
TBSに全賭けしすぎて魂が燃え尽き、ヤンシナにもテレ朝にも日テレにも出さずというもったいないことをしたが、それでもいいと思っている。
さて、話は一気に変わり。
MIUから4年が経とうとしているこの2024年にアンナチュラルとMIUのシェアードユニバースムービー「ラストマイル」が公開されるとの旨の発表があった。
そこにはなんと、アンナチュラルとMIUの面々も出演するとのことで。
アンナチュラルからしたら6年ぶりに公式から供給があったわけで、動くみんなに会えるわけで、発表を見て奇声を上げてベッドに倒れこんでしまった。
先週出たティザーには動くみんなの姿があって、それを何度も見返しては泣きそうになった。
ありがとうありがとうとどこかの信者のように唱えながら、それでも私はまたどこかで負けず嫌いを発動させてしまうのだ。
アンナチュラルとMIU404という、多くの人の心を動かし、掴んで離さないこの作品を生み出した野木さんに、もうそれはそれは悔しいと思う。
大好きだ。大尊敬。それでも、一丁前に悔しい。
悔しいのは、自分にその才能の種があるから。
どこの誰が言ったのかも、ソースがなんなのかもさっぱり覚えてないけれど、この言葉がどうか本当でありますようにと願う。
願いつつ、それを本当にすべく、私は日々書こうと思う。