難病で思うように動かなかった身体が数ヶ月ぶりに元に戻る感覚を教えてもらえた日
ジストニアと診断されて数ヶ月。前回の記事でも書いたが、可能性のある治療をいろいろ試した。ある日突然身体が後ろに引っ張られるようになって、毎日重りを背中や首にぶらさげて生活するような日々が続いていた。
セラピストの仕事をしながら一人暮らしをしていたが、仕事も強制終了。
普通の日常の動きもままならず、5分くらい動いては壁か床にすがって休む生活。体が健康で、普通である日々がどれだけありがたいものだったかを身をもって感じた。一人暮らしの生活をしているのもこわいので、いったん実家へ戻ることにした。また元気になったらもどるつもりだったので、家はそのままにして、体一つで実家へ帰った。ふつうならば、なんでもない移動だが、空港へいくのひとつでも心配だらけの移動。実家へ戻れた時にはとにかく、倒れ込んで横になった。
実家へ一時帰宅してからの生活
いったん実家へ戻って、1人ではない安心はあった。何かあっても常に誰かがいるということだけで気持ちは違っていた。何もできなくても、ごはんがある。お風呂も辛いは変わりないが、もし何かあっても誰かがいる安心。
身体はというと、変わらず辛かった。起きて動けば首が垂直に上を向くほど引っ張られる。壁にぶつかり前に歩けない。横になっていたり、首まで支えられる椅子に座っていればまったく普通の人と変わらない。なので、電話で話したりしてる分には何も変わらず元気で何が病気なのかわからないほど。
少しづつは動くものの最初の頃は1日24時間のなかのほとんどは横になっている体制ですごした。
ほんの少ししか動いていないはずなのに夜にはマッサージしないと眠れないほど体が辛かった。毎日毎日オイルで自分でできる限りのトリートメントした。それをしないと、体を後ろに引っ張られる反動で胸の筋肉がかたまってしまい呼吸が苦しくて不安になってしまうので、眠るのもこわかった。
帰って1ヶ月くらいたったある時、寝ててもつらい起きてもつらいなら起きる方がいいじゃん!と突然おもって、外に少しでも出るようにした。長時間はつらいが車なら、首まで固定されるので頑張れば運転もできそう。車でたった5分ほどの友達の家まで行ってみた。なんとか行けた。次の日から1日1回は車で出かけるようにした。そうすると気持ちも少し変わった。このまま家から出れず、ずっとこんな生活が続くのか、って思っていたのが、ほんの少しだけ変化したことで自分の中に少し希望が見えた。
地元でも、もう一度病院へ行き診断をしてもらったが、やはり診断は同じジストニア。治療法ももちろん同じ。気づけば帰って3ヶ月。一人暮らしの家は友達に様子を見てもらっていたので心配はしていなかったが、いったん戻ってもう一度神奈川で治療を試そうとおもった。今度は針に集中して通おうかと、10日間くらい神奈川へ戻ることにした。3月の終わりのこと。
治療と新しい出会いと身体の変化
神奈川へもどって、行こうと思っていた東洋医学の治療院へ通い始めた。タクシー電車バスとのりついで片道約2時間。いる間はできるだけ通おうと動ける日はできるだけ通った。すぐの変化は求めてはいなかったが、気持ち的にはいいような、でも身体にはとりたてて大きな変化はないようなそんな感じで10日がすぎた。
以前から、友達から病気の原因や人の苦しみをとってしまう不思議な方がいるという話を聞いていた。YouTubeにもあるからと動画を送ってもらったこともあった。とても不思議なのだがこの動画を見てるだけでなんだか呼吸が楽になる感じがした。でも気のせいかな、とこの時は思っていた。
あと数日後にその人に会えるタイミングがあるが、そこまで滞在することはできないか?と友達から言われ、わらにもすがる思いで会って見たいと思い、取っていた飛行機をキャンセルして滞在をのばすことに決めた。一人でいる時間がのびる不安はあったが、まるで夢の世界のような話に聞いていた人は一体どんな人なんだろう、と思う気持ちもあった。そして何より体が辛かったので少しでも楽になればいいという気持ちだった。
4月の頭にその日が来た。横浜に会いにいったのだが、終始友達に支えてもらい、たった5分ほどの駅からの道のりを何度も何度も休みながら歩いた。期待半分、不安半分。30人くらいだろうか、入ったお部屋に人が集まっていた。なんだか和やかな雰囲気。病気の人もいたがなんだか楽しげな雰囲気だった。ただ、私は立っているのも普通に座るのも辛く汗だく。会場の端っこで壁にもたれて座らせてもらっていた。友達も一緒にいてくれたので不安はまったくなかった。失礼ながら怪しげな集まりかと想像していた私。だが料金も会場費をそこにいる参加者で折半するだけで、セッション代金などは一切かからないという。
何?そんな理想みたいな話ある??セラピストとして働いていたときの私の理想は、お金や時間で決められたものではなく、お互い納得いくようなセッションをしたいと思っていた。生活もあるので実際には難しかったが、いつかそんなことができたらいいな、と思ってそんな話もよくしていた。まさに、そんなことをしてる人??一体どんな人??と思ったそこに現れたのは、金髪に金歯にタトゥーの一度会ったら絶対に忘れないであろうインパクトのある男性とその傍らにすっと寄り添っていた女性の方。挨拶した時、眼鏡の奥からじーーっと私をみて、出た言葉は、”こんなの簡単だ!もとに戻すけど、いい?” であった。
え??簡単??元にもどる??
一応世間では難病とよばれてる原因不明の病気。それを簡単って言ってくれる人がいるの??と、それだけで嬉しかったことを覚えている。戻るものならもちろん喜んで戻してほしい。そして、私のセッションの番がきた。数人の女性の方とその男性で、私の体に触れながらあっという間にセッションが終わる。おもしろおかしく、体についている私たちには見えていないものをとってくれているみたいだった。ものの数秒??数秒後には苦しかったのが嘘みたいに笑えて首も背中もまっすぐ立てていた。嘘??ほんと??夢???と思ったが、数ヶ月ぶりに本当に普通に立って歩いていたのだ。しかも不思議だったのは、その会場にいて自分の番がくるまで、壁にもたれて座っていたのだが、自分の番になった時、歩くのが辛くない。あれ???なんで??と思ったがそこの場所にいるだけで明らかに体が楽になっていた。そしてセッション後、私は壁なしで立て歩けるようになっていた。
不思議だけど事実
本当に不思議だが、事実。実際に、ある日突然難病と言われた私の身体は大きく変化したのだ。変化したのは病院での治療でも針でも整体でもなかった。笑いと触れられた手。それだけ。
この時は嬉しさでいっぱいだった。それと同時になんだかわからない狐につままれたような不思議な日。だが実際に私の身体は変わっていた事実。なんだかわからないけど、すごい。私の語彙ではそれしかでなかったが、最後までみんなから”武司さん”と呼ばれていた金髪の男性は笑いとばして帰って行かれた。とても不思議だけど、とても優しい空気に包まれた一緒にいるとこちらまでそれが伝わってくるようなそんな人だった。
とにかく、私にとっての嬉しくて不思議な1日が終わった。行きには苦しくてしかたなかった体が、元に戻っていた。それだけで、この日の私には十分すぎるほど十分で夢みたいだった。
このあとまた、症状はでるのだが、その経過はまた次に。嘘偽りなく事実そのままに。夢見たいな話だが、私は空想を書けるほど、今の自分の体に余裕もない。ただ、自分でもこの出会いと、今の自分の体を通して感じたこと、体験したこと、現在進行形で経験している事を忘れず残しておきたいと思った。
私が記録を残しておくことがもしかしたら誰かの役にたつかもしれないし、誰の役にもたたないかもしれない。でも、私が感じたみたいに少しでも、病院では難病といわれる病気でも治る希望や光になればと思ってたまたま目にするかもしれない、誰かと自分のために残しておきたい。私には事実しか書けない。そのことだけは、しっかりと伝えておきたい。
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