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先祖の恋歌編、完結。永遠の愛をあの岩に誓うよ/ある歌人神官がみた明治(13)
恋に破れた明治29年。ふたりで写真撮りながらも別れゆく明治30年。國學院卒業にともない帰郷した明治31年、ついに葦の舎あるじはめぐりあう。
たとえば千年 千年じゃ足りないか?
「ある歌人神官がみた明治」(10)でもふれたとおり、帰郷してまもなく葦の舎あるじの歌には「わぎも子(吾妹子:恋人)」の姿が登場する。
花のさかりに人のもとに もろともに眺めむとて書きておくりたる
もろともに見てぞはやさむ我が宿の 庭ものさくら けふさかりなり
何気ない花見のお誘いのような歌ながら、どこか華やぎ艶めいた気配がする。一緒にうちの庭の桜をみようよ、が口説き文句になるとは。逢いたい逢いたいしつこく詠んでいた2年前に比べ、成長というか余裕がみられる。
というのも、この花見の数首後に、この歌が控えているのだ。
いもせのちぎり結びけるをりに
動きなく二見がうらに並みたてる いはほを千代の友とこそせめ
いもせのちぎり結びける…! やった やった やったよ! ohh~
「君が代」を引用するまでもなく、巌(いわお)は千代に八千代に変わらぬものの象徴。それが並びたつ伊勢名所、二見浦の夫婦岩をひきあいに出して、「一生一緒にいてくれや」と言っているのだ。
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『旅の家つと』伊勢の巻,明31-35. 国立国会図書館デジタルコレクション
歌枕としても名高い二見浦(ふたみのうら)。余談ながら、二見浦は伊勢だけでなく城崎にもある。
【参考】
但馬國の湯へまかりける時に、ふたみのうらという所に泊まり、夕さりの乾飯(かれいひ)たうべけるに、ともにありける人の歌詠みけるついでに詠める
夕月夜おぼつかなきを玉匣 ふたみの浦は曙(あけ)てこそみめ
藤原兼輔
玉匣(たまくしげ)は「ふたみのうら」(蓋)にかけた枕詞。この歌は、さらに「あける(開ける・明ける)」も導きつつ、夕月夜と朝日も対比させてて上手いので紹介してみました。
夫婦岩を詠みこんでいれば伊勢の二見浦と想像がつくけど、実はあるじの地元・福岡にも二見ヶ浦があり、そこには夫婦岩まである。
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伊勢の二見浦は昇る朝日で知られ(歌舞伎の『伊勢音頭』とか)、桜井二見ヶ浦は夕日で知られるらしい。知らなかったけど。葦の舎あるじはどちらの夫婦岩を詠んだのだろうか。
待つわ。逢いたい恋から待つ恋へ
ただ、妹背の契りを結んだとて、すぐに一緒に住んで片時も離れない、というわけにはいかなかったようだ。また、怒涛の連作である。
142番 別
わかれぢのかなしくもあるかほ(貌)ともあらず たちかへりこむ君としれれど
143番 恋
残りゐて ものおもひつつ いつしかと まつとし知らばはやかへりこむ
144番 待恋
いつしかとひとりまつともしら浪の たちかへりこぬ人しうらめし
145番 恨恋
つかのまもわすれぬ人の心をも しらぬ人こそうらみなりけれ
146番 待不帰恋
ひとりゐて物おもひつつまつそとも しらでや君のかへりきまさぬ
148番 片思恋
おのれのみ おもひたえなんとばかりに おもはぬ人のこひしくもあるかな
おわかりいただけただろうか。ひたすら、待っている。「別」という題はぎょっとするが、「君が帰ってくるのはわかっているのだけど」と言っているので、逢瀬のあとの後朝(きぬぎぬ)の歌であるとわかる。
どういう事情かは定かでないが、この時期の葦の舎あるじは待つ男である。彼女の帰りを待っている。逢いたいとぐいぐい行くのは懲りたのだろうか。
153番 夏夜短
わぎも子と 語らふひまも夏の夜は 臥すかとすれば明けそめにけり
154番 別
別れぢのをしくもあるか逢ひしとき かかるべしとは思ひかけきや
155番 同
ひとやりの道ならなくに別れぢの かなしくはあれど声こそとどけむ
でもまあ、なんか幸せそうで、良かった。この後朝の歌も前述のそれと同じ。とにかく、吾妹子にメロメロになっているのはわかる。
ちなみに吾妹子は、葦の舎あるじの住む田島の隣、宗像郡福間(現福津市)のお嬢様だったときいている。お見合いだったのか、何か出会いがあったのか定かでない。
明治31年を締めくくる恋歌が次に掲げるそれだ。そしてこの歌以降、『随感録』に恋を題にした歌は登場しない。
恋
千早振 神湊(こうのみなと)によるなみの よるよるごとに君をしぞ思ふ
神湊は、宗像大社中津宮がある大島や、神宿る沖ノ島へ渡る港。寄せては返す波の、よるに「夜」をかけ、夜ごと君が恋しいという歌。ご当地ソングだ。
恋から愛へ。家族になろうよ
もしかしたら、明治32年にも吾妹子にあてた恋歌は詠んでいたかもしれないが、『随感録』は明治32年はまるごと1年収録されていない。理由はわからないが、ただ、二人が実際に結婚したのは31年、遅くとも明治32年ごろだと思われる。
結婚した頃か少し後に撮ったと思われる写真が残っていた。
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明治33年には、第一子の生誕を寿ぐ歌を詠んでいる。
初めて子をもうけつるをりに
おひたたむ このゆくすえや またるらむ 二葉のままの庭の姫まつ
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「姫まつ」と詠みこんでいるので娘だったのだとわかる。この子が私の曾祖母にあたる。祖母タツの母だ。
葦の舎あるじの恋歌をここまでつらねてきたが、もしかしたら本人はこっそりしまっておきたかった歌を、晒してしまったのかもしれない。ただ、明治時代も青年は、朝も夜も君に逢いたいと恋ごころに身を焦がしていたのだなあと、親近感を抱くには十分だった。