バハールの涙
Les filles du soleil / Girls of the Sun (2018)
映画『バハールの涙』オフィシャルサイト
フランス・ベルギー・ジョージア・スイス合作、「青い欲動」のエヴァ・ユッソン監督による戦争ドラマ映画。2014年8月のISによるシンジャル侵攻で夫を殺され、自身は性奴隷に、脱出した後にクルド女性防衛部隊(YPJ)に加わったバハール(「ワールド・オブ・ライズ」「パターソン」のゴルシフテ・ファラハニ)と彼女のチーム、それを取材するフランス人記者マチルド(「モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由」のエマニュアル・ベルコ)の物語。今週、カロリーヌ・フレスト監督の「レッド・スネイク」を見に行くつもりなので、もう一度見ておこうかなと。
クルド人は第一次世界大戦まではオスマン帝国に支配され、オスマンが崩壊すると「アラビアのロレンス」でも描かれたように複数の国家によって分断され、現在に至るまで4000万人以上が自分たちの国を持てず、トルコやイラン、イラク、シリアなどで苦しい立場にある民族です。大半はイスラム教徒(スンニ派)ですが、主人公バハールを含む、シンジャルで攻撃を受けた人たちはヤズディ教徒。原題の「太陽の女たち」は、ヤズディ教徒が太陽を神の象徴として尊崇していることにちなんでいるようです。
YPJについても少し。左翼民兵組織であるクルド人民防衛隊(YPG)の女性旅団として創設されたYPJは、女性であることを前面に出して国際世論を味方につけるための『お飾り』じゃないかと当時は思ったものですが、もしかするとそういう側面もあったのかもしれないけれども、イラク・シリアにおける軍事行動、特に対IS戦ではけして無視できない存在でした。クルド人だけでなく、外国人義勇兵もいました。劇中で「ISの男たちは『女に殺されると天国に行けない』と信じている」と語られますが、実際にそうであったようです。鈴木雄介氏によるこちらの記事もご覧いただければ。
大変力強い映画だと思います。バハールも、彼女の部下も、ジャーナリストのマチルドも、それぞれの悲惨な過去を十分に克服できないまま、それでも現状に抗い、多少なりとも世の中を動かそうとしています。ISに拉致されて性奴隷にされ、脱出に成功したのちに行動を起こすバハールのバックグラウンドは、同じくヤズディ教徒の人権活動家で、ノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラド氏を思わせます。
YPJの戦闘員たちは憎悪に近い怒りを原動力としているので、別な視点で見れば、憎悪の連鎖を積極的に繋ぐ存在だとも言えるのですが、第三者である私たちが言えることは何もありません。「憎むな、殺すな、赦しなさい」と言えるのは月光仮面か第三者だからであり、理想ではあっても真理たり得ません。射殺されたIS戦闘員の携帯にバハールが出て、電話の向こうの男を脅すシーンがありましたが、確かコソボ紛争だったと思いますが、殺した敵兵の携帯電話に出てみると、掛けてきたのは死んだ男の妻で、「あんたの旦那はいま俺が殺した」と告げた……という非常に苦々しいエピソードを思い出しました。
正直言って、映画としての出来はさほどいいとは思いません。(悪くもないですが) 夜間や地下トンネルでのシーンは暗すぎて何が映っているかわからないこともしばしば。しかし私が最も不満を持つのは、マチルドのキャラクター描写の浅さです。バハールの戦闘員としてのモチベーションについては当然のことながら描写されているのに、マチルドのジャーナリストとしてのそれは言葉でしか語られないので、観客が彼女に対して言葉以上のシンパシーを得られないんですね。第三者である観客とバハール、ひいてはYPJ、さらには戦うクルド人とを繋ぐ重要な役割を持つ登場人物なのに、これは見過ごせない失敗でしょう。ベルコの演技そのものが素晴らしいだけに、余計に残念です。
しかしながら、マチルドが劇中で言うように、幸せや希望にしか興味を持たない我々一般大衆が、不幸や悲惨と戦って現状を切り拓こうとする(正しい・正しくないは置いといて)人々がいるということを、たとえフィクションであっても知ること自体は大変に意義深いと思います。彼ら・彼女らが身を置いているのは明日をも知れぬ戦場であって、スローガンを掲げてシュプレヒコールをしたり、ついでに放火したり車をひっくり返したり略奪したりするのとは次元が違う。調べてみれば、クルド人やヤジディ教徒も、けっして清廉潔白でないことも見えてもきますしね。
マチルドのモデルの1人は、2012年に内戦中のシリアで戦闘に巻き込まれて死亡した米国人ジャーナリスト:メリー・コルヴィン。 マシュー・ハイネマン監督の「プライベート・ウォー」では、ロザムンド・パイクが彼女を演じました。
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