L.A.大捜査線/狼たちの街
To Live and Die in L.A. (1985)
「フレンチ・コネクション」「エクソシスト」のウィリアム・フリードキンによるポリス・アクション映画。リメイク作「恐怖の報酬」が大コケした後、開き直ったかのようにアクの強い作品(要は問題作)を連発していた中の1本です。主演は「刑事グラハム/凍りついた欲望(ビデオ旧題:レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙)」「CSI:科学捜査班」に出演のウィリアム・ピーターセン、共演はウィレム・デフォー。
主人公(ピーターセン)は警察官ではなく、合衆国シークレットサービス(USSS)のエージェントです。冒頭のように要人警護が主任務と思うでしょうが、USSSはそもそも南北戦争当時に横行した偽造通貨の取締機関として発足しており、紙幣偽造犯(デフォー)を追うのは当然なんですね。まして退職目前だったバディをデフォーに殺されており、その追及は執拗です。
ふっくら顔に大きな目、80年代らしいダサイ服装の主人公は、空港で運び屋(ジョン・タトゥーロ)を追いかけるあたりまではよくある型破り捜査官なのですが、保釈中の女(ダーラン・フリューゲル)を脅して『イヌ』(兼・性欲処理係)として飼っていたりして、悪徳っぷりが加速していきます。悪徳刑事ものって邦画でも割と定期的に当たる(本作は北野武監督の「その男、凶暴につき」のインスピレーション源と言われています)ので、中盤まではまあついていけますが、おとり捜査に必要なお金を、女から情報を得た『犯罪者』から奪えばいいじゃん! となるあたりから悪徳が狂気へと変わり、ブレーキの壊れたジェットコースターさながらに止まらなくなっていきます。
当初の主人公の動力源はバディを殺された復讐心だったのが、それ以降は手段が目的化、ひたすら己の狂気に任せて突っ走る。制作当時30歳そこそこのデフォーも静かな狂気をもって冷酷な犯人をスタイリッシュに好演していますが、主人公の狂気は完全に斜め上。ピーターセン自体は相変わらず垢抜けない見た目のままなので、うすら寒さすら感じます。本人そのままなのに、シチュエーションが雪崩を打つように狂っていき、それにも関わらずなぜか常に順応している感じ。
スタティックな狂気とダイナミックな狂気。前者は関わらなければいいだけですが、後者は確実に迷惑です。
「フレンチ・コネクション」を彷彿とさせるカーチェイス(追手がわらわら湧いてくる理由が今回やっとわかりました)を演じた後、ブレーキが壊れたジェットコースターらしい結末を迎え、とてつもない後味の悪さを残します。最初見たとき何の意味があるのかと不思議に思えた、エンドロール後までしつこく挿入されるフラッシュバックは、今回もはっきりとその意図を掴むことができませんでしたが、この後味の悪さを助長させたいのだろうな、とは思えました。
ラスト、主人公の新たなバディ(ジョン・パンコウ)に「俺のイヌになれ」と言われたフリューゲルが薄ら笑いを浮かべている、という意見をネットで読んだので注意して見ましたが、確かにそう見えますね。そう考えると、デフォーのフェラーリで走り去る2人の女も、劇中では明示されませんが曰くありげ。イヌの振りした狼だったのか。女性は狂気を超えて強かです。
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