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君といると 僕は僕の形がわかる(メタモルフォーゼの縁側/鶴谷香央理)

小さい頃から、おばあちゃんっこです。

両親が共働きの我が家では、家に帰るとおじいちゃんとおばあちゃんが私の帰りを待ってくれている。
小学生の頃は、4時頃に帰って、そこからすぐ宿題。
だって5時からおじいちゃんと水戸黄門を見たいから。
水戸黄門は、悪いことをした人は助さんと格さんが必ずやっつけてくれる。
お銀はいつもお風呂のシーン。
6時からは晩ご飯のお手伝い。
お手伝いは毎日やるわけじゃないけど、お母さんとおばあちゃんがいる台所はたくさんおしゃべりができるから、水戸黄門が終わり次第キッチンへ移動する。

ほうれん草のごま和えの日は、おばあちゃんと一緒にごますり。
おばあちゃんがすり鉢を押さえてくれて、私が上からゴリゴリ。
「おばあちゃん、これくらい?」
「もう少しかな。周りについてるごまを中に入れて擦ってごらん。おばあちゃんが少しやってみようか。」
おばあちゃんがやると、びっくりするくらい棒がしなやかに動く。
そこに茹でたほうれん草を入れて、お砂糖とお醤油もおばあちゃんのさじ加減。
あっという間に完成。おばあちゃんってすごい。

おばあちゃんはいつだって私の一番の味方。
「うちの孫は本当にいい子。とっても可愛い。」と、いつも目を細くして褒めてくれる。
悩んでることがある日も「うんうん、大丈夫だよ。」とたくさん話を聞いてくれる。
怒ることも、アドバイスをすることもない。
おばあちゃんは、私が生きているだけで、その全てを肯定してくれる。

一緒に住んでる時はそれが当たり前だと思ってたけど、大学生になって離れた土地で一人暮らしを始めてから、それがどんなに自分の心の支えになっていたのか思い知らされた。
一人暮らしは本当に苦手で、家に帰ってから毎晩お母さんに泣いて電話をした。
家に帰ってから話をする相手がいないのって、こんなに辛いんだ。家族と話をする時間が私にとってこんなにも大切な時間だったんだと、初めて分かった。

おばあちゃんに電話を代わってもらうと、声を聞くだけで涙が出てきた。
「おばあちゃんはずっと、あんたの声が聞きたいと思ってたよ。」
そう言いたいのは私の方だった。涙を堪えて、うん、としか返事ができなかった。

今は結婚して、一緒に住んでる家族がいる。一人暮らしのような寂しさは、もうない。
でも、おばあちゃんがくれた温かさは、おばあちゃんの隣にしかないことが分かる。今はコロナで全く実家に帰れていない。大好きなおばあちゃんにも会えない。

おばあちゃんに会いたい、私のことを肯定して欲しい、大丈夫だよって言ってほしい。不安な時、いつもそう思っていた。
けど、大人になっていくにつれて、いつしか私は「誰かにとって、おばあちゃんのような存在になりたい」と思うようになっていた。

おばあちゃんのような、優しくて柔らかくて、いつだって肯定してくれる温かさを持ちたい。膝を抱えてしゃがみ込んでいる人の背中をさすりたい。大丈夫、そのままで大丈夫だよ、と伝えたい。
おばあちゃんは私の目標になっていた。

誰かの背中をさすりたくて、本の中にあなたの救いを見つけて欲しくて、今日もこうしてnoteを書く。

メタモルフォーゼの縁側は、おばあちゃんと女子高生がBL漫画を介して友達になっっていく物語。
漫画を読むときはいつも、先が知りたくてどんどん読み進めてしまうけど、この漫画は、おばあちゃんといる時のような時間の余白がちゃんとそこにあって、読みながら自然と心が落ち着いていく。終わってしまうのがもったいなくて、ゆっくり一頁一頁を味わって読み進める。読みながら時折自分のおばあちゃんのことを思い出す。そんな時間が愛おしかったです。

普通であれば関わることのない2人がお友達になって、お互いにとって必要な人となっていく姿をみていると、人生はどこかで誰かと交わったり、ぶつかったりしながら今より少し幸せになって、また自分の道を進んでいくのだなと、大それたことを感じたりする。

市野井さん(おばあちゃん)の言葉が、ぐっと胸にささった。


人って 思ってもみないふうになるものだからね

(メタモルフォーゼの縁側② p92)

おばあちゃんの言葉って、何でこんなに心の深いところに届くんだろう。
読めば読むほど、大好きなおばあちゃんに会いたくなった。


ちょっと息苦しい日々に、優しく温かな時間をもたらしてくれる漫画。
全5巻で完結済です。素敵なお家時間にぜひ。

※題名は漫画の中の大好きな言葉の引用です。
「君といると 僕は僕の形がわかる」(メタモルフォーゼの縁側⑤ p119)


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