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【地方史】岡崎宿はずれにて尾張の鯛飯屋が殺害された件①(序章 歴史を遺すことの重要性)


はじめに

私は先祖が遺してくれた歴史のピースを集めている。
『岡崎市史(新編・旧共)』を広げてみてほしい、欠村(現 欠町、元欠町、栄町、根石中欠町、および西欠町)の歴史はほぼ出てこない

古書のイメージ@フォトAC

歴史が遺っていない理由は

その理由のひとつとして考えられる出来事は、明治初期に当時)欠村にて大規模と思われる火災があったためだと思われる。当該村の庄屋を代々務めたとされる先祖の家も然り。
しかし、貴重な書物は蔵に遺すはずだが……そういう疑問は残りこそする。

上記のような事情もあり、集めたピースは出来る限り他の文献/古書との対比で整合性を取っている。
遺してくれた方々を信用していないわけではない。何度も複写を繰り返せば書き損じや齟齬が生じるのは当然のこと。伝言ゲームの最初と最後の情報が大きく乖離することは言及するまでもないだろう。

伝言ゲームは情報の乖離を楽しむものかと……@フォトAC

今回触れる歴史のピースは「とある事件」。東海道・岡崎宿のはずれ(欠村)における事件だ。当然、村の歴史として残すべき事柄だ

ようやく準備も揃った。本来は『欠村誌』とした方が良いであろう出来事・表から消されていたが確実に存在した歴史を数回にわたり記述していく。

地方都市にある小さなコミュニティの歴史だ。興味がなくても当然だと思う。
しかし、旧東海道に面している。三河武士もかかわってくる。近隣の神社や仏閣の御由緒にも密接にかかわってくる。
そのため、ここに書くことをご理解いただけると幸いだ。

先祖が語る「鯛めし騒動」

「鯛めし騒動」と呼ばれる事件が東海道にて起きた。
先ずは私たちの先祖(※注:記入者、記入年月日不明)の記述を見ていただきたい。

これは以前の記事でも触れている。

廃藩置県の前の事。

尾張藩の武士と岡崎藩の武士が岡崎轉馬町遊廓に於て喧嘩して数名の尾張藩の武士が全部岡崎欠町周辺に於て殺された事件である。

その中が鈴木家の便所へ隠れた。それを知らずに来客中の――が便所の戸を開らくと武士は大いに驚き頭髪の結束が切れて飛んだと謂う。迷惑が掛ると困るからと靜かに退去して呉れと要求すると直ちに去って事なきを得た。

然るに其の后、吉次郎(二十二才)の養父 鈴木清太郎(五十五才)は地元庄屋(町内管理役)故を以って裁判の証人として江戸へ参年間呼出されて上京した。

この留守中、不審火に依て鈴木家は全焼する。この時、せい(二十四才)は幼き森太郎を抱いて洞貝(非常の合図)を吹鳴して出火を近隣に伝へ町内へ援助を求めたと云う。

欠村・鈴木家系譜/記録より

上記の書き物で私はこの騒動を知った。
しかし、大事なことは「それが本当に起きた事件か否かーー」という「証拠」だ。

先祖を疑いたくはないが、系譜も「継ぎ足しのタレ」の状態
信用に足る資料との対比をしなければ、”おおよそ正しい情報ではないか”と言えない。
だからこそ悩んだ。@フォトAC

ここで書かれている先祖・清太郎は文政二(1819)年生まれ。
書き物にある、清太郎が55歳の時点で明治七(1874)年。
ちなみに、清太郎は私から見ると「高祖父母の父」にあたる。5代前だ

現)最高裁判所にあたる「大審院」の設置が明治八(1875)年
その前の旧)江戸での沙汰は「太政官布告」「伺・指令裁判体制」といわれているらしい。しかし、沙汰の記録は公開されていないと聞いた。

そのため、「法務省・最高裁判所・国立公文書館などに問い合わせるしか術はないか……」と思っていたが、肝心な事件の起きた年月日が定かではない。

「キッカケ」さえ分かれば情報は芋づる式……
その「キッカケ」が全く見つからなかった
@イラストAC

そこで先祖が云う「江戸へ参年間呼出されて……」を信用し、「大審院」の判決を明治12年まで読み尽くした。

しかし、そのような判決はない。

ここまでにかかった時間、おおよそ3か月強。
私は途方に暮れた。
※ここで引用した「先祖が云うことには……」の「鯛めし騒動」は事件が起きた年などが事実と異なるため、”参考”としていただきたい

いや、本当に途方に暮れた@イラストAC

歴史を遺すことの重要性

私が現在直面していることが歴史を遺すことの重要性だ。
昔の人の暮らしや考えは記録に遺っていなければ推測するしかない。

今はネットで気軽に発信ができる。
記録は遺りやすいだろう。それが原因でまた別の問題も生じてはいるが。

これを書いている今は「いつ、どのような経緯でどのような事件が起き、どのような裁きが下されたか」、おおよそ正しい”歴史”を把握した上で書いている。
ここは謙遜しない。調べても調べても手掛かりに結びつかず、焦燥感にも似た感情に支配されたぐらいだ

その思いをした私がこの事件(村の歴史の一部)に蓋をしたらどうだろう。
次に興味をもって表舞台に引き上げようとする人が現れるのはいつのことか。
だからこそ、現実社会でどれほどの暴言を吐かれても私は続けている。
それが先人に敬意を払うということではないだろうか

少なくとも、5~6代前の先祖が遺した歴史は確かに私が掘り出した
私はどこかに消えていた”バトン”を探し当てただけだが、本来は「歴史という名のバトン」を代々引き継ぐか、「村誌」「地方史」などに託すかといった行動が必要・重要なのではないか、と心から思う。

この状態で150年ちかく先祖を待たせたわけだ
それは起こられても当然
@イラストAC

今回のまとめ

本来は1回で事件について全てを書き切りたい。これが本音だ。
しかし、全てを書き切るまでに15,000文字は軽く超えるだろう。寧ろ動画にした方が判りやすいだろう。
そのため、要点毎に「鯛めし騒動」という事件を区切って書きたいと思う。

視点によって事件の見え方も多少違ってくることも良く分かるのではないだろうか。

補足
こういったことを水面下でしている最中に、「~巡り」をし、ある意味で時間稼ぎをしていたということもまた事実……。


最終改定: 令和6年10月18日(1回目)トップ画像の文字色彩変更
※後に読み返した際に変更があれば、改定日を修正いたします

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【参考文献/サイト】
『公文附属の図・勅語類・(一)元老院、大審院、地方官会議ヲ設置シ漸次立憲政体樹立ノ詔勅』
公文書にみる日本のあゆみ, 国立公文書館
『法史の玉手箱』法務資料展示室だより第37号, 法務省大臣官房司法法制部発行
『大審院・最高裁判所判例集』国立国会図書館デジタルコレクション, 国立国会図書館

【写真、イラスト】
イラストAC   https://www.ac-illust.com/
写真AC   https://www.photo-ac.com/

【画像編集】
Canva  https://www.canva.com/



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