【古道を歩く】愛知県岡崎市の古道・道根往還④ ~終点・「鍛冶屋」から起点・「欠の三本松」へ歩く・弐~
はじめに
今回も愛知県岡崎市の古道「道根往還」を写真と共に辿っていく。
※実際に歩いたのは2024/3月
前回までの行程は以下の記事を参照いただけると幸いだ。
道根往還を引き続き歩く
行程の概要
今回は前回に「旧・鍛冶屋の五本松」周辺を出発し、「欠の3本木」に向けて歩き出した。
場所では須渕町あたりまで進んだところか。
さらに歩みを進める。
13:25 緩やかな傾斜がある道を進む。足元は枯れ葉でかなり滑りやすい
13:27 斜面が下まで望める場所。高所恐怖症の当方、この場所は涙目。
13:31 獣だろうか、骨の一部と落とし物を発見(画像なし)
加えて、木の皮をかじったのか、牙を磨いたのだろうか。
13:32 苔むした石。杉だろうか、新たな命が芽生えている。
13:33 岩と木の根の融合。このあたりで自分という存在の小ささを実感。
13:34 曲がりくねった古道を進む
13:34 乙川支流、源流のひとつだろうか
13:36 比較的大きな石に足を取られ、なかなか先に進めない。
ここでこの道を説明する文を引用する。
上記は「欠の三本木」から「鍛冶屋の五本木」に向けて歩いたときの道筋だ。今回は逆に向かっているため、鍛冶屋~県道335号線までの道筋が一番素朴な古道だといえようか。
個人的に、鍛冶屋~県道335号線の道根往還が、より自然……昔のカタチというべきか、自然の中に人がお邪魔する類の古道ではないかと思った。
恐らく、このあたりが愛知県岡崎市須渕町だと思われる。
下記の写真は須渕町のどこなのか分かりかねるが、古の道根往還は他の地域同様に多くの木々が伐採された状態であったことが以下の画像から読み取れる。
なぜ木が伐採されたのかは、以下のリンク先にて詳細を確認いただけると幸いだ。
2.我が国の森林整備を巡る歴史 (林野庁HP)
~明治時代は建材など、明治時代以降は建材などに加え産業発展のために多くの木が伐採されたーーというわけだ。
さて、道根往還に話は戻る。
13:37 水による岩への侵食だろうか。
全体像。
13:38 腰と太ももにくる、石の道の負荷
13:39 ところどころで乙川の源流だろうか、小川が散見される。
13:41 所々に湿地?小川とはまだ呼べないが、確かに水の流れがある。
13:44 画像上部はサンピラーだろう。半円形の光は地面からの水分の蒸発か。少し場所を逸れるとこの写真は撮れなかった。
13:52 ようやく視界が開けてきた。
13:57 近くの山々の稜線とほぼ同程度の高さ。
14:03 更に標高の高いところからの湧き水/水の流れで湿地と化した場所
14:05 幻想的な風景
14:07 急に人工の足元になり、直に県道335号線に出る。
14:08 県道335号に出る。
14:09 県道335号線を下る(鍛冶屋~欠の場合、欠~鍛冶屋の場合は登る)。
補足
道根往還を歩いた日と別の日に高低差をお示しするために、新東名高速道路の橋脚の写真を撮ってきた。
ここまでの行程
前回と今回の記事で「鍛冶屋」~下記地図の「ここまで」を歩んだ。
実際に歩いた感想だが、上記の行程が岡崎市史にも記述があったとおり素朴な古道だと思った。これ以降は少々歩きやすさが増したとでもいうべきか。
今回のまとめ
道根往還を歩んだ3月下旬。
日の入りは17時過ぎ。
およそ2㎞進んだところで残り3時間。
この先の道がどのような道なのかーー。下調べが不十分だったため、この時は先が不安で仕方なかった。「8時台のバスに乗れば」と後悔もしたものだ。
日の入りに間に合わなそうであれば「やすらぎ公園(岡崎墓園)」までは何とか歩みを進め、タクシーを呼ぶか……という考えが頭を過った頃だった。
バスでは30分強の道のり。
行程の1/4程度を1時間。
文明はすごい、改めて近代産業と古の旅人の心身のタフさに感服した、鍛冶屋~県道335号線の道根往還の道のりだった。
最終改定: 令和 年 月 日( 回目)
※後に読み返した際に変更があれば、改定日を修正いたします
【注意事項】
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引用・転載の際は必ずお声がけください
【参考文献/サイト】
『新編岡崎市史 民俗12』
林野庁HP 2.我が国の森林整備を巡る歴史