【古道を歩く】愛知県岡崎市の古道・道根往還⑥ ~終点・「鍛冶屋」から起点・「欠の三本松」へ歩く・肆~
はじめに
今回も前回同様に愛知県岡崎市の古道「道根往還」を写真と共に辿っていく。
※実際に歩いたのは2024/3月。岡崎墓園周辺の補完は5月下旬
前回までの行程は以下の記事を参照いただけると幸いだ。
道根往還を引き続き歩く
行程の概要
以下に今回の記事での始点・終点(推測)をお示しする。
旅を続ける(岡崎市斎場付近から)
ここが「鍛冶屋」~「欠の三本木」に向かう行程で非常に分かり難かった。
進むべき道が分からずに20分近く時間をロスしただろうか。
そのため、斎場付近から墓園を通り抜ける行程は後に記すこととして、2024年3月に歩いた際の時間で旅路を追っていく。
15:17 笠松之碑
碑まで建てられる”笠松”。いったい何なのか、答えは『新編岡崎市史』にあった。その一節を引用する。
「ウキサの店」は現在は岡崎墓園となった、旧)道根往還沿いにあった茶屋だ。東公園を東に進んだところにももうひとつ茶屋がある。この茶屋の近くに「虎石の大松」があったという。
直径150㎝もあったと言われている「笠松」も「大松」もどういう理由か分かりかねるが戦前(大東亜戦争以前か)に伐採されてしまったようだ。
永くこの地で往来する人を見守った名木を称えるための碑ーーということだろうか。
さて、先を急ぐ。
15:30 丁字路の左側に案内板(丁字路に向かって左にいく)
15:37 山道の道根往還へ
15:40 枯れ葉で相変わらず足が滑る。
15:49 少しずつ下りも増えてくる
15:51 素朴な古道が続く
15:55 このあたりは人の往来が多いのだろう
15:59 古の旅人が積んだ石なのだろうか
16:00 石畳
16:01 馬の背越ーーだろうか
16:06 この辺りはスムーズに進める
16:06 自然の壮大さを感じる
16:08 南無阿弥陀仏の碑
古の方が「この真北が善光寺」だと信じて遥拝したとされているという。
今の技術では簡単に真北ではないことが分かっても、古の方々はそう信じて疑わなかっただろう。皆、伊能忠敬先生のような知識を持っているわけではない。
加えて、そもそも信仰とはそういうものだ。
「(ここの)真北が善光寺と聞いた。なんと有難い」「それなら碑を建てて拝むと良い」。このようなものではないだろうか。
「『ここに神がおわす』と皆がいうから”ここには神がいる/宿る”」ということが日本古来の信仰ではないか。そこに技術を持ち出すのは少々ナンセンスだと私には思えてならないのだ。
”史実/事実”と”伝承”は分けて考えた方が良いのではないだろうか。
某URLで岡崎市の記述に違和感を覚えたため、上記はここに記載する。
この史実と伝承。私自身も八柱神社@欠町で話すら聞いてもらえず・理解されず、単なる歴史修正者としてしか見てもらえず。「~もらえない」ことばかりで大変に歯がゆい思いをした。
古く伝わっていることは事実・歴史などと別に「言い伝え」として残せばよいだけのこと。
新たな考え方を理解してもらうことは、兎角、難しい。
私は「真北に善行寺」と拝んだであろう、数多の人々の気持ちにも手を合わせて先に進んだ。
ちなみに、画像周辺からは確かに御嶽山(と思われる)が望めるようだ。
16:12 この先2キロ強を更に進む
今回のまとめ
道根往還の行程をおおよそ1/4残すのみ。
その多くが記憶から抜け落ちているため、なかなかコメントも添えられない。また、今秋。歩きに行こうか。
補足(岡崎斎場横~墓園の進み方)
「鍛冶屋」~「欠の三本木」は、主観だが、道に迷いやすい。斎場横から岡崎墓園を抜ける道で(少なくとも)私は難儀した。
そのため、先日に写真を撮ってきた。
斎場横から墓園を抜ける道を画像と共に振り返りたい。
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【参考文献/サイト】
『新編岡崎市史 民俗12』