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【地方史/Lost History】旧)欠村の概要 ・名所/名士編(愛知県岡崎市)


はじめに

前回の記事で室町時代後期~安土桃山時代における、旧)欠村の御領主に触れた。

今回は、その御領主が治める土地に居住した民のうち、現在でも書物にて確認がとれた旗本衆(位は判明せずとも”三河武士”ではなかろうか)。
また、江戸時代に記録された書物に記載されている名所なども記録していこうと思う。

今回も一度語られなくなった歴史(地方史)散歩となる
©イラストAC
cocoanco様 https://www.ac-illust.com/main/profile.php?id=QCXDzarr&area=1

名所(旧欠村)

『参河國名所繪 下巻』(以下、『参河國名所繪』)によると、以下の6つの建造物が旧)欠村の名所として記録されている。


『参河國名所圖繪』についての説明


上巻の「解題」が非常に分かりやすいため、当該書物の作者・成立年度などは引用を参照いただけると幸いだ。

三河国名所図絵は、三河国の名所につき、其の歴史を絵と文とで説明したものであつて、豊橋上伝馬金物商夏目可敬が、弘化元年より嘉永四年に至る八ケ年の歳月を費して編著し、久田登高之を補助し、羽野田敬雄之を校閲したものである。

『参河國名所繪 上巻』解題より引用

著者である夏目可敬殿は本著を記録するために全財産を費やしたようだ。
相当な負担を負われたとは思うが、その崇高な行いにより、今尚、江戸時代末期の名所と呼ばれる場所を確認できること。
心からの感謝を申し上げたい。

当方が参考にしているのは昭和47年初版(昭和56年再販)限定300部出版されたものだ。
元本の著作権はきれている。念のため、出版社には確認したが廃業なさったのか確認できず。
そのため、一般的な権利順守に則り記載する。
※関係者様がいらっしゃる場合、何か問題がございましたらご連絡ください


それでは、各々を見ていくこととする。

その昔は大変に長閑な場所だったと思う
(これは白川郷)
©写真AC

観音堂
筧助蔵の屋敷跡に観音堂あり。そのような記載が『参河國名所繪』にある。

現存すると思われるが、古い書物でも場所は不明瞭な模様。
「あの場所ではないか」と思われる場所もあるが、旧)欠村内にある私有地のため、ここでの明言は避ける。

欠村古城
『三河堤 巻之四』にも記載があるが、本多忠真殿の居城と読み取れる。しかし、『参河國名所繪』によると、以下のとおりだ。

岡崎東の出口を云ふ、(※中略ーネコチャーン)
天正諸士住居記に云、掛村二の澤古城 此所の二の澤と云所に砦を立、大平と合戦ありし陣場なり(※以下略ーネコチャーン)

『参河國名所圖繪 下巻』より引用
『三河堤 巻之四』 48コマ目
愛知県図書館 貴重和本デジタルライブラリー所蔵
https://websv.aichi-pref-library.jp/wahon/detail/24.html

上記の「欠村古城」は本多忠真殿のお住いであって、「砦として役目があった欠村古城」とは別のものではないかと思われる。
三方ヶ原での戦いに於いて忠真殿の忠義に対し、格上げしたお屋敷/お住いの呼称ではないかと私は思う。
現に、当時の欠村の領主は柴田衛守殿だ。

ここは現存しないし、場所も見当がつかない。

浄泉寺/太子堂
浄泉寺/太子堂については下記記事にて言及しているため、参照いただけると幸いだ。

権現社

岡崎旧記に云、掛村権現は、鈴木墨右衛門、元来紀州の産故、櫻井村より當所へ引越の砌勧請すと云。

『参河國名所圖繪 下巻』より引用

これは私達の先祖・重辰のことを指すと思われる。江戸時代に成立した文書にはこの記載があり、現在は創建不明。これ如何に。他にも不可思議な改編(抹消)や批判が大正時代頃より見受けられる。

形を変えど(なんとか)現存する(としか言えない)
また、『岡崎市史(旧版)』(大正15~昭和10年刊行)からは完全に削除されている。また、拙宅先祖の家が明治初期の火災にて焼失した記録が記載されている。どこにそのような覚書が遺っていたか、いやはや真に不思議なものだ。

神明社

岡崎旧記に云、元投裏に在しを、正保四年に、欠山に遷座

『参河國名所繪 下巻』より引用

説明するまでもなく、築山殿の神明社のことだ。
後日、詳細に記載するが、本来は神明宮・権現社が同じ山にあったと思われる。

元の神明社(裕傳寺)にも正保4年に遷座されたであろう場所にも現存する。神明宮・権現社については後日記述する「欠村誌 八柱神社編」で詳細に触れたいと思う。

筋違橋
以前に「鯛めし騒動」で触れた領境の橋。
昔の地図や現在の写真は記事内で触れているため、下記を参照いただけると幸いだ。

ここも形は変えど現存する。

その他

・農業用水
加えて、農業用水として現・東公園内にある3つの池から水を引いていたようだ。

東公園案内図 2024年11月末撮影
あしのべ池、はとが池、ひょうたん池ではなかろうか

それぞれの写真を見てみる。

はとが池
※地震・豪雨対策で工事中とのこと(~令和7年3月予定)
2024年11月末撮影
あしのべ池
ここも工事中
2024年11月末撮影
ひょうたん池
ここは水を湛えている
2024年11月末撮影

他にも4つの池から水をひいていたようだが、どの池か判明しないため現状では明言を避ける。

・三体地蔵
以前に記事で触れた、道根往還の目印「三点松」の下にあるお地蔵様と思われる。「三点松」も何故か『岡崎市史(旧版)』には記載されておらず。

・石地蔵
三体地蔵の近くに在り、と『参河國名所繪』で記載がある。
時代を重ねる毎に数が減っているし、今年初めかーー、商業施設建設の折にお地蔵様が撤去されていた。非常に残念だ。
辻にお地蔵様が遺っている場所もあるため、これは詳細に記す「欠村誌」に織り込みたいと思う。

・欠という地名
最近は機会が減ったが、電話口で「欠町」と漢字の説明をすると驚かれることが多々あった。
そこで「欠」という地名に触れたいと思う。

欠は、掛とも字を充てゝあるが、懸または崖の意にして、摂津にも古へ欠郡の名があった。遠州の掛川などの掛も恐らく同意であらう。多く河邊に存する名にして、河岸に懸崖を為す所より出たる名である。

『岡崎市史 第参巻』第五編 市街編 第一章 岡崎市街 第二節 岡崎各町沿革大要より引用

兎角、勾配があり崖のような場も散見される。
古の地図でも東海道と人家がある地域の境目には小規模な崖、もしくは急こう配な坂があったように見えるのだ。それでも真偽はわからない。

名士(三河武士)


©イラストAC

次に、旧欠村の御領主・柴田衛守殿の下にいた三河武士を『三河総視禄』、『岡崎市史(旧版)』を参照し見ていきたいと思う。
様々な書物を比較し、名前が確認されているために以下列挙する。
※順・漢字は書物のまま

松平九郎左衛門 能見城より(松平新右衛門) 先祖の義弟
鈴木墨右衛門  櫻井村より……現)安城市内 当方らの先祖
筧図書     六名村より……現)岡崎市六名町
清水万右衛門  山城国より……現)京都府南部周辺
鳥井渋右衛門  六名村より……現)岡崎市六名町
高木恵中    大岡村より……現)岡崎市大平町と思われるが不明
加藤三之助   長良村より……現)岐阜県岐阜市と思われるが不明

上記の7名が欠村7人衆と呼ばれていたそうだ。
先祖・重辰(墨右衛門)と重辰の義弟・新右衛門は凡そ間違いなく侍だ。
次回は今まで示せなかった、先祖・重辰、新右衛門の関係性などの根拠を示す記事にしたい。

他のご一族の先祖に触れることは憚れるため、名前のみとする。
また、「うちの先祖は!?」というご一族もあるだろうが、私は感情論よりも昔の記録/根拠を優先する。その点はご容赦いただきたい。

まとめ

簡単に抜粋した名所や三河武士だけでこの情報量だ。
ほんの少ししか触れていない。

それだけに歴史が遺っていないことが大変残念でならない。
私の母方の祖父母、双方の家系からこの土地に婚姻で越してきた方が複数いる。そのうち、母方(私から見て)祖父の伯母が嫁いだ先、ご主人が大変に歴史精通された方だったと聞く。
地方史を教えるために小学校から招聘されたこともあったそうだ。
母が子供の頃にそれなりの御年だったと聞く。
その方はこの地で何を見て、何を感じたのだろうかと思うとともに、意見交換が出来得る方がご存命ではないこと。
これが大変口惜しい。

※リアル社会の方へ 上記の御家・ご一族に迷惑をかけないようお願い申し上げます。ここは当方が全責任を負う覚悟で管理しております

おまけの紅葉@東公園

足延池などの写真を撮影しに東公園に訪れた際はちょうど紅葉が見ごろ。
そのため、池の写真以外にも紅葉の写真を撮ってきた。
※無料動物園も併設のため、相当に混み合います

他の2つの池がほぼ空のため、水鳥が集う
フレアですが、神秘的
今年の秋は気圧・気温・気候が急激な変化で……
単なるフレアです
悪い気は全く感じないので載せます
撮影されている方が多くいらっしゃった
整備された公園でも自然の中は癒される
「もみじまつり」は12月8日までだそう
https://www.city.okazaki.lg.jp/300/301/p042053.html

注意事項

重要 
『参河総視禄』は原本が国立公文書館内閣文庫所蔵。昭和52年に岡崎市が郷土史研究を促進するために有償で複写。その複写した文献を翻刻ボランティアの方々が翻刻くださった書物を参考文献に使用しています。専門家による翻刻ではなく、有志の方のご厚意の上に成り立っている書物ゆえ、翻刻違いが生じている可能性が有ります。その点はご留意ください


最終改定: 令和 年 月 日( 回目)
※後に読み返した際に変更があれば、改定日を修正いたします

【注意事項】
著作権の観点から、無断引用・転載はお控えください。
引用・転載の際は必ずお声がけください

※本来、引用はルールさえ遵守いただければ連絡不要ですが、引用元不明記など諸般のトラブル防止のためご一報ください

【参照/参考サイト】
『参河國名所繪 下巻』
『岡崎市史 第参巻』
 『岡崎市史 第七巻』
『参河総視禄(岡崎翻刻ボランティア編)』
岡崎市HP https://www.city.okazaki.lg.jp/
愛知県図書館 貴重和本デジタルライブラリー https://websv.aichi-pref-library.jp/wahon/index.html

【画像出典元】
『三河堤』https://websv.aichi-pref-library.jp/wahon/detail/24.html
写真AC https://www.photo-ac.com/
イラストAC https://www.ac-illust.com/

【画像編集】
Canva https://www.canva.com/



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