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父が最後に食べたかったもの

どうも。
大熊猫です。

今日はバレンタインですねえ。
私は、通常運転です。
なんなら、まだ恵方巻を引きずっているとかいないとか…。

私は、昔からバレンタインを満喫したことがない。
好きな人にチョコを渡した記憶…ない。
友チョコは、そもそも そんな言葉がなかった。
父にも渡したことはなかったなあ。

もし渡していたら、父は喜んだだろうか。

父は2019年、コロナが日本にやってくる少し前に ガンで亡くなったのだが、最期の3週間は家で過ごすことができた。
要するに、もうできることはないからと、病院から帰されたわけなのだが、そう判断してくださった主治医の先生には感謝している。

食べることが大好きだった父。
食べることは生きること。と、バランスよく食事をとることを重んじた父。
それでも病には勝てず、この頃には食欲はまったくなくなっていた。

退院初日。
噛む力もなくなっていたため、私は慣れないおかゆを作った。
味が濃いものを欲しがるので、入院中に食べたがっていた、さつま揚げを濃い味で煮つけたものを細かく刻んだ。
「これなら食べられる」と本人が言うので温泉卵も出してみた。

それでも食べられる量なんて、二口か三口程度だった。

そして帰宅2日目。

「ご飯食べようか」と声をかけると、「今日のおかずは何?」と聞かれた。
キラキラと目を輝かせ にっこりと笑っていた。
家族の食事を毎日作ってきた父。
娘が作った食事が嬉しかったのかも知れない。

言葉を返せなかった。

どうせ食べられないのだから。と、昨日と同じものしか用意していなかったのだ。

「なにって別に…」などと口ごもっていたら、何かを察したのか「なんでもいいよ。たくさんは食べられないから。」とほほ笑んだ。

正直、その時の私は、自分たちの食事だってまともに作っていられないほど、初めての介護の大変さが身に染みていた。
トイレの介助やおむつ替え。
たった1日で精神がすり減っていた。

でも。
余命1カ月弱。と宣告された父の介護は、私自身のためにも絶対に後悔しないようにしようと心に決めていたのだ。

それなのに、父から残り少ない食事の楽しみを奪ってしまったようで、違う何かを用意しなかったことを悔やんだ。

結局、その日も食欲はなく、おかゆに少し口をつけ、温泉卵で終わりにするという。

温泉卵を手渡すと、小鉢が父の手からすべり落ちていった。

慌てて着替えをさせて、新しい温泉卵を用意したのだが、もう要らないと横になってしまった。

温泉卵ひとつがちょうど入るくらいの小さな器すら、自分の力で口に運ぶことができなくなってしまったことに、父なりにショックを受けたようだった。

この日を境に、父の食事は医師から処方された栄養ドリンクに変わった。

あの日あの時、たとえ食べられなくても好物を用意するべきだった。
温泉卵を口に運びきるまで支えておくべきだった。
こぼした瞬間、もちろん父を非難するつもりはなかったのだが「あーあ」などと言わなければよかった。

父の最後の食事だったのに。

父は最後、ほんとうは何を食べたかったのだろう。
最期まで自身の回復を信じていたから、もしかしたら「元気になったらあれを作って食べよう」などと、何やら企んでいたかも知れない。

今となっては分からないけれど、最後に自力で食べようとしたものは知っている。

いまでも、お店で温泉卵を見かけると父を思い出す。

私と父の最後の思い出だから。

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大熊猫
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