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人生の経験値

わたしは結構なびびりな方だと思う。
いつも無難な方を選択してきたように感じるが、時々エイヤーっ!と言って新しい環境に飛び込むときもある。そんなときは本当にドキドキする。

最初の子どもが生まれて2年経った頃、再就職しようと思った。
保育園の手続きの仕方や働きながら子供を育てる事の大変さはしみじみ感じた。初めてのことは緊張するし、手探りだけれど、一通り終わると経験値となり自分の財産になる。だから第二子となるといろんな部分で結構いい加減になったり(笑)。これは子育てに限らず、日々様々な場面で直面することですね。

あれだけ緊張したり、気を遣い、神経をとがらせていても、通り過ぎて終わると何てことなくて、「あの緊張していたのは一体何だったの?」と拍子抜けしてしまう時もある。

ただ、ある程度場数を踏んでくると、初めての出来事でもこれくらい予測していれば大丈夫かなと見立てがついてくるようになるし、それでも"今まで経験のないこと"が起きたとしても、緊張しつつも困難に立ち向かう「勇気」や「度胸」が自分の中で育っていたりするので結局何とかなったということもある。それが人生の経験値というものなんだと思う。

アラフォーの身として、自分より年上にあたる"人生の先輩(尊敬の念を込めて)"からの話が最近になって身に染みるように感じるのだ。今はよく話を聞かせていただくが、社会に出たての頃は、そんな先輩を横目に「私はそんなことないと思う」と心の中で反発していた。

例えば、出産後すぐに動いたり本を読むものなら、「後々に響くから目は使っちゃダメよ!」と義母やママ友を含め年上の方にはきつく言われていたのだけど、その時も「そんなことないでしょ」と鷹をくくっていたが、それは第二子の時に思い知らされたのだった。産休明けに職場復帰したら、「パソコンが見えない」という現象がおきたのだ。詳しく言うと、パソコンを見ると目が痛くて仕事にならないのだが、どうも気が付かない内に無理をしていたことが身体の節々に響き、産後4か月の時はインフルエンザにかかったことに加え、産後2年間、週末は疲れ切って横になる事が多かったほどだ。

自分より年長者の経験値話は侮れない。
数年後、数十年後、自分にも関係するかもしれない注意報だということを肝に銘じたい。

そんなこともあり、自分よりちょっぴり先を行く先輩の経験値話を聞くことを楽しみにしている。時には悩みを相談し、「ケセラセラ(何とかなるよ!)」という言葉を私は密かに待ち望んでいるのかもしれない。

そして何より、人生を楽しんでいる先輩たちのように自分ももっと気楽に(多少の事も恐れずに!)毎日楽しく過ごそうと思うのであった。

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