ソートリーダーシップの実践事例【Vol.4】 グレイトフル・デッド
ビジネスの世界では古今東西、様々な創造的取り組みが為されてきました。後から振り返ると、「ソートリーダーシップ(Thought Leadership)」の教科書的な事例、ケーススタディといえるものも少なくありません。
様々な事例をビジネスの潮流や市場の拡大などの実績から俯瞰的に見つめなおし、学ぶべきところを見つけ出していきます。
グレイトフル・デッドとソートリーダーシップ
第四回目は、従来のロックバンドとは異なるアプローチを取り、音楽シーンにおいて新しい価値創造と市場を開拓したグレイトフル・デッドを紹介します。
グレイトフル・デッドは、1960年代から活躍し1995年に解散(後に複数回の再結成)した、アメリカのロックバンドです。なぜグレイトフル・デッド? なぜロックバンド? と疑問に思われるのは当然です。
一見、ソートリーダーシップとは無関係のように感じますが、彼らの活動の軌跡を紐解いていくと、今の言葉で言うところの「ファンマーケティング」を1960年代から取り入れ、他のバンドとは一線を画すようなサービスをファンへ提供していました。
ソートリーダーシップの定義と彼らの取り組みを紐づけてみると、グレイトフル・デッドこそ、音楽業界のソートリーダーであり、彼ら自身が図らずともソートリーダーシップを体現していたのではないか、と筆者は思うに至りました。(表参照)
今回のケーススタディでは、グレイトフル・デッドが実現したソートリーダーシップの中でも、下記の3つのポイントをピックアップして、解説してみたいと思います。
1.新たなビジネスモデルを構築する
2.ファンのコミュニティ形成を重視し、顧客との長期的な関係を構築する
3.ブランドの独自性を強調し、他のバンドとの差別化を図る
1.新たなビジネスモデルを構築する
当時、ヒットの基準であるゴールドディスクとなるには50万枚(100万ドル)、プラチナディスクは100万枚(200万ドル)のレコード売上を達成する必要がありました。インターネットがない時代、ロックバンドとレコード会社の主な収入源はレコードアルバムであり、アルバムを宣伝するためにライブツアーを行っていました。
この既存のビジネスモデルを、グレイトフル・デッドは覆しました。ライブ開催を中心としたビジネスモデルを構築したのです。
ライブでは演奏する曲のセットが毎回異なり、同じ曲でも演奏の仕方が異なる、即興演奏を中心としたライブを行っていました。
また、会場の音響システムや照明といった設備・機材にも積極的に投資。ハイクオリティなステージをファンに提供することを重視しました。
その結果、ファンは一度だけでなく、続けてライブに行きたいという気持ちになります。毎回、全く異なるライブが観れるのです。こうして繰り返しライブに来るファンが増えていき、グレイトフル・デッドはライブチケットの売り上げで、数億ドル規模に達するバンドになっていきました。2015年、結成50年目に開催されたライブでは、5日間のライブチケット総売上で5220万ドル(当時のレートで約64億7700万円)を記録しています。
「デッドヘッズ」と呼ばれる熱狂的なファンは、ライブツアーと一緒に全米各地を移動し、会場の駐車場で屋台を並べるようにまでなりました。「デッドヘッズ」たちの行動が、ライブイベントの一部として扱われるようになっていったのです。これもまた「共創」の原点といえます。
グレイトフル・デッドは音楽業界において、「レコード=商品」を提供するビジネスではなく、「ライブ=体験」を提供するビジネスモデルを新たに創造したのです。
2.ファンのコミュニティ形成を重視し、顧客との長期的な関係を構築する
グレイトフル・デッドは、ライブやファンクラブを通じて、ファンとの直接的な接点を持ち、コミュニティを形成していきました。これにより、ファンはグレイトフル・デッドの思想や哲学に共感し、ロイヤルティを高めることができました。
ライブのチケット価格はできるだけ安く設定。メーリングリストを作り、希望者に無料でニュースレター、冊子を送付しました。
チケット販売事務所も自前で作ってしまいました。チケット購入者には、スタッフ手書きのメッセージを添えて。また熱心なファンには、最も良い席を提供しました。自前だからこその徹底ぶりです。
さらに注目すべきは、ファンにライブ録音を推奨したことです。しかもより良い音質で録音ができる場所に録音機器をセットできるよう、専用エリアまで設けました。そうしてできた録音テープを多くの人が聴き、新たなファンになっていきます(ファンが収集してきたグレイトフル・デッドの音源や資料を大量にアーカイブした「Grateful Dead Archive Online」というサイトも存在します)。
もちろん、より品質の高いものを求める人たちのために、バンド自身がライブを録音したものを販売しました。まさにフリーミアムの戦略です。
今でこそライブ中に動画を撮ってSNSにアップすることを推奨するアーティストも増えてきましたが、当時は画期的でした。その上録音の奨励は今でいう、バイラルマーケティングとして意識的に行われていたわけではありません。あくまで、ファンに敬意を示した結果です。
すぐに収益につながるレコード販売を主軸にせず、ファンと共に楽しむことを優先し、グレイトフル・デッドは、短期的な収益性を犠牲にして、ファンとの価値あるリレーションシップを構築したのです。
3.独自性を強調し、他のバンドとの差別化を図る
グレイトフル・デッドは、ライブコンサートでの演奏と同じように即興性を好み、毎回異なる曲を異なる形で演奏していましたが、アルバムカバー、ライブポスター、会報誌などでも、バンド名のフォントや色使いを常に変化させ続けるなど、他のバンドのようにブランドの統一や管理をせずに、独自性を強調しました。
他のバンドではツアーには「テーマ」がありました。それは直近で発売するアルバムのテーマと合致していました。ブランドが厳密に管理されていたのです。それが当たり前だった時代に、デザインを常に変化させ続けていたグレイトフル・デッド。デザインを通して、自由な気質を視覚的に表現していたといえます。こうした音楽を超えたブランディングにより、特別な愛着を持つファンを増やしていったのです。
また、彼らの活動でぜひ紹介しておきたいのが、1960年代からチャリティーライブに参加していたことです。彼らは、社会問題に取り組む団体をライブ会場に招き、テーブルを設置し、ファンが学ぶ機会を提供しました。彼らがファンと価値観を共有していたことが、わかります。
「信念」の追求から、ソートが生まれる
以上のことから、グレイトフル・デッドとソートリーダーシップとの関係性を深く感じました。もっとも重要なポイントは、グレイトフル・デッドが、彼らの音楽ならびに音楽活動をファンに最適なかたちで提供することを求め続けた結果として、ビジネスでの成功が生まれていることにあると考えます。
グレイトフル・デッドは「音楽を創造して、世界をよりよい場所にする」という理念を掲げていました。そこには、親切心や思いやり、他者への尊敬の念、「シェア」「コミュニティ」といった60年代のカウンターカルチャーに根ざした価値観に合致するものがあります。彼らはこの理念と価値観に忠実であり、30年以上、実践し続けました。
彼らは、自分たちの手で音楽を作り、自分たちで伝えることを実現するために、型にはまった既存のビジネスモデルに頼らず、活動してきました。新しいことに取り組み続け、必要に応じてどんどん変化させていきました。
そして、その理念と価値観は、当時を知らない人々にも支持され、バンドが解散した今も、楽曲のみならず、彼らのアートワークまでもが世界各地でライセンス供与され、収益を上げ続けています。
もう1つ、彼らはバンドに関わるスタッフやファンを強くコントロールしようとはしませんでした。グレイトフル・デッドの組織は合意によって運営され、清掃担当者にまで会議での発言権があったといいます。
ファンはファン同士で交流することを推奨され、ファンコミュニティづくりをサポートしました。グレイトフル・デッドの音楽とビジネスは、彼らの理念と価値観をベースに、バンドメンバーだけではなく、バンドに関わるスタッフ、そして「デッドヘッズ」と呼ばれるファンによって「共創」されていったのです。
そこには強い「信念」、すなわちソートがあったのではないでしょうか。
今回はここまで。
また次回。
文:IISEソートリーダーシップHub 塩谷 公規
企画・制作・編集:IISEソートリーダーシップHub(藤沢久美、鈴木章太郎、塩谷公規、石垣亜純)
引用・参考文献
『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP)デイヴィッド・ミーアマン・スコット(著),ブライアン・ハリガン(著),糸井 重里(監修)
『グレイトフルデッドのビジネスレッスン#彼らの長く奇妙な旅が紡ぎ出す「超」革新的な10の教訓』(翔泳社)バリー・バーンズ(著),伊藤 富雄(訳)
グレイトフル・デッドのビジネス論 | WIRED.jp
グレイトフル・デッドが、次世代に残していった音楽ビジネスのヒント | Musicman
旅の終焉を迎えたグレイトフル・デッドは、最後まで音楽マーケティングとテクノロジーのパイオニアだった | All Digital Music (jaykogami.com)