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【前編】考え抜いて、デザインされた「問い」が、ソートリーダーシップにつながるまで 〜『問いのデザイン』著者の一人、京都大学総合博物館准教授の塩瀬隆之氏に聞く〜

革新的な考えを世の中に提示し、共感によりステークホルダーを共創へ誘引することで、新しい顧客や市場を創造するマーケティング手法の1つ「ソートリーダーシップ(Thought Leadership)」。その重要性を多角的に考察するために、各専門家にインタビューする企画の第六弾として、京都大学 総合博物館 研究部情報発信系 准教授の塩瀬隆之氏が登場。良質な「問い」によってコミュニケーションをデザインする第一人者はソートリーダーシップをどのように捉えているのか。名著『問いのデザイン』で示した概念とソートリーダーシップの共通項、ソートリーダーの目標設定などについて話を伺いました。


「聞き上手」なロボットを作るため、「問い」の研究が始まった

――塩瀬先生の経歴を改めて教えてください。

塩瀬 京都大学の工学部に入学して、学部生から大学院生時代は熟練技能継承システムとコミュニケーションロボットの研究に没頭していました。黙して語らずされど伝わる熟練者と見習いの徒弟制度も、なぜ技が伝わるのかが解明できていませんでした。コミュニケーションにおいても、正しい文法とストーリーを搭載すれば「話し上手」なロボットは比較的簡単に作れるのですが、「聞き上手」なロボットはむしろ難しい。人の話にうなずくフリはできても、明らかに話しているこちら側にロボットが関心を向けていないことがわかりますから。

私はミヒャエル・エンデが描く『モモ』のような、「聞き上手」なロボットを作りたかった。「聞き上手」であるための大事な要素は、相手に興味を持って「問い」を発することです。そのために最も大事なのは好奇心なのですが、ロボットにはその好奇心というものが備わっていない。私の「問い」の研究は、そこからスタートしたと思っています。

京都大学 総合博物館 研究部情報発信系 塩瀬 隆之 准教授

言葉にしにくいけれども、伝わることはたくさんあります。なのでそこから「伝える」と「伝わる」の違いをコミュニケーションデザインとして研究するようになりました。さらにこの研究を社会に実装するためには、大学の内外をつなげるような新たな研究環境が必要だと思い、大学博物館という場所に興味をもちました。

――なぜ大学博物館だったのでしょうか。

塩瀬 ここ10数年で面白いと思っている媒体(メディア)の1つが大学博物館だったからです。京都大学総合博物館は1990年代後半のユニバーシティ・ミュージアム構想で作られた施設ですが、歴史の長い欧州の大学は必ずといっていいほど大学博物館をもっています。歴史をきちんとアーカイブしていかないと一流にはなれません。歴史の浅い日本の大学が世界の歴史の古い大学に肩を並べるために必要だったピースの一つが大学博物館だったわけです。

博物館は学生や教職員だけでなく誰でも入れる学びの場所を目指していますから、大学の外部ともアクセスできる窓口も兼ねていると言えます。当館の入口は前を走る大通りの東大路通に向かって開いていますが、国立大学が正門と勝手門以外で入口を設けたのは初めてのケースだったと言われています。要するに、大学が社会とのあいだで知識循環の経路の一つとして存在していることを内外に示す装置であり、コミュニケーションデザインの研究対象としても大学博物館という媒体の特徴に興味がわいたので異動する決心をしました。

京都大学総合博物館の外観

――その後、2012年に大学を離れています。

塩瀬 はい。異動直後ぐらいに東日本大震災が発生し、研究と社会の距離をより強く感じました。より大きな枠組みで研究が社会構造とどう結びつくかを真剣に考えるうちに、官僚機構が作り出す制度の仕組みに対する理解が欠けていると自覚するにいたりました。そこで一度大学の職を辞し、経済産業省に入省して産業技術政策に従事する機会を得ました。しかし、中央省庁で制度改革の旗振りをしたとしても、組織も社会もボタン一つで変わるように一朝一夕で変革するものではなかった。むしろ一人ひとりの背中のボタンを押す「教育」のほうが結果としてレバレッジを効かせた社会変革に寄与できるのではないかと思いを改め、2014年に再び高等教育の現場へ戻る決意をしました。

私は博物館の展示も一種のコミュニケーションデザインだと思っています。例えば京大総合博物館ではノーベル賞やノーベル賞級の研究成果も展示する機会が多いのですが、世界でも最も難しい部類の研究内容を来館者に向けて紹介することになる。世界でも完全に理解できる人が指折り数えるほどしかいない研究内容ではありますが、展示手法を工夫することによって、まったく興味関心のない人をも惹きつけることができる可能性が0ではない。そうであれば、チャレンジしがいのあるコミュニケーションの挑戦になると考えることができます。

――そこから『問いのデザイン』を体系化するまでの経緯は。

塩瀬 自分の中だけで完結するような困りごとは、解決策を自分で考えるしかないし、本当はその解決策も自分では薄っすらとは気づいているものです。むしろ「問い」を考えるためにどうやって仲間を増やすか。一緒に考える仲間としてその「問い」に真剣に取り組んでもらうために、それぞれにとっても自分ごととしてもらうためにはなにをすればよいか――どちらかと言えば、「問い」に向き合うまでのこうした「段取り」のデザインこそが重要になるはずです。

拙著では、みなさんにそういった「問い」の段取りをデザインする手順もありうることを知ってほしい、なおかつ手順をそれなりに踏めば誰でも今より深い「問い」に近づけるとの思いを込めて、2020年に『問いのデザイン: 創造的対話のファシリテーション』を共著にて出版しました。

――その『問いのデザイン』で論じられていた、固定化された認識と関係性を編み直し、結果として変革の源泉となる「創造的対話」を、どのような場で実践しているのでしょうか。

塩瀬 最近取り組んでいることの一つに、いわさきちひろさんの没後50年の展覧会「こどものみなさまへ みんな なかまよ」での企画協力の参加があります。私が担当したのは、展覧会のテーマの1つ「平和」に関する展示の監修です。

ここでは「へいわのはんたいご」という「問い」を、展示コンセプトの中心に据えることにしました。みなさんがもしこの「問い」を受け取ったとしたら、どんな言葉を最初に思い浮かべますか?

「へいわ」の反対語として、たとえば「戦争」という言葉を最初に思い浮かべる人が多いようです。でも今の時代は、私たちも含めて戦争を知らない世代が圧倒的に多い。実際に経験された方から直接お話をうかがえるうちはもちろん直接に尋ねたらよいのですが、それがかなわないとき、直接に知らない言葉の反対語は、それこそ本当に知っていることと言えるのか。つまり、我々がへいわの反対語を「戦争」とだけ捉えている限りは、それを知らない私たちにとって本当の平和をどうやってつくればよいか、まったく実感をともなっていないのではないか。この「気づき」を、展示の主旨とすることにしました。

展示のなかでは、「戦争」や「争い」という言葉を使わずにへいわの言葉を来館者の皆さんに様々に言い換えてもらえるような展示の仕掛けを用意しています。この展示を通じて一部の来館者からは直接に考えをうかがう機会もあり、たとえばへいわの反対語に「不安」や「ザワザワ」「人を傷つけてしまうこと」といった言葉が並び、逆にへいわの言い換えには、「明日のことを考えられる」「誰かと一緒にご飯を食べる」など読むだけでほほえましい気持ちになる言葉がたくさん挙がりました。

「戦争をなくす」と言ってしまうと、一人ひとりだけでは途方に暮れてしまい、なにもできないと自らの力不足を憂いただけで終わることが少なくありません。しかし、自分に関係のある言葉で主体的に考えるきっかけさえあれば「明日のことを考えられる」「誰かと一緒にご飯を食べる」など、自分ができる一歩がその先に大きな平和と接続する可能性に期待を寄せることができるようになります。結果的にそうした行動の積み重ねが、世の中を動かすうえでの力になるはずです。

結論を押し付けないことが大事

――先生は「ソートリーダーシップ」をどのようなものとして捉えていますか。

塩瀬 必ずしもソートリーダーシップそのものに明るくないことを前提に話させていただくと、マーケティング手法としてはビジョン、ミッションといったものを打ち立てて、プレゼンテーションが得意な経営者が進める企業戦略の一つに近いのかなと解釈しました。

ただ、いろんな企業でビジョンやミッションという言葉が流行っていますが、そもそもビジョンなるものを簡単に作れると思っていること自体が横暴かもしれません。ビジョンという言葉は元来「神の啓示」を意味する言葉ですから、簡単につくれる代物ではなく、基本的には考えに考え尽くして、その果てにある「授かりもの」でなければならないはずです。

ビジョンと同じく、「問い」も「授かりもの」として出会えるくらいの根源的な「問い」に出会って欲しいと私は思っています。自分の中に内なる関心事があり、世の中で今求められているものと、その関心事との間を埋めようともがくほどに考えつづけると、もう「それ」しかないような「問い」にたどり着くことがあります。世間の方が期待されるような、思わず立ち止まるほどに魅力的な「問い」とは、そういった考え尽くした先にしか出会えないものです。

みなさんの中にも、まだ適切な言葉が見つかっていない、たくさんの関心事があるはずです。そこにストンと、自分自身の真ん中に落としてくれるような「言語化」ができれば、その関心事について一緒に考えてくれる仲間のような人がきっと増えていきます。そのようにして授かるように行き着いた言葉なくして、他の誰が一緒に考えてくれるようになるでしょうか。

そう考えるとソートリーダーとは、きちんと向き合えば誰でも言葉にできたかもしれない「思い」を、みんなに届く言葉で可視化できる人と言えるのではないでしょうか。ところが大企業の掲げるビジョンやミッションのなかにも、借り物の言葉に違いないと思うような地に足のついていないものが少なくない。そのような中途半端なビジョンやミッションでは、何らかの壁にぶつかったときに、もうそれ以上進むことができなくなってしまいます。SDGsにせよ、Society 5.0にせよ、当事者が自分の言葉として昇華されないままに、自らの言葉の確立をまたずして他者に対してさも“問題”であるかのように渡してしまう、というのが本来避けなければならないことです。

いろいろな組織や自治体などから相談を受ける際に、私が一番最初に問いかけることは「本当にそれをやらなくてはいけないと思われていますか?」と問い直すことです。当該企業にとって、あるいはその当事者にとって、本当にやりたいことなのであれば、そちらに向かって一歩を踏み出せばいいのですが、そこを問わずして誰もが半信半疑のまま、無理に問題解決をスタートさせようとしてはいないでしょうか。

まずは、今ご自身が向き合うべきことに対して、自分自身で考え尽くすための一定程度の時間を確保してほしい。日常ではそれらを妨げる事象が山のようになることは重々承知したうえで、それでも立ち止まってほしい。そのことに多くの方々に気づいてもらう手段として、「問いのデザイン」のような考え方もどこか頭の片隅に留めておいていただきたい。

そうした背景から、我々は10月1日を「大切な問いに向き合う日」として記念日認定していただきました。問いを「つくる日」ではなく「向き合う日」としたことには大切な思いが込められています。皆さんの多くが、実は大切な「問い」そのものにはうすうす気づいているのに、「忙しい」「うまく表現しきれない」といった理由を並べてただただ目をそらしているだけです。そこで、せめて365日のうちの1日ぐらいは、いろいろな組織でリーダーの役を担っておられる皆さんは特に、本当にやるべきことに向き合う時間をぜひおさえていただきたいと思ったのです。

――ソートリーダーは、世の中に「問い」をどのように発信すべきでしょうか。

塩瀬 考え方はシンプルで、自分の生活の中でやるべきことを見出してもらうような発信方法がよいと考えます。組織の中で同じテーマを議論してきた仲間がいるならば、そのメンバーで向き合うべき「問い」というものも本来は明らかなはず。ですから、お互いが考えていることをきちんと言葉にするだけで、それなりにうまく回り始めると期待しています。

一方で、「結論を押し付けないこと」を守ることも肝要です。議論に参加した人々から出てきた声がリーダーである自分が想定していた方向性と違ったとき、それをすぐ突っぱねるのではなく、引き受ける覚悟があるかどうか。そしてその覚悟がないという選択肢はなく、みんなの声をきちんと聞く関係を再構築すべきです。

リーダーからみて、行くべき方向が明確に決まっているのであれば、方向について議論するよりも、一緒に歩いてくれる仲間を説得して合流してもらえればいい。しかし、人々の声を聞くふりだけをして、リーダー自らがやってほしいことを無理やり押し付けてしまうのはやはり悪手だと思います。

▼続きは後編にて!
・カリスマを待つべからず、目線を共有しながら動く
・曖昧な部分に境界線を引き、しっかりと「問い」を作りこむ
・「大切な問いは自分のなかにある」という大前提を自覚する

インタビュイー:京都大学 総合博物館 研究部情報発信系 塩瀬 隆之 准教授
1973年生まれ。京都大学工学部卒、同大学院工学研究科修了。博士(工学)。専門はシステム工学。2012年7月より、経済産業省産業技術政策課にて技術戦略担当の課長補佐に従事。2014年7月より復帰。小中高校におけるキャリア教育、企業におけるイノベーター育成研修など、ワークショップを多数実施。平成29年度文部科学大臣賞(科学技術分野の理解増進)受賞。共著に『問いのデザイン: 創造的対話のファシリテーション』『インクルーシブデザイン:社会の課題を解決する参加型デザイン』(いずれも学芸出版社)など。

京都大学 教育研究活動データベース
https://kdb.iimc.kyoto-u.ac.jp/profile/ja.5fa9bfa9c3a73c7a.html

企画・制作・編集:IISEソートリーダーシップHub(藤沢久美、鈴木章太郎、榛葉幸哉、石垣亜純)

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