ふつう
『ふつう』がわからなくなってきたという話。
以下、全てにおいて、
当たり前の話ではあるのですが、
思いもよらない形で、
これも「ふつう」じゃないの!?
と思うことが日々ほんとにほんとに多く発生します。
その都度考えさせられ、
基に立ち返る時、
すぐに見返せるよう可視化したい
と思ったので記します。
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たとえば
「この日何か予定ある?」
と上司や友達など、誰かに聞かれたとき
「何かあるのかな?」と推測すること
「どうしたらいいかなぁ」
という話をされたとき、
「この人は相談したいのかな?」と心情を汲もうとすること
など、
すぐには出てこないことでも、
それってふつうじゃない?と
自分感覚で思ってしまうことが多々あります。
でも、ふつうってなに…。
相手にとってはふつうのことじゃないから
今こうして問題が起こっていて、
ふつうのこととして認識しているから
私が今、心に違和感を感じている。
いわゆる、
ふつうというのはない方がいいんじゃないか。と
まず、
なぜ私はこんなにも
他人の「ふつう」でないことに毎回驚くのか。
私は、
気が利いて、ふつう
汲み取って、ふつう
お手伝いして、ふつう
役に立って、ふつう
テストでいい点をとって、ふつう
成績が良くて、ふつう
仕事の評価が良くて、ふつう
褒められて、ふつう
それ以下は「悪」という感覚で育ってきました。
影響は母親だと認識しています。
母は中学生の頃から
彼女の母、父、兄、弟のため家事をしていました。
それが「ふつう」だったのです。
当時決して多数派ではなかった大学へ進学。
また、彼女の兄と弟は
近畿で今でも高学歴とされている大学に進学。
勉強はできて「ふつう」だったのです。
(ちなみに私の祖父母は戦争を経験している年代です)
(私は24歳で、母は60歳を優に超えています)
彼女の母(私の祖母)はかなりの男尊女卑思考。
特に長男を何よりも大切に思っていた人。
おそらく一番初めに男の子を産めたことも喜んだと思う。(そう、孫と娘に思われるほどの"昔"思考)
父(私の祖父)は地域の政界進出を勧められるほど、
顔が広く、自治会の付き合いで毎日外出。
The 亭主関白。
男は家庭でなにもせず、
酔って帰ってくるのが「ふつう」
女が家庭で家事をして、待っているのが「ふつう」
そんな祖父母、兄弟間で育った母は、
ふつうというレベルが
人よりも高く(偏って)設定されているかもしれません。
そんな家庭で育った母と
一番会話をする機会が多かった私は同じく、
家族間のことだけでなく社会的にも
「ふつう」"として"伝わってきたことが
多かったのではないか。と思います。
これは次回執筆する「わがまま」という話にも
繋がるのですが、
私の思いもよらなかった
わがままにびっくりすることが最近多々あります。
わがままの内容に驚くのではなく、
わがままのタイミングに驚くことが本当に多いのです。
これは悪気や、自覚のあるわがままではないことがネックなわけであります。
すべては
そのわがままのタイミングも、
ふつうなタイミングとはなんなのか?という話なわけです。
この感覚は人によって本当に違うし、
育ってきた生活環境によって本当に違うのです。
かと言って
その人と関わる中で
見逃して良いものではないときがある。
見逃せない時もある。
つまりは
どう伝えるかであって、
どう伝わるかであって、
その人との関係性、
伝える人の信憑性、
伝えられる人の感覚性
全てが影響してくると思うのです。
その「ふつう」の感覚が高くても、低くても、
ちがうくても
どれにせよその人は悪くない。
私も、あなたも悪くない。
どちらも悪くないのにお互い辛くなるのは良くないね。
って思ったって話です。笑
あなたとわたしの中でのふつう。
一旦立ち止まって、これってふつう?って
共有したいです。
連絡・コメントください。笑
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