チョゴリと振袖
こんにちは皆さん、ねあです。
梅雨になり気が滅入りますが、窓越しから聞こえる雨音に不思議と癒されます。
民法改正により、2022年4月1日以降から成人年齢が18歳に引下げられましたね。私は20歳で成人した前世代なので、18歳からもう“大人”として見られると考えるとなんだか早いのではないのかと感じます。人生最初の節目と言われる成人式、大人になった折角の晴れ舞台に振袖や袴を着たのではないでしょうか。
そんな人生の節目を祝う成人式、私はある決心をしていました。
それは“成人の日に振袖とチョゴリを着る”ことです。
式自体には参加しなかったのですが、前撮りだけ振袖とチョゴリを両方着た写真をどうしても撮りたいこだわりがありました。自分のアイデンティティを主張し、受け入れたいと言う気持ちがあったからです。
日本と朝鮮の文化が入り混じった家庭だったので、誕生日を祝う習慣をどちらも受けて育ちました。一歳を迎えて祝うトルチャンチや成長を祝う年中行事の七五三も行いました。沢山の衣装に着替えて、カメラの前で立たされる時間は子供ながら苦痛に感じていたのをよく覚えてます。
10代を迎えてから、年を重ねるにつれて“見えないまま・知らないまま“でいた歴史や差別などの直面する機会が増えていきました。知らなかった事実や実態をひとつ、またひとつと知っていく度、一体“私はどちら側”なのかと自問自答しました。
日韓のミックスとして生きて、自身のアイデンティティについて悩まなかった日はなかったと思います。韓国と日本のルーツを持つ点を除けば、日本で生まれた日本人として見られるかと思います。国籍やアイデンティティを問われた時、“日本人”である事しか主張できませんでした。
何故なら“日韓ミックス”である事を主張しても“外国人扱い”か“コリアンヘイト”で差別言動が帰ってくるからです。
常に疑問でした、何故“アイデンティティ”を主張する事がこれほど難しいのか。
成人式を迎える年齢に近付くにつれて、“アイデンティティ”を主張する事を諦めたくない気持ちが強くなっていきました。大人なってもこの悩みを背負っていくのなら、苦しむのではなく“自分”を受け入れるケジメをつけたいと考えました。そうして具体的に考えた結果、チョゴリと振袖を着た前撮り写真を撮る事にしました。
写真を撮る為に、何軒も周ってレンタル衣装を試着して着せ替え人形の気分でした。たった数枚の写真、されど成人と言う人生の節目だからこそ撮りたい写真。そうして成人の年、私は振り袖とチョゴリを着てカメラの前に立ちました。
撮れた数枚の写真を見て、確かにそこに“私”がいました。
淡い緑色のチョゴリと鮮やかな赤色の振り袖を着て満足そうに微笑む自分がいました。成人してから少ししか経ちませんが、昔よりかは心の整理が付いたと思います。
ねあ