【今日のあなたに#3】ものごとの境界線を表す言葉
とどのつまり:現地の人の反応を交えたシュールストレミング話が面白かった。それより「たまらない」の多義性を用いたギャグが気になった。
あいかわらず、なぜレコメンドするかは不明。
おもしろかった。
内容は、日本ではおもちゃ扱いされている、魚の缶詰「シュールストレミング」の食レポ。
まあ、缶詰自体はこすられすぎていて、新味はないのだけど、スウェーデンの知り合いから誘いということで、土着のディティールが面白い。
当然と言えば当然だが、現地の人にとってもある程度の覚悟はいる食べ物らしい。エクストリームスポーツ選手も安全には気を使わねばならない。(1)
比較対象としてクサヤがでてくる。そういえば私は、クサヤを食したことはない。なれ寿司も、魚醤さえちゃんと賞味した経験がないのだ。マイノリティなだろうか。
と、ここから私の琴線に触れた、主幹でない話題。
食事の段になって
というとてもおもしろいギャグがある。
とてもおもしろい。
アウグスティヌスも興味を示すことだろう。(2)
前々から、境界線を表す言葉というのが気になっていたので調べてみた。
で、
「たまらない」についてではないけど
「いいかげん」の変遷についての論文を発見。
室町時代から使用されていた言葉で、当時は、〈ちょうどいい〉、プラスの意だけとのこと。
それから、1500年頃には、マイナスの意味での、いいかげんが現れてくるそうな。
ここからは私見だけども
上記noteのような言い回しで、ユーモアや皮肉によって、表現がひろがりそれが定着していくのかな、と。
テキトー、やばい
とかとか。
境界線のどちらかではなく、エッジそのものを意味するので不用意に汎用性が高い言葉になっている。
おそらくだけど「穿った見方」というのも、
「本質を突いちゃったかのような、鋭い斜め見」という皮肉表現が、あまりに魅力的だったので残っているのだろうと想う。
みたいなことを考えたりした。
全然上記記事と関係ないなああこれ。
了
脚注:読むほどでもない駄補足
(1)エクストリームスポーツ:危険に身を置く遊びであるが、危険だから楽しいではなく、危険を制御できることに歓びを見出しているのだそうな。『フロー体験:喜びの現象学』
(2)言葉の多義性:アウグスティヌスは、多義性に関して人類初の小論を書いたらしい。