何度も読み返した本「スプートニクの恋人」
「本は買うひと? 借りるひと?」
「借りて気に入ったら買うひと」
「それ、何度も読み返す?」
「うん」
うん、とあのとき答えたけれど、さて、わたしは何をそんなに読み返しているのだっけ? と思い、書き留めてみることにした。
★「スプートニクの恋人」村上春樹
幼少期から思春期にかけ、わたしは、いわゆる読書の王道と呼ばれる道を通ってきたと思う。小学生の頃「赤毛のアン」に惚れ込んでモンゴメリを読み漁り、中学生になると太宰治の暗澹さにのめり込み、背伸びして谷崎潤一郎を読んでみたけれど理解できず、大人の女性に憧れて江國香織や川上弘美、よしもとばななや山田詠美などを読みふけり、そして村上春樹を読んだ。高校の図書室で。
「ねじ巻き鳥クロニクル」を借りたら、司書の先生が話しかけてくれた。「わたしも読みましたよ」と。いまのわたしが逆の立場でも、村上春樹借りる女の子がいたらきっと話しかけてしまうだろうな。
「スプートニクの恋人」を初めて読んだのも高校生の頃だった。図書室で借りたのではなく、わたしが当時好きで好きでたまらなかった男性の奥さんが貸してくれたのだった(意味深)。「この本の登場人物、ユウにそっくりなひとが出てくるから読んでみて」彼女はそう言って渡してくれた。
当たり前のことだが登場人物はひとりではなく、わたしにそっくりって、誰を指してるのだろう。読んでいったらわかるかしら。…そんな危惧もむなしいくらい、ああ、この子のことだと言いたいのだろう、とすぐにわかった。
なんというかそういう出会いだったから、わたしにとって特別な本になったのだった。
作者本人も何かに書いていたが、この本は彼の比喩表現がこれでもかと発揮されている小説だ。おしゃれで、シニカルで、時にわかりにくすぎるほどの。そこもわたしは大好きだ。色や温度や触り心地、なめたらざらざらするとか、そういうところを余すことなく表現したくなる気持ち。
これからもきっと読み返したくなると思う。ラジオ体操みたいに、身体のどこかをメンテナンスするような気持ちで。
…といっても、いま手元にこの本はない。わたし、一時期とても熱心にこの本の布教活動をしていて、某中古書店で百円なんかで見つけるとストック買いしてまわりに配っていたりしたのだけど、どうやら誤って手元に置いておくぶんまで配布してしまったみたい。引っ越しのついでにあげちゃった、という可能性もある。
大切な本なのに、この扱いだなんて。いいの、図書館でまた借りるから。