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戦争体験を語っているおばあの横で笑ってしまった話。

先日おばあは戦争体験の取材を受けた。
沖縄のテレビ局で、当日の朝から大勢の人と機械が家の中に入ってきた。私は何度かおばあの取材を横で見ていたことがあるけど、こんなにも人が入ってくるのは初めてで、私が怖くなって震えていた。


おばあの息子の嫁のYさんが「おばあの話よく分からないところあるよ。この子ずっとおばあの横について何回も戦争体験の話聞いたことがあるからこの子に通訳してもらったらいいよ。」と言って私を引っ張り出してくれたおかげで撮影中おばあの横に座らせてもらえた。
「1番の理解者ですね」と言われたけど、おばあを理解できたと思ったことは一度もない。いつも理解しようと頑張るけど分からないことだらけだ。
だから馬鹿みたいにおばあの側にできる限り居たいと思っているだけ。

私は画面の枠の少し外に座り、質問の意図とおばあの話がかみ合わないときに、手助けをする。
順調におばあは戦争体験を語り、覚えている歌まで歌いだす。笑
度胸があるおばあは緊張することなく受け答えしていた。

私はおばあと生活しているし、体験談は日常で聞いてきたから、「あー今気持ち入ってるな」とか「質問の意味わかってないな」とかおばあの気持ちがなんとなく分かった。
分かってしまうと面白い、笑えてくる。まったく気持ちが入ってない、最後気が抜けるような返事をしたりするから、吉本新喜劇みたいにズッコケたくなる。


おばあ達の話を何回も聞いて私が学んだことは、「〇〇でしたか?」とか質問した時に「そうだね」みたいな同意の返事するときは、そうじゃなくて答えるのが面倒くさくなっているときが多い。(質問の意味がわかってない場合もある)
少し時間がたって質問の仕方を変えるとちゃんと答えてくれるから、重要な質問は何回もするべきなんだよね。

今回はそんな場面も多かった。特におばあは自分の気持ちを言うのが苦手だから、
「そうですね~」を連発していた。
気の抜けた「そうですね~」の時とうとう私はマスクの下で笑ってしまった。
おばあ頑張って(笑)って。
マスクがあってよかった。笑


おばあの感情が入る質問を、私は知っている。それをテレビの人たちが撮りたいと思っているのも分かる。
でも下手に介入はしなかった。
私はテレビの取材のときの
おばあもそれで良いと思ったから。


一通り取材が終わり、取材班は島にある忠魂碑にこのあと撮影に行くことになっていた。この忠魂碑には日中戦争で亡くなったおばあのお父さんが祀られていて、当時の除幕式もおばあが除幕をの係りを務めた。
「どうせならおばあも一緒に行けば」とYさんの一言で、当初予定ではなかったけど、おばあも行くことになった。戦後ぶりに行くらしい。

私はおばあと一緒に忠魂碑の前に立てたことが嬉しかった。戦前は学校の登下校中この忠魂碑の前を通り、遺骨も帰って来ないお父さんを、想っていたらしい。今戦後76年経ってお父さんや、亡くなった友達を思い出す、昨日のことのように思い出すと、おばあは語りだした。
「海ゆかば」も忠魂碑の前で歌った。

こういう機会があることで、おばあは記憶を反復し、いつもはできない体験をする。
そして新しい「戦争」の記憶がおばあの中に生まれる。
その横に、私もいる。
そんな奇跡を私は噛みしめながら、おばあと歩いた。



私は帰って来てから疲れ切ってすぐソファーに寝転んだけど、おばあは横で新聞を読み始めた。気力体力化け物か!
ここだけの話、「取材が来たら絶対に外に出ないよ、寒いさー」って言っていたのに、外での取材を快く受け入れていた。そんなおばあが大好きだ。
私は今日もおばあと生きています。


PS
放送予定日
3月20日(土)13:00~
RBC琉球放送
だった気がする(笑)

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