特攻隊員との懇談雑記①
以前、小説家になろうにて投稿した内容です。
戦後80年、あの大戦からすでに80年が経とうとしている。
元特攻隊員は、既に90歳を超えている方が多くなっている中、私はひょんなことから知り合ったあるご老人から、話を聞くため、彼の自宅にお邪魔した。
話というのはタイトルの通り、特攻隊員の話である。
私は戦後生まれの人間である。当然、戦争の経験などはない。ただ、与え過ぎられた戦争という形而下的な知識はある。
終戦記念日の前後に、(もちろんこれは盆という季節がらかもしれないが)某テレビ局が流す思想に汚染された終戦特集や、意図的な戦争教育の影響を受けてぬくぬくと育った私達の世代は、もちろんそれがなんであれ、
戦争の、専ら、第二次世界大戦の太平洋戦争のアジア・太平洋戦争の……ん?十五年戦争の知識を持っている。ほぼ、大東亜戦争の知識は持っていない。
戦争というのは、戦いや戦闘を組織や国家が行うことを大局的に或いは全局的に言い表す言葉だとすれば、
「戦争」という言葉は、様々な戦いを意味する言葉である。
もちろん日本史的に言えば、日清、日露、時代をもっと遡れば何だかの役とかも入ってくる。欧米史的には、第一次世界大戦、ナポレオン、30年戦争とかが入ってくるだろう。
戦後で言えば80年間、戦争をこの国はしてこなかったために、新たに現代戦を経験してはいないが、ふとテレビを見れば、外国で代理戦争、対テロ戦争、ゲリラ戦をやっているのを目にすることができる。
ひょっとすれば、英雄叙事詩や、軍記物をイメージする人も多いのではないだろうか。
だが、私たちの戦争と広く一般的に言われるそれは、
民間人を容易く殺める焼夷弾
食糧難と徴兵と工場勤労
自殺を進めるような軍
或いは
むやみに戦域拡大をする軍
あらゆる分野で後れをとり、精神で何とかしようとする戦場
悲惨で残虐な軍
というような総じて、国家総力戦や特攻など単純に悲惨、残酷と形容されるような内容で包まれたものではないだろうか。
当然、そのような歴史観に彩られた当時の国家観は、決して良い感情を覚えることはない。
私は、そのような心情の中で元特攻隊員に聞いてみた。
ならなぜ特攻隊員は、死んでいったのか。元特攻隊員は経験を話そうとしないのかということである。
言うなれば「私達は国家に殺されそうになった」とか「あれは一種のテロだった」とか言えるはずである。失礼を承知で言えば、全面的に被害者ずらをして一切を「日本国のせい」だと言ってしまえばいい。そうすれば、隣の国みたいにお金をいっぱい貰えるはずだ。
だが、彼らはそもそもそういったことは言わず、もっと言えば自分が特攻隊員だとは言わずに墓まで持っていってしまった。
なぜなのか?結論から言ってしまえば、言えなかったのである。
戦後特攻を行わなかった隊員は数多く、彼らは復員をすることになったが、その時に「特攻隊員の時の話はするな」というような仲間達の共通認識?が出来上がったのである。そしてその認識は戦後長く続き、仲間達による双方の監視が行われてきたのだ。
特攻隊員もほかの軍人と同じように敗戦に負い目を感じていた。「自分たちは負けて帰ってきてしまった申し訳ない」という心情で、しかも自分たちは自身の命までかけてまで戦果を得ようとしてたことは当然理解をしていたので、その心情は他の軍人よりも大きかったというのは容易に想像ができる。
また時代は経つにつれて、彼らに話を一層させずらくした。
戦後直後の人間は、まさに敗戦というものに失望や無念が共通にあり、それは大きなものとして日本を覆っていた。その影響は当然資料に残されているし、戦後開拓のような大きな政策を行う要因の一つになった。しかし、そのような負の感情は何処へ行ったのか。これが、いわゆる自虐史観の始まりであるし、日本の極端な欧米化の始まりであったのだろう。
そしてそのような趨勢の中、戦中に散っていった隊員は「KAMIKAZE」ともいわれ、両翼にとっては都合の良い材料となった。一方で存命の方々は、負い目を未だに感じている。これがジレンマとなり、一層固く口を閉ざす原因になったのである。
これに困った両翼は素材として「KAMIKAZE」の利用を始める。某テレビ局の特攻隊員の特集では彼らの手記が利用された。某映画は、実話を元にしたフィクションを作った。(某映画は好評みたいだったが…実際のところどうだったかのかわからない)
当時を知っている人を抜きにして、とうとう死人が喋り始めたのである。
だが当然自分の意図した方向に、取材をもっていこうとしているので、各部分がおかしくなってくる。
特に心理状態などは完全におかしくなってくる。少なくても某テレビ局の方は隊員が見た状況とは全く違っている。もっと詳しく言うと、特攻をする人の心情が総じて凄惨な残酷なものであったとは決して言えないと、隊員は語ってくれた。
なぜこのようなことが起きるのか。
当時の感覚と現在の感覚が大きく乖離しているということに気付かず、一方的に現在の物の考えで、杓子定規に当てはめたからである。
少なくても当時のことを語る以上は、その当時の時勢はよく理解しておかなければならない。