破滅するギャグ漫画家と破滅しないギャグ漫画家

今日は、古来よく言われる「お笑いを描く人は短期間で破滅する」に関する私見のば。

まずは、YouTubeのコメント欄で、花沢健吾と新井英樹の違いについて質問がありましたので、その返信を紹介させていただきます。

「そこに愛がある」のが新井英樹
「そこに愛がない」のが花沢健吾
そして、「実は、そこに自己愛があった」のが古谷実

実は、これユング心理学タイプ論を用いて解説しています。普通の人にも読んでもらえるように、用語は用いずに話していますが😉そして、

「なぜお笑いを描く人は破滅するのか」

に対する回答は

「おかしなものを描き、同一化するから」

これです。

新井英樹のように、「愛をもって主人公」を描く場合は、多くの少女漫画のように「贔屓の引き倒しになってい自家中毒」になります。その結果が、少数のファンや層にだけ受ける作品しか作れなくなる現象。「鋼の錬金術師」の荒俣弘もここにカテゴリーされます。お笑い芸人やギャグ漫画家が識者化するのもこれでしょうね。愛を持って他者に接するが故に、説教臭くなりますから。

古谷実のケースの場合は「変な自分を描いていったら、可哀想になってきて、救いを与えた」ケースです。この場合は、果てのない自己を覗き込む行為に疲れるか飽きるかして、徐々につまらなくなります。しかし、古谷実の場合は「徹底して自己を覗き込む行為」をやめなかったんですね。

「稲中」←中学生
「僕といっしょ」←高校生
「グリーンヒル」←大学生
「ヒミズ」←中学3年生

主人公達の境遇がだんだん笑えなくなってる。そして、作品と話が進むたびに、徹底的に笑えない状況に追い込んでいって、最後は「ヒミズ」となる。

「怪物と戦う者は、その際、自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。 長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ」

まさにニーチェの名言通りになったわけですね。

では、破滅せずに安定してヒット作を輩出し続けるタイプはと言うと、上記のように「登場人物と同期しないように突き放す」んですね。これは心がけではなく、性格だと思います。

花沢健吾の登場人物に「不細工でイケてないのに可愛くて性格のいい彼女がいる」ケースは皆無ですから。いたとしても、「プログラムの彼女」とか「障害持ちの変な女」とか「結局ヤれず、イケメンにヤラれる女」とかそんなんばっかでしょ😫リアルだ…

同様に、若杉公徳の登場人物も似たような惨状で、こっちはとにかく「ヤリチンが好き放題に女を食い散らかす」のがデフォルトの世界観で、ひたすら「童貞いじり」をして笑いを取る、鬼畜のような仕様ですからね😢しかも、童貞が一様に皆痛い…

この二人の作家に「そこに愛はあるのかい?」と問うたところで、まるで無意味で、こいつらは世界観のリアリティのために、絶対に登場人物を甘やかすことはありません。むしろ、甘やかさないほうが面白くなるとわかっててやってる故意犯ですからね🤭素敵

ということで、今回は「破滅するギャグ漫画家と破滅しないギャグ漫画家」の違いについて、語ってみました。


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