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庭と生き、庭を造る。感動を生む庭師の生きざま〜ものづくりのまちと本
ものづくりのまち、燕三条地域には工場が集まって、たくさんのつくり手たちが生まれ活躍しています。そんな動きに目をこらし、丁寧に集め、つなぎ合わせる。まちを新しく編集する視点で日本有数の産地に訪れた。
便利なものが台頭してもなお、代替されずに存在感が一層増すものがある。そのひとつが、個人の「感情」だ。人によっては、年を重ねるほど涙腺が緩くなるなんて聞いたことがあるだろう。では、感動とはなんだろう。
たとえば、この感動ということばを誰に、どう教わったかまで考えても確かな記憶がない。ある種、自身で答えを導くしかない不可思議なメカニズム。
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新潟県三条市に舞台をうつしてみよう。
穏やかに、ただありのままに。三条市の山岳地帯では、豊かな自然が広がり、静かな空気が流れる三条市保内地域がある。ここで、“庭”を起点に、人びとの感動を造ろうとする庭師がいる。藍庭(あいにわ)代表の畠弥真人(はたやまと)だ。
藍庭の取り組みは、まるで物語が見えてくるような、世界にひとつしかない庭を造り、届けること。企業や団体、個人宅の庭を手がける畠さんに感動を造るヒントを探ってみた。まず、畠さんの人物像を探るために、ご本人の推し本から考えてみよう。
畠弥真人さんを紐とく一冊「ぼくは愛を証明しようと思う。」
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タイトル
ぼくは愛を証明しようと思う。
書籍情報
出版:幻冬舎、著者:藤沢数希、装丁:川名潤
内容紹介
「恋愛なんて、ただの確率のゲーム。正しい方法論があるんだ」。恋人に捨てられ、気になる女性には見向きもされない二十七歳の弁理士、渡辺正樹は、クライアントの永沢にそう告げられる。出会いのトライアスロン、会話のルーティン、セックスへのACSモデル。テクニックを学び非モテから脱した渡辺だが――。恋に不器用な男女を救う戦略的恋愛小説。
推し理由
率直に、思春期に見たかったなという本だと思いました。俺の内側で一定のルーティーンを決めて、淡々とこなしていく大切さ。今、この本を読んでも共感できます。
なぜ、この一冊をお勧めしてくれたのか。畠さんが庭師としてこれまでの歩みを伺っていくうちに見えてきた。
気づいたら親父の背中を追いかけていた
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庭師の仕事といえば、お客さまから依頼を受けて庭園を作ったり、庭木の手入れをすることが主とされている。畠さんは、さらに一歩踏み込んでゼロベースでデザインや企画提案を行う。ときに、設計作業で用いられるソフト「CAD」を利用し、庭の図面を描くこともする。
お庭といえば、和風庭園。そう聞いて一般的に松であったり、池、岩が並ぶような庭を想像する方が多いですよね。そんな一世代前の庭師が造った和風庭園のイメージを払拭したいと思ったのがきっかけでした。
和風庭園であっても、昨今さまざまな表現方法があり、もっとお客さんに喜ばれるものができるし、本当にお庭自体に愛着を持ち、それぞれの幸せの価値観として捉えられるようにと空間づくりを行っています。
畠さんがそう考える至ったのは、青年時代。そこから遡っていきたい。
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もともと、畠さんは代々続く園芸の家系に生まれ、祖父や父親も庭師として活躍してきた。そのため、父親は「我が子にも庭師をなってほしい」と造園科がある高校を薦めた。
当時の畠さんは、高校時代の大半をスポーツに注ぎ、庭師になりたいとは考えていなかったそう。進路に迷うなかで、高校の推薦枠を活かし、県外に飛び出してみたい。そう考え、福岡県にある西日本短期大学に進学し、造園技術を学ぶ。
福岡県で造園技術とは何かを学び、神奈川県にある造園会社に就職しました。そこで、造園の奥深さを体感したんです。過酷な現場の毎日で、約1年半で辞めてしまいました。
でも、技術的にも造園に対する考え方にもまだまだ甘いと痛感したからこそ、次の会社にいっても庭を造りたい気持ちは変わらずにいました。ここでは何を造るではなく、どうやって造っていくかを学ばせてもらいましたから。
その想いは、次に務めた造園会社でも、地元三条市にUターンして家業に携わっても、どこか物足りなさを感じるほど。自身の造園に対する骨格が構築された期間だと笑いながら話した。
庭を造るためにお客様との約束事
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畠さんは、庭造りの理想を追い求めるために地元に帰っても父親の会社を就かずに、個人事業主で庭師を続けてきた。30歳(2011年)で、藍庭を立ち上げた今もなお変わらない。
三条市に戻ってからは造りたい庭が造れない葛藤もありましたが、我々の仕事はものづくりだと気づき、施工する庭造りに対する考え方もすこしずつ変わってきました。
お客さんといっしょに庭を造ること。ある種、我々は職人でもあるし、お客さんによってはお任せにしたい、自己表現できる機会であります。ただ、「こうするとすてきになりますよ」と提案を繰り返しながら、本来実現したかった庭のかたちに近づけることを大切にしています。そうすることで、お客さん自身が庭を造ったという物語を残せるのです。
誰かが造っただけでは、愛着も感動もありません。今後、庭の手入れやずっと付き添うと考えると、自分が造ったというストーリーによって、庭との接し方が変わってくるはずです。
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お客さまと共に造る。畠さんが強く印象に残っているのが、茶道の先生と茶室の庭を造り上げたときだと語る。
茶道の先生もはじめ、庭の世界がわからないようで任せたい気持ちがあったと聞きました。私も、事前に茶道教室に通い、庭で表現できる幅を広げていました。でも、先生からご本人の美意識をぶつけてもらったとき、お互いに本気になれたというか。
もちろん、庭造りとしてできることできないことがあります。お互いに、意見を擦りあわせながら茶庭で表現する、その共同作業の過程にこそ意味があったと気づきました。
私の心にも大きな物語として残るほどでしたから、先生にとっても我々の手仕事から「庭に想いが宿った」と褒めてもらうほどです。
藍庭が手掛ける庭造りでは、手仕事でかつ野外作業が大半。そのため、決められた工数で進むことが少ないという。しかし、お庭という自然を接し、目に見えないものと対峙する庭師の技術とその背中には、お客さまの心を揺り動かす、確かな付加価値があるのだ。
時代によって幸せの価値観が変わる
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話を現代に戻そう。コロナ禍を経て、産業や暮らしに大きな変化をもたらした。庭造りにおいてもそう。これまでの生活様式が一変し、多くの人たちが幸せとは何か、と価値観を見つめ直すようになってきたと畠さんは感じる。
産業の拡大や維持に重きが置かれてきた時代から、コロナ禍に入ってからは一層、幸せとは何かを考え、意外と芯を捉えられていないことに気づきはじめた人が多いと感じます。
私も、この期間で家族と過ごす時間が、本来の幸せと気付かされるほどでしたから。それを燕三条地域に置き換えると、どうだろうと思う。ものづくりのまちの発展が重きに置かれてきたけれども、それが一個人の幸せとして結びついているのか。また、住んでいる人たちにそう認識されているのか。
これまでに無意識に犠牲にしてきたこともあるでしょう。価値観を尊重しようとする昨今で、我々の庭造りが地域ひいては個人の幸せとどう結びつくのかを伝えないといけない。
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その一手として藍庭が考えているのが「庭結び」である。庭結びとは庭の終活と銘打ち、これまでに丹精に手入れしてきた庭を後世にどう受け継ぐかをサポートするものだ。コロナ禍を経て、家族と過ごす時間が増え、家に居る時間が増えたからこその個人と家族、そして庭の関係性を見出したからである。
固定概念のままでは造園業、ひいては三条市に居る庭師たちは衰退してしまう。下手すれば現在の5分の1まで減ってしまう可能性だってあります。
だから、保内地域の庭師が0にならないように、“庭”を起点にどうアプローチできるのかを考えないといけない。いわゆる、あたらしく庭の事業を造ることです。
たとえば、庭を持つ人の心配ごとで、老後にこの庭をどう引き継ぐのか。このままがメンテンスするのがよいのか、庭結びのように他事業者と連携して庭をプロデュースするのか。
これまでの庭師たちが着手してこなかった手法で庭師の技術を未来に紡ぐこと。少人数であっても庭への想い、時代に合わせた個人の幸せに寄り添えると思うのです。その結果、保内地域の庭師たちは残り続けるはず。
感動とは誰かといっしょに過ごす時間であり、共同作業から生まれるそれぞれのストーリーにヒントが隠されている。畠さんが見据える未来の三条市と庭師としての眼差しが、幸せのあり方さえも見つけるものになるかもしれない。そう感じさせるひとときであった。
取材先
藍庭
〒955-0021新潟県三条市下保内3678
電話:0256-64-7565 (営業時間:8:00~17:00 日・祝日休み)
Webサイト:http://ai-niwa.com/index.html
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