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介護日記2#52介護1だった頃の母と、数年前の私の日常

今から数年前の介護1だった頃の母の事と数年前の私の日常を記載してみようと思います。

その頃の事を綴ったnoteです。
お時間がある時に読んで頂けると嬉しいです。


母は色々な事が出来なくなってきた為、要支援2から介護1になった。
それまで週2回通っていたデイサービスを週5回通う生活へとサービスを変更してもらう。

私の仕事が休みとなる平日の1日と日曜日以外に、デイサービスを利用。

平日のデイサービスに行かない日に、内科、整形外科、眼科、脳神経外科など毎週の様にどこかのクリニックに私と行き、帰りにスーパーなど寄り道をする生活。
スーパーでは物珍しそうにキョロキョロしていた母。

今は在宅医療の先生が訪問診療をしてくれている。本当に有難い。

その頃通っていたデイサービスは年中無休でお正月もお盆休みも無く営業。
日曜日も営業していて、季節の行事がその日曜日に時折あっており参加させてもらっていた。

節分祭、夏祭り、運動会、クリスマス会などなどデイサービス以外のスタッフも総出でイベントに取り組まれていた。

スタッフの出し物、ゲームや歌などを楽しんでいたであろう笑顔の母が写真に残っている。

また桜、コスモス等のお花見や街の祭り見学にも欠かさず連れていって下さっていた。
今思うと幸せな時間だったはず。
私は仕事が忙しくて母との会話もほとんど無い状態で母とどこかに行く事も全く無かった。

唯一、前記のクリニック通いとスーパー位。


デイサービスの元々の母体は内科クリニック。
敷地内に内科クリニック、ショートステイ、介護付有料老人ホーム、グループホーム、デイサービスを持つ所だ。

最初はショートステイの利用の必要性も全く無かったのだが、義父が入院したタイミングで利用し、それからは何度か活用。とても有りがたかった。

ショートステイを数日利用した時は、ショートステイで朝食を食べた後 9時頃デイサービスのスタッフが迎えに来てそのままデイサービスで過ごし、昼食、入浴、おやつまで通常通りの生活。夕方5時に再びショートステイに戻り夕食、就寝となる。
じっとしている時間も少ないし、昼間は知っているいつものデイサービスで過ごせていた。
なので、母本人も私も安心して利用させてもらっていた。

色々あって現在介護5だ。
そんな以前の母の事はふと甦る。
懐かしい。

あの頃は私も働きながら母と生活していたので必死だった。乳癌も患ったが、生活の為、子供達の学費の為に仕事を辞めるわけにはいかなかった。

家の事は最低限。
帰宅が遅くなってしまった時はお弁当やレトルトで済ませたり。
夕食を食べてほっとすると必ず1時間程眠りこけてしまっていたのを思い出す。
朝、洗濯機を回す時間が取れず夜中に回す事も日常だった。

あの頃は何を楽しみに生きていたのだろう。

頭の中は仕事のことばかり。
仕事はデイサービスの介護士。

来週のレクリエーションは…
来月の行事は…

入浴のスタッフ割り振りをどうしようか…
など

休日も仕事を持ち帰り、過労で身体を痛め、ボロボロになっていた。
更年期障害にも悩まされていた。

仕事を辞めた今は、なんだか人間らしい生活が出来ているような気がする。

2020年2月6日
母は転倒した。

その数日後、意識不明となる。
胃十二指腸穿孔となり命は消えかけたのだった。
しかし、緊急手術で命を繋いでくれた。私の為だったのかもしれない。

私は仕事を辞め、母の介護に専念する事になったのだから。

後悔しないように。

フェードアウトするように、
ゆっくり別れが出来る様に。

命が消えゆく様を見せつける為に。

そして忙しすぎた私が、
人間らしい生活をする為に。


ゆっくりのんびりの有難い日常。

全てに感謝します。



支援1から介護5になった頃の母の様子や私の事を綴った記事やつぶやきの11編をマガジンにしています(上記に紹介している記事を含む)
こちらもお時間がある時に読んで頂けると嬉しいです。

読んで下さってありがとうございます
今日も明日も良い事がありますように(ビオラ)



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