![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/101263326/rectangle_large_type_2_8d3b878d60ef8e3f88a90c716a4d408f.jpeg?width=1200)
介護日記#56排泄について…仕事としてのデイサービスのトイレ介助と、母が介護1だった頃のトイレ介助を振り返る
私達は食べ物を食べて消化し排泄して生きています。
必ず必要な事。
出来なくなれば命に関わってきます。
デイサービスで働いていた頃の事。
今は退職してしまったので、記憶の中にある様々な事を綴っているのですが。
排泄についての私の経験を記事にしようと思います。お付き合い頂けると嬉しいです。
デイサービスでの排泄のパターンを幾つかのグループに分けるするとすれば…
①自立しており全て自分で出来る方
②パットやリハビリパンツを使用しているが汚染した際自分で交換出来る方
③尿意は有るが時々間に合わずパットやリハビリパンツを交換する必要があるが自分では上手く出来ない方
④尿意が分からなかったり、意思を伝えられなかったり。トイレに行ってもなかなか排泄出来ない方など。
①②は基本スタッフは関与しない。
③はトイレの中までスタッフが付き添って確認する。汚れている場合はコールを鳴らして別のスタッフに新しい物を持ってきてもらい交換する。
④は定期的に(一覧表があり、案内した時にチェックするようになっていて、皆がこまめに気にかけていた)スタッフがトイレに案内し座ってもらう。車椅子だだったり認知症が重い場合だったりが主な理由だった。
タイミングが合えばトイレに座ると排泄が出来る場合もある。
もじもじしたり、立ったり座ったりなど言葉では表現出来なくても“行きたい“とこちらにもわかるサインを出す方もいた。
水の音を聞くと出たり、腰辺りをさすったりしてみると効果があったり。
試行錯誤していた。
③の場合はスタッフがトイレの中に一緒に入る事に拒否や困惑がみられることも多々あって。誰もがそうだと思う。
例えばトイレットペーパーがちゃんと有るか確認させて下さいと言ったり、水の流れが悪いと聞いたので確認させて下さいと言ったりして、相手が仕方ないと思って一緒にトイレの中へ入らせてもらってから、リハビリパンツやパットに失敗が無いか確認をしていた。やはり間に合っていない場合が殆どだった。
時にはトイレ内の汚物入れに汚れた下着が入っていたことも。
①②の方が汚してしまい、脱いで下着は着けずにそのままズボンを履いてしまわれたのだろうか。
スタッフは気付かないままだった。送迎後夕方掃除の時にスタッフがみつけた。
③の方で拒否無く同行させてくれる方もいた。毎回自らパット等見せて「大丈夫よ~あなた達も大変ネ」とニコっと笑って言葉を掛けて下さったり。
人間は失敗する。
普段完璧な人はプライドもあって、自分の失敗を隠したがる。
先ほどの汚物入れに入っていた下着の様に。
しかしどうしようも無い時もある。
ある時トイレのコールが鳴って行ってみると、着ていた衣類の殆どが、間に合わなかったのだろう、汚れていた。
申し訳なさそうにうなだれている。
上靴、靴下、ズボン、シャツ、肌着。
全て。
私達スタッフは出来るだけスムーズに着替えてもらい元の穏やかな時間に戻れる様に手伝う。予備の衣類が持参されていない場合は貸し出し用衣類の中から今着ている衣類とあまり違和感の無い物を選んで着てもらっていた。
その時に必ず皆
「ごめんなさい、ご迷惑おかけしてすいません」と申し訳なさそうに言っていた。
私はそんな時
「自分の母が介護が必要となった時手伝えるようにこうして訓練させてもらっているんです。こちらこそありがとうございます」とか、
「トイレに行って大や小が出来るって幸せなんですよ!病気になって出来なくなる事だってこれからあるかもしれないんですから」など話すようにしていた。
実際そうだったし、そんな話をしていると相手は少し元気な声に変化してきていたから。
全て愛があれば出来ること。
私の母が介護1でまだ歩行が出来ていた頃、やはり自宅でのトイレには苦労した。
リハビリパンツに少し慣れた頃だった。パットを当てていたのだが…なぜか?
母がハサミで半分にしたパットを付けていた。
トイレでみつけた時は何がこぼれているのか分からず掃除にも苦労した。
見るとパットが半分に切られていて、そこからポリマーが出ていたのだと判明した。
母はパットが大きくてもったいないと思ったのだろうか?
ビックリした。
何度か続いた。
節約家だった母。
肌着や靴下は透けたり破れても補修をして使えなくなるまで着ていた母だったから。
そしてあの頃夜は頻回にトイレに行っていた。レビー小体型認知症の症状の1つに自律神経症状があり、排泄調節が出来なくなっていた。
母の歩きがフラフラになってからは毎回付き添って私がパット交換までしていた。
その頃私は仕事もフルタイムだったのでかなり疲弊していた。夜中、多い時には10回以上起きていた。
今は歩けなくなったので転倒の心配も無いしトイレ誘導の必要性もなくなった。
私は仕事も退職したので、母が施設にいる時にどうしてもきつい時には横になることも出来る。
あの頃よく頑張っていたと思う。
母の場合、介護1の期間が長くその後は介護2になったが直ぐに入院となった。
入院中に介護5となりそれから丸3年。今思うとやはり介護1の頃が1番大変だったと思う。
もちろん個人差がある。
母本人の意志がはっきりしているとこちらの思うようにはいかないから。トイレだったり、食事だったり、全てにおいて。
今はこちら主導の事が多い。
それでも羞恥心が強く出て、オムツ交換時にとても苦労する事がある。
在宅介護をされているご家族の皆様、
本当にご苦労様です。
出来る事を出来る人が出来る時に。
休めるときはしっかりと身体と心を休ませて。
どうぞ皆様お身体ご自愛下さいませ。
私も気を付けます。
読んで下さってありがとうございます
今日も明日も良いことがありますように(チューリップ)
いいなと思ったら応援しよう!
![レビー小体型認知症母の介護日記(ジュゴンM)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/52547937/profile_9d6fcd0023f3e256a234eaf37370dc79.jpg?width=600&crop=1:1,smart)