小説版『ゴジラ -1.0』が良すぎたので、初めての有料記事を投稿してみんとす→無料にしました
小説版『ゴジラ -1.0 』、読了しました。
敷島の心理描写や、映像で受け取りきれなかった情報の他、
“神と対峙することに等しい“
など、“神殺し“に手を染めている描写をより強く描いていました。
監督が直接脳内に情報を補完してくれる映画後の必修コンテンツ、おすすめです。
映画の感想記事はこちら。11/3(金)当日に2回観てその日夜に仕上げました。
(元)初有料記事
今回、小説の内容をしっかりメモりながらの感想だったので、無料で購入した本の内容を載せるのはどうだろうか…と思った結果、有料記事機能の初運用を試してみることとしました。
線引きとしては、映画の感想を文字で伝える分には、ネタバレ感想を読みたい人が読んだところで、映像を鑑賞して得られる情報量や体験には遠く及ばないため、映画に興味を持ってくれる人が増えるいい効果があると思っているのですが、こと小説に関しては、そもそも“情報“そのものが購入の価値ですし、さらには公開されている映画の内容を述べているもののため、無料で作品のあらすじ以上の情報や、小説ならではの情報を公開してしまうのはさすがにどうだろうと。
有料記事に設定すれば、小説を買うよりかは安いですが、きちんと対価を払って情報を獲得することにはなるかと。
こんな読むくらいなら小説買うわ、ってなるのもよし、
1番嬉しいはこの記事読んだあと、さらに小説も買うわ!ってなることですかね。
だいたい2000文字くらいです。
どうぞ✋
→24.5.1有料部分を公開しました
敷島の心理描写
大戸島での敷島の心理描写、かなり“逃げ“というか、こんな追い込まれてたのかと…
特攻忌避が重罪であるという罪の意識と、多くの人に責められるであろうことに怯えていて。
映画でもあった海岸で優しい言葉をかけてくれる人の存在が大きかったと思ったけど、映画になかったシーンで、みんなで食事をしていて、特攻しなかった自分を受け入れてくれる集団だった描写があった。
その直後の呉爾羅襲来のシーンで、敷島はまた自分が死にかけることに怯えて、銃を撃てず、仲間が死んでいく……。いやでも、敷島の見立て通り、怒らせることをせずいれば、全滅は避けられたかもしれない。
恐れから銃をぶっぱなしてしまったから呉爾羅の気を逆立ててしまったのは確かだし、20mm砲なら殺せる、っていうのも根拠はなかったわけだし……。
その後迎えの船が来るまで、橘とは気まずかったらしい
もう死ぬかもしれない、迎えも来ない、見捨てられたと野宿してたと。
深海魚描写
深海魚のシーンにも説明があった。
呉爾羅が動く時、深海の魚がびっくりして慌てて浮き上がるから、内臓や目が膨らんで死ぬんだと
(これ海神作戦の伏線じゃん)
復員省、十死零生、係維機雷
帰国後はおよそ映像通りだった。
生きる気力もなく、ほぼ飢え死にしそうなのに、体は食事を求めて闇市に。
典子、何歳の設定なのかと思ったら、
そうか、女学生くらいの感じなのか
そりゃどうりで子どもがいるようには思えないって言われるわけだ
演者の見た目抜きで考えたら、ほんとに15歳とかのイメージなのかもしれない。
冒頭、嫌味キャラで登場した澄子さんが、赤ん坊のことを気にかけ、とっときの米を譲るシーン、
一瞬満面の笑みに、と描写が。見逃してたかも。
ここからの場面転換とセリフは映画通りで、未映像化の描写はない
復員省、十死零生、係維機雷、あたりの、聞きなれない単語たちも文字でようやく理解した。なるほど。
呉爾羅→ゴジラ誕生
クロスロード作戦描写時の呉爾羅、
“苦しみをもたらした存在にすさまじい怒りを感じながら“、徐々に体を再生していった。と、“ゴジラ“誕生の瞬間が細かく描写されてた。なるほど……。
上手くいってる感じのダイジェストシーンも1ページで記載されてて、あらためて描写されると新鮮だった。なるほど、1週間海いて、3日休んでだったんだ。2人でバイク乗ったり、典子が4人分の洗濯したりしてたらしい。
お前の父ちゃんじゃないんだぞ、
のシーン、小説だと少し冷たくも感じるが、映画では優しい言い方ではあった。明子泣いてたっけか?
失うかも知れないとわかった途端にその大切さに気づく……
眠れない敷島が機雷の改修する描写。
“このゴジラというものに対抗するということは、神と対峙することに等しい。“
これすごい一文だ、核心をついてる
“海面にあげた顔がでかい!“でちょっと笑ってしまった。
これが地の文の勢いか?
機雷爆発シーン、学者がひよって水島が「やりまーーす!」って押したとの細かい描写がいい
銀座-1.0
銀座、
“ゴジラの口から青白い鮮烈な輝きを持つ一本の光の柱が国会議事堂に向かって放たれた。ゴジラの熱線のそのあまりの高温は、国会議事堂周辺のすべての物体を瞬時に蒸発させ、液体のプロセスを飛び越して、気体に変えた。“
やはり、国会議事堂に向かってたんだ………。
内閣総辞職ビーム、再来……。
「俺達だけがなぜ貧乏くじをひかねばならんのですか?」 「戦時中みたいなワケにはいかんのですよ」
ここの説得力というか、訛り方というか、時代感たっぷりの言い回しですごかった。
水島の「駆逐艦で引っ張って持ち上げるってのはどうですか?」 、
が、自分のアイデアだから最後まで拘ってたうえに、起死回生の大逆転になるとは、恐れ入谷の鬼子母神だ。
戸籍係の役人、緊急事態に伴い、関西から補充された人員のようだったらしい、なるほどそれであの訛り方。
手紙の中身大公開
「私は大戸島で橘宗作と一緒にいた者です。大戸島玉砕は米軍の攻撃によるものとされていますが、真相は全く違います。 実は橘は沖を通る米軍艦艇に対し、無謀にも銃撃を加えたのです。反撃した米軍の攻撃により、大戸島守備隊の若い兵士達はことごとく戦死しました。その攻撃の間中、橘は責任を放り出し、山中深く逃げていたのです。大戸島の悲劇の目撃者として私、敷島浩一は一生抗議を続ける覚悟であることを橘と隊を同じくしていた皆さんにお伝えいたしたく、この手紙を書かせてもらいました。」
これはさすがに酷い仕打ちすぎる、そりゃ怒るわ。
「いいよ父ちゃんで」
「いいの?」
「ああ、俺はお前の父ちゃんだ」
おぉ、こんな会話あったかしら。
「その寝顔をもう見ることはないのかと思うと…」
って描写で、あ、覚悟してたんだ…
って再度解釈し直した。
いざ、海神作戦
2隻がギリギリですれ違ったの、
ケーブルを交差させるためにクレーンでケーブルを吊り上げてたかららしい、なるほど。
「こちら横浜曳船所属富士丸!微力ながら助太刀いたす!」
まいった!恐れ入谷の鬼子母神だ
→なんじゃそりゃ(そういうシャレらしい)
曳船のタグボートは、大型船移動のために超強力なエンジンを搭載しているらしいので、その小ささに有り余るパワーがあるらしい、はえ〜〜〜。
「浮上したゴジラの白濁とした眼」
これ、これなんですよ、これは呉爾羅ですよ。
GMK呉爾羅ですよ。
おわりに:ゴジラ映画とは神事
「人間が手を触れてはならない領域を穢してしまった後ろめたさ」
映画で言及されずともしっかり描かれていた、神殺し。
パンフレットにて、ゴジラを描き、そして倒すことは一連の神事だと、山崎監督が言っていた。
かつて、毎年のように制作されていたゴジラ映画が、東宝の“映画祭り“という大衆向けの娯楽として成り立っていたこととも一致する。
そう考えると、ゴジラ映画制作は、伊勢神宮の式年遷宮のような式典なのかもしれない。
また次のゴジラまで生きて、賛否両論に盛り上がるとしよう。