【中学受験】偏差値33のグダグダ受験(前編·グダ始め)
大逆転!偏差値30からの難関校合格!!
そんなことはまず起こらない。奇跡は起こらない。ドラマもない。何かをきっかけに覚醒したりすることも、能力が急に開花することもない。なんかそういう本もあるけど、稀有なことだから本になる訳で。それが自分達にもできる気になってしまうのは確証バイアスを疑った方がいい。
5年生の偏差値30台ならまだ時間があるからいいけど、息子は5年生から始めたのに6年生の夏で偏差値33。ウチみたいな意識高くない普通の子と普通の親の中学受験はもっと、親子揃ってグダグダなものだ。中学受験は一大産業であり、それに関するノウハウだの何だのの書籍は世の中に溢れ、色々な方がそれぞれの立場から論じているが、私たちみたいなグダグダでダメダメな場合についてのレポートはあまりない。だってたぶん、恥ずかしいから。
それぞれ子供の個性も親の個性も、家庭の事情も異なるのだから、百家族あれば百の中学受験物語がある。優秀な親子には参考になる情報はあまりないかもしれないが、父親目線で、私たちのリアル中学受験体験を開陳しよう。いわば
「グダ中学受験」だ。
他山の石、中学受験で今苦しんでいる方、偏差値低空飛行が続いている方、子供のやる気が無さすぎて撤退しようと考えている方に、グダグダのまま走り切った私たちの経験を、一つの物語として読んでほしい。何となく「父として中学受験の卒論」の気分で書いたのでかなりボリュームがあるから注意してほしい。(三部作)
きっかけは嘘っぱち
そもそも「ウチの子でも中学受験できるかも」と思った一番最初のきっかけは、
『「塾通いは1年だけの”ゆる受験”でもOK」偏差値的におトクな私立中学10校』
という、2021年のプレジデントオンラインの記事だった。6年生からでも偏差値50くらいの学校なら十分狙えますよ、というものだ。6年から始めてOKなのだったら、ウチの子は5年から始めればいいんじゃない?と。
実際に中学受験を終えて今思うのは、こんなの嘘っぱちだ。6年生から始めてのお勧め校は日大豊山、獨協とされている。いや待てや。そもそも豊山は首都模試だと偏差値50以上だからね?併願だと60超えるんじゃない?能力的にできるできないではなく、物理的に無理だろう。6年生4月から始めて、12月初めの最後の模試で志望校決めるとしても、たった8ヶ月しかないからとてもこなせる学習量ではない。おすすめの算数教材で書いてるから買ったけど「算数自由自在」なんて、500ページ以上あるぞ?アマゾンから届いて、見た瞬間に親子で心折れたぞ。(結局まったく手を付けず)もしやろうとしたら「ゆる」ではとてもできないはずだ。
「偏差値50程度の学校の入試問題は、標準的な学力を確認するオーソドックスな問題がほとんどです」
と書かれているが、その「標準的学力」の基準は「中学受験の」標準であって、小学校で学ぶ算数とは全くステージが違う。6年生から手をつけても全く手に負えないだろう。豊山や獨協の過去問見てみなよ。倍率見てみなよ。「偏差値50”程度”」だなんてよく言うよホント。これ読んでホイホイと「よーし、ウチも6年生から日大豊山目指すぞー!」なんて始めた日には親子で地獄を見ること間違いなし。
もし今4年生くらいの子供の受験をどうしようか考えている方、たとえば偏差値40~45くらいの中学の入試過去問と、通常の小学校6年生の算数の問題とを見比べて欲しい。今はホームページで公開している学校もあるから。
きっとレベルの差に愕然とすると思う。これ、入試のレベルが高すぎるのではなく、公立小学校の算数のレベルが低すぎるのではないかと思う。だから算数が中学で数学になったとたん、いきなり難しく感じさせてしまうのでは?
4年生夏頃から
元々息子は、個人経営の小さな塾に通い小学校の勉強の補強をしていた。自分から進んで勉強する習慣はなく受け身、勉強が別に好きでもない、ごく普通の小学生である。明るくお調子者。でも失敗を嫌がる、怖がり、自信がなく失敗しそうなことは最初からやりたくないタイプ。
すまない息子よ、君は父親のDNAを濃厚に受け継いでいる。トンビは鷹を産まなかった。
高学年になり、もう少し厳しめの塾がよいと考え、大手のM塾に切り替えた。と言ってもまだまだ中学受験や、子供の学力というものについて深く考えておらず、学校の授業についていけてれば大丈夫くらいの認識だった。
M塾ではA-pal教材を使い週2回通塾。A-palの共通テストでは常時優秀な成績を収め、何百人の中でかなり上位を取って何回も表彰されていたほどだった。ズバリいうと、4年生時点で受験を考えていない普通の小学生の中では上位10%以内の学力だった。
これを見て親としては、この子けっこうイケるんじゃない?という欲が生まれた。そしてコースをB-palに切り替えた。今思えばこれが私たちの中学受験のスタートラインだった。プレジデントオンラインの記事に触れたのもこのくらいの時期。決して子供から言い出したことではなかったので、これが後々大きな壁となる。
地方出身の私にとっては中学受験とは、学年に1人くらいのぶっちぎりにできる子が地元の国立大学の附属校に行く、というルートしか見たことがなかった。だが父親としては自分の過去に照らして、小学校の頃に自分も勉強の大事さを知っていればもっと頑張っていた、勉強を強要されていればもっといい大学に行けたのではないか、という強い思いがあった。
加えて、中学も高校も楽しかったけど、どちらも3年ずつというのは短すぎたと思っているので、中高一貫というのは魅力的だし、高校受験におけるいわゆる内申点というものへの不信感が強い。そこへいくと中学受験は試験結果が全ての戦いだ。小学校での通知表も提出するが、これは「ちゃんと通えるか?」を知るため、出席状況を見るのに使われると思っておけばいい。
5年生春、大手Y塾全国小学生統一テスト
そんな時、たまたま見かけた広告から5年生の5月のY塾の全国小学生統一テストを受験した。受験産業にロックオンされた瞬間である。その時の偏差値が48.5。受験の勉強していた訳でもなく、なんとなく受けたテストでこの成績だったので、これは中学受験「させてあげねば」と考えた。しっかり取り組めば偏差値60くらいは目指せると思った。ああ、無知の怖さよ。
今から思えば、5年生の統一テストはY塾生以外の、中学受験するかまだはっきりしていない層(つまり私たちのような)も大勢受けるため、偏差値は高めに出るのだろう。その時はまだ私たちは中学受験ガチ勢は遅くとも3~4年生からY塾やN塾に通っている、ということをよく分かってなかったのだ。S塾なんて医者の息子が医学部いくための別世界の話だと思っていた。
しかし「中学受験した方がいいんじゃない?」という気持ちで色々調べると、中学受験することのメリット情報ばかりが目につくもので、私たち夫婦は受験を我が子の事と捉えだした。そう、これが確証バイアスである。そして東京にはこんなにたくさんの中高一貫校があることにも驚いた。こんなにあるなら息子に合った学校もあるに違いない。
全国小学生統一テストはY塾の入塾テストも兼ねていたため、このままY塾に転塾することにした。念の為に、Y塾よりややゆるめと言われるN塾の入塾テストも受けさせてみたが、全く話にならない点数だったので入れなかった。おや?とは思ったがこの時に気づくべきだったのだ、
「N塾に門前払いされたのに、Y塾でやっていけるわけがない」
と。全国小学生統一テストは入塾テストを兼ねていると前述したが、要は入塾する子を集めるためのツールでもある。だから無料なのだ。
5年生7月8月、Y塾夏期講習
Y塾では大量の教材を購入した。教材がぎっしり詰まった段ボールを持ち上げようとして、私はぎっくり腰になった。とにかく多い、大きい、重い。そして始まったY塾は、5年生の夏期講習の少し前からのスタートだった。後から知ったことだが、少し前のタイミングでY塾の有名な教材「Yシリーズ」が改定されており、かなり難化していたようなのだ。Y塾は遅くとも4年生からスタートするのが通常だが、
「夏期講習である程度カバーできるので、今からでも大丈夫です」
という話だった。結果的には全然大丈夫ではなかったのだが、統一テストが意外に良かったことと、M塾では表彰されていたことから本人も少しは自信があるという感じでスタートした。Y塾のカバンを背負う息子はどこか少し誇らしげですらあった。ちなみに7月、初めての首都模試の偏差値は34である。
ここに落とし穴がある。5年生のカリキュラムというのは、まだ4年生である2月からすでに始まっている。なぜ2月か?それは私立中学の入試が2月に行われるから、2月がこの中学入試界隈での区切りだから。中学受験は6年生の2月第一週をゴールに設定したマラソンないし障害物競走だ。5年生の7月ということは、5年生のカリキュラムはほぼ半分くらいはすでに終わっているところからのスタート、つまりY塾のカリキュラムとしては後半戦から途中参加した形になるのだ。
5年生9月、暗黒時代へ
夏期講習はなんとかこなして9月に入った。Y塾の通常授業は当然一番下のクラスからスタートである。ここから一気に暗黒時代となることも露知らず、私たち夫婦はのんきに学校説明会イベントで偏差値60以上の学校の話を聞いていた。
過去に戻ってぶん殴ってやりたい。
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