等身大のラーメンをいただく
昨日、母のお墓参りに行ってきました。
その辺りの地域はラーメン激戦区と言われています。
電車でそれなりの時間がかかるので、事前に調べて氣になっていたお店へ行ってみました。
日常の延長で営業されているご夫婦
中に入ってみると、ご夫婦でされているアットホームなお店。
そのご夫婦がなんとも普通な感じ。テンションも服装も特に営業用という感じもなく、どちらかというと日常の延長という感じ。
席数もお二人で対応できるぐらいのサイズで、一つずつ丁寧にラーメンを作られるので、それなりに時間がかかります。
特に観察していたわけでもないんですが、氣になったのが、麺のお湯切りの音。それがなんとも優しい。
結構この音ってお湯をしっかり切らなきゃとか、スピード重視になると、対立したような「ピシン!」というような音が聞こえるんですが、それが麺が心地よくなるような「ぴちゃんぴちゃん」というような音。
音だけで表現するとかなりマニアックに聞こえそうですが、身体の触れ方ともつながる対立と調和といった違いに感じました。
麺も自家製麺で、化学調味料は一切使われていない優しいラーメンが出てきました。普段はスープも残さず飲むという感じで食べるんですが、今回はいつの間にかスープがなくなっていました。身体が抵抗なく喜んでいる様子でした。
食材だけでなくつくった人のエネルギーもいただいている
そして食べ終わって、お墓に移動していると手が普段よりも柔らかく、すべすべになっているのを感じました。
もちろんどんな食材を食べたかでも身体は変化しますが、どんな人がどういう状態で調理したかでも大きく変わります。
等身大のご夫婦が、お客さんに自分たちの自信作を提供するために、営業用にテンションを上げるでもなく、普段のそのまんまのエネルギーで一つずつ目の前のラーメンをつくってくれたからこそという感じです。
こういったものを提供していただいたときに、その人の人生を疑似体験させていただいたような感覚になります。とても印象に残った体験でした。
日常に学び・氣づきのチャンスは転がっている
こんな感じで何か講習を受けているとき、人に触れているという日常からすると特別なときだけが学びではなく、日常のあらゆるところで氣づいたり、育むきっかけはあります。
そういう意識しなくても、感じているものに氣づけるかがとても大事な氣がします。
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