バス運賃80円足りなかった児童に運転手が謝罪を強要した事件に関する簡単な考察
事の概要については上のニュースを参照。
幾つかの記事と流れる意見を一通り読んで、筆者が持った違和感と意見を書く。
◆違和感について
流れを書く。
小学校低学年の男子児童のICカードに残高が80円不足しておりバスを降車出来ない。
↓
バスの運転手が指摘すると男子は俯く。運転手はその顎に手をやり自分の方を向かせて、強い口調で謝罪と両親への報告を求める。
↓
男子児童は定期券を持つ区間のバスに乗り換えて帰宅する予定だったが、バスには乗らず約2時間歩いて帰宅した。気温は37.7度。
「残高が足りず降車出来なかった男子児童に、運転手が必要以上に威圧的に謝罪を求め、これについて同社は謝罪している。」という記事だったら「まぁ余程溜まったバスの運転手が捌け口的に児童を詰めたのかな」くらいでそれ程引っ掛からずに私は本件をスルーしたと思う。しかし後半、炎天下を2時間歩いたことについての言及があり、さも運転手のせいでこうなったと言わんばかりである。運転手が炎天下の中、お金を持たない男子児童をバスから引き摺り下ろして「罰として2時間歩きなさい」と命令し、熱中症で倒れたという事件ではない。話を整理しよう。ここから記事の中の情報から分かり得る事実を抜き出し、何が起きたのかを一つ一つ考察してみようと思う。興味のある方はお付き合い願いたい。
◆事実的情報と考察
まず本件の悪役に据え置かれた運転手の行動について確認していこう。
男子児童のICカード残高が80円不足していることを指摘する。男子が俯いてしまったので顎に手をやり「こっちを向いて」と言い、自分の方を向かせる。強い口調で「こういう時はどうするの?」と言い、謝罪と保護者への報告を求め児童を解放する。
まず、80円足りずに乗車している場合、これは単純に無賃乗車に当たる。これを指摘、注意することはなんら違和感のない行動だ。コンビニで未会計のお菓子を持って外に出てしまった子供を、店員が知っていながら無視するわけはない。
次に「顎に手をやる」。これは今のご時世いただけない行動と言わざるを得ない。目を見て謝ってほしいという感覚だったのかもしれないが、子供に恐怖や嫌悪感を与えてしまいかねないし、見ようによってはその手の趣味があると思われても文句は言えない。
最後に口調、威圧的な態度についてだが、これは児童本人から見てなのか、周囲の証言なのかはっきりとしていない。また強い口調と書きつつ「こっちを向いて」「こういう時はどうするの?」など、記されている言葉はやや丸みを帯びたものであり、全てが事実だという確認は読者には難しい。
私を含め文章のみで本件を知った気になっている人間が運転手を責められるとすれば、男子児童の顔に触れてしまった点、これに尽きる。
次に「ICカードの残高が80円足りなかった」点について考えてみる。
定期区間に関する記述もあった通り、普段は定期を利用して交通機関を利用している様だ。即ち、本件で乗った区間は普段の通学路とは別のバスということになる。遊びに行っていたのか、乗り間違えてしまったのか、乗り過ごしてしたまったのかは分からない。どれにせよ80円不足するという事態に陥った。それを指摘され、謝ることも出来ずに俯く。少年はどの程度事態を把握していたのだろう。
ICカードをタッチすればバスに乗れると思っていた場合、事態がよく飲み込めなかったのではないだろうか。昔であれば小銭を数えて乗った分を支払う、または乗る分の切符を買う、という仕組みを理解しなければ、交通機関に乗ると言うのは困難だった。しかし今は与えられたカードやスマホで、親がチャージさえしておいてくれればタッチで何処へでも行ける。
その仕組みを子供がどの程度理解し、親がどの程度丁寧に教えているのかは疑問だ。教えなくても当然知っているだろうなんて構えの親も在るかもしれない。便利になった過程を知らずにテクノロジーだけ与えられる弊害が、この事件の奥にはあるのかもしれないと感じた。あくまで筆者の推測でものを言っている為邪推の可能性もあるが、子供が何を理解し利用しているのか、大人が考えながら見守らねばならないなと思う。バスの運転手が少年に課した「親への報告」はそういった意味もあったのかもしれない。
最後に「男子児童は定期券を持つ区間のバスに乗り換えて帰宅する予定だったが、バスには乗らず約2時間歩いて帰宅した」について考えてみる。
定期区間のバスなら少年は当然乗れたはずだ。しかし乗らなかった。徒歩で2時間。炎天下、子供という点を鑑みると約6~7km程度だろうか。
何故乗らなかったのか。2つ考えついた。
1、「ICカードが使えなかった為、乗れないと判断した。」
2、「バスの運転手が怖かったので、他のバスにも乗れなかった。」
1なら仕組みが分かっていない不幸であり、保護者の責任と言いたいところ。2なら叱ったことの正当性はあったにせよ、触れることで怖がらせてしまった点については運転手に非があるとも言える。
◆まとめ
バスの運転手の行動について、身体的接触以外に関してはそれ程逸した行動だとは思えない。無銭乗車はいけないこと、それをしたなら謝るべき、残高不足について親に報告するべき。間違ってはいない。
男子児童は事態を把握出来ていなかったのなら80円足りなかったこと、すぐに謝罪が出来なかったこと、バスに乗らずに歩いた件も頷ける。
我が子が怖い目に遭い、バスの乗れずに炎天下を歩いた。そう思った保護者が怒ったのも理解出来る。
登場人物それぞれの思惑は、分解すれば理解出来る。
しかし記事の構成上、運転手がただただ悪人にされている印象があり、それに焚きつけられた人が多かった様に感じた。
運転手の謝罪と解任によって事は済んでいるし、我々外野中の外野がとやかく言うのはお門違いなのは承知しているのだが、記事やコメントに在った拭い去れない違和感と、誰かを責めることで気持ち良くなる前にもっと考えるべき問題がそこにあると思い、このような文章を書いてみた。
実際何があったのかは当の本人たちでしか知り得ない。(時には当の本人たちでさえ記憶が曖昧であるし、都合よく書き換えるが…)
でも何があったのか記事やニュースから想像したり、そこにどんな問題が潜んでいて、それが如何に身近な事なのかは、我々外野の読者も考えることは出来る。