寝袋男
考えている様で考えていない様な、役に立ちそうで役に立たない様な概念的くだ
それは、中年の痩せた男が大木に背中を預け、立っている様な絵だった。何故"立っている"ではなく、立っている"様"なのかと言えば、その男が既に死んでいるからだ。 題名は『遺体』。 その男の胸にはナイフが深く突き刺さっており、そこから赤い筋が白いシャツの裾に向かって流れ、ズボンにまで伸びている。シャツの上に描かれた顔には絶望からの弛緩が見て取れた。静的だが、インパクトのある絵だ。嫌に生々しく、リアリティがある。まるで、本当にこの死体を見ながら描いた様だ。気になって題名の下にある名前
都市部から少し外れたベッドタウン。狭い狭い私の城、302号室。リノベーションによって現代的な様相にはなっているが、その実は内部の老朽化に喘ぐ古いアパートメント。その中の更に狭いバスルームの、洗面台の前。コームセットや頭痛薬が入る収納付きの鏡に、一人の女が映っている。平坦で平凡な顔立ち。これが私だ。 型落ちのパネルフォンを取り出して鏡に無線接続する。メニューをスクロールしているうちに様々なエフェクトがかかり、鏡に映る顔が変化していく。そして求めていたエフェクトがかかる。そこに
美人が出没すると噂のバーにSが行くと、女性が一人カクテルを傾けていた。Sは好きな銘柄のスコッチを注文して、その女性の席から一つ空けたスツールに腰掛けた。横目で見る限り相当な美人だ。間違いない。グラスが届き一口舐めてから女性に声を掛ける。すると思いの外ノリが良く、話が弾んでSは調子づいてきた。調子づくと男と言うのは大抵の場合、知識をひけらかし始めるものだ。Sも御多分に漏れず、近頃の人工知能に関する自分の見解に話の枝葉を伸ばし始めた。 「人工知能というのは、人間の脳の動きをコンピ
冬に差し掛かったある晩。 繁栄と共に大量に建設され、衰退と共に巨大な墓標の様になった、工場と倉庫が規則正しく並ぶ、今となっては忘れ去られた工業地帯。その一角。埃っぽい倉庫に男たちはいた。 ロープで粗末な椅子に縛られたジョーマローンの香る男×1。 その前に仁王立ちする"少々"仕立ての良さそうなストライプのスーツを着た男×1。 その男の両サイドには、 揃いのオレンジのジャージを着た若い男×2。 計4名。 この状況を楽しんでいるのはスーツの男ただ1人の様だった。薄ら笑いで縛った男の
ホラー系インフルエンサーの間で話題のホラー映画を観終え、映画館を後にする。正直なところ味気なく、途中あまりのベタさに声をあげて笑いそうになるほどだった。ここのところ映画の引きが悪かった。自分が検死なんてことを生業にしているせいで、この手のコンテンツの演出に麻痺しているせいも大いにあった。麻痺するが故にもっと刺激のある恐怖が欲しかった。少し苛立った時の癖で鼻を摩るとポップコーンのバターの香りが指先から鼻をつく。21時を過ぎている。腹が減った。さくっと食べて帰るか、手軽なものを買
男は腕の良い殺し屋だった。40歳を迎えたその年、この仕事を始めて15年が経過していた。今までに目立ったミスは一度もない。また難易度の高い案件も時間を掛けつつ丁寧に完了させてきたこと、依頼される千差万別な暗殺方法を的確に遂行するそのスタイルから業界人からは”職人”とも称されていた。 職業柄妻や子供はいない。家族を持つと弱みが増える。そうは言いつつ、先日父が他界した為、一人になった母と一緒に暮らしている。男の母親は自分の息子が何を生業としているかは知らず、その晩も安らかな表情で床
新社会人になる私は、実家を出るため、自室で荷物の整理をしていた。いい加減着古したセーターやスカートをまとめ、机や引き出しに取り掛かった。整理の邪魔をするように、思い出の品が次から次へと姿を現す。集合写真、友達と授業中やりとりした手紙、アルバム、部活動の文集。当時私は文学研究部という、あまりにもモサい部活に属していた。クラスでは目立たない男女が、ただ部室で本を読んで感想を述べ合ったり、いや、殆ど読書クラブで会話は少なかったっけ。古典が好きな大島(おおしま)君、冒険小説が好きな平
「いいか?人間には2種類いるんだ」 大楠(おおぐす)らしい、いつも通りの勿体ぶった言いまわしだ。俺は求人誌をめくりながら「続きをどうぞ」と頷く。 「待たせる側と待たされる側だ。俺はお前に待たされた上、今は20分前に注文したピザを首をながーくしながら待ってるんだ」 そこまで言い切ると、冷めたコーヒーをやけ酒のように一気に飲み干す。 時刻は0時を過ぎ、客もまばらな店内。到底忙しいとは思えない中、確かに20分来ないのは遅い。 「深夜だからってなめてかかってるのさ!あのチャラ
これは僕が20歳を迎えた日の夜、23時40分から始まる物語だ。 僕はその日を、家族や友人から祝福のメッセージを受け取り、最愛の恋人と過ごし、たらふく食べ、たらふく飲み、のんびりしたセックスをして、満たされた気持ちでベッドに潜り込んでいた。明日からまた始まる日常。非日常が徐々に溶かされ、薄くなったそれの向こうに明日が見える。非日常を失う寂しさもあるが、何と言っても20歳だ。なんだって出来るし、なんにだってなれる。明日への希望が寂しさを大きく凌駕し、高揚感が顔を熱くする。 そ
雨音の間をすり抜けてインターホンが真也の耳に届く。相変わらず嫌に大きいその音は、頭痛に犯されるこめかみを刺し、つい顔をしかめる。 モニターを見ると彼女、井上麻紀が映し出されている。 「ごめんね、ビショビショだ。傘を忘れちゃってさ、たまたま近くだしなと思って…。タイミング悪かった?」 真也はタオルを手渡しながら答える。 「いや、全然大丈夫だよ。どの傘でも借りて行ってよ」 傘立てにはビニール傘が5本窮屈そうに突っ込まれている。麻紀は濡れていない傘を一本手に取るが、再びそれをもと
プロローグ 「この人、探偵だけど。」 全員の視線が僕に刺さる。 言った当人はしれーっとした様子で雑誌のクロスワードパズルに視線を落としている。彼女の声は無表情だ。否、声も、かも。 しかし僕は知っている。彼女がそのポーカーフェイスの下で三日月の様に微笑みを湛えて居ることを。 1 明日からここに泊ります。」 僕が閑古鳥すら実家に帰った様に静かで長閑な我が探偵事務所にて、昼下がりのひと時及び微睡みを満喫していたところ、彼女は突然、机の上で本を開いて見せた。 おススメ宿泊先一覧
警部はそのよく肥えた男の死体を見下ろす この死体のお陰で、わざわざこの田舎町まで駆り出される羽目になったのだ。昨晩まで降り続いた雨が止み、窓から差し込む陽の光が死体に降り注ぐ。まるで天使のお迎えだ。 「こりゃあデカい、あちこち見るのも一苦労ですね先生」 「大儀じゃ…」 死体と対照的に小柄な老医師は、加齢のせいかはたまたアルコールのせいか、震える手で死体を検分していく。 「失礼します」 若く青い巡査が部屋に入ってきた。 青いというのは青二才という意味ではなく、文字通り顔色が悪く
六月。激しい雨。走る音が二つ。鈴の音。雷。 私が公園の東屋に駆け込むと、その後を追う様に一人の男が駆け込んできた。ぼさぼさの髪にアロハシャツ、薄く色付いた眼鏡。他人に警戒心を孕ませるに不足ないその外見と裏腹に、男は人当たりの良さそうな声色で話しかけてきた。 「いやー、降ってきちゃいましたね。一日晴れの予報だと思ったんだけど、夏場はやっぱり分かりませんね。おろしたてのアロハが台無しだ。」 私は鞄に忍ばせていたタオルを思い出して手渡した。 「ああ、随分かわいいタオルを、ご
誰もいない暗がりを、高く上がった月を見て帰る。 陰鬱な疲労感と少し肌寒い解放感。そんな夜でも、満月なら少しだけ気分が良い。 コンビニで顔色の悪い店員から低アルコール飲料を一本買い求め、高台の公園に行く。ここがこの街で一番月に近い、様な気がする。 「こんばんは」 ベンチに腰掛ける先客に声を掛ける。 「ああ、こんばんは、また」 満月の夜、帰るのが惜しくてここへ来るといつもその男がいた。 男は小さい日本酒の瓶を傍らに煙草を薫らせている。その先から立ち昇る紫煙が月へと向かう。私は祖父
事の概要については上のニュースを参照。 幾つかの記事と流れる意見を一通り読んで、筆者が持った違和感と意見を書く。 ◆違和感について 流れを書く。 小学校低学年の男子児童のICカードに残高が80円不足しておりバスを降車出来ない。 ↓ バスの運転手が指摘すると男子は俯く。運転手はその顎に手をやり自分の方を向かせて、強い口調で謝罪と両親への報告を求める。 ↓ 男子児童は定期券を持つ区間のバスに乗り換えて帰宅する予定だったが、バスには乗らず約2時間歩いて帰宅した。気温は37.7
”香り”から呼び覚まされる記憶がある。 私の場合は、いちごみるくのキャンディーを舐めると学生時代の通学路の光景が目の裏に現れる。 君の場合はどうだろう。 「この実は勝手に食べちゃ駄目。」 母は幼い僕と柚子の木の間に立ってそう言った。普段にない厳しい表情だった。その小振りな黄色い果実を母の肩越しに見つめる。一見、蜜柑に似ている様に見えるけど、食べちゃいけない。なんでだろう。 しかし食べてはいけないと言われれば、その果実のことが却って気になり、部屋の窓からその木を眺めることが