3日目 「かわいそうに」という言葉の暴力性について

最近、言葉遣いに対して、常々気をつけないとと考えることが多い。

前に上から目線になってしまうという記事を書いたが、
僕が発した言葉が、上司に対してこちら側の本意とは違って伝わってしまうということがあった。

そういえば、大学の時からソーシャル界隈でよく「かわいそう」という言葉や、それに類するような表情や表現を見てきた。なんだかその度にイワカン。。

それでも、たしかに僕が高校生の頃国際協力に興味を持ったきっかけは、一言で言えば「かわいそう」という言葉で飾れる感情ではあった。

ただカンボジアで子どもたちと遊んで一緒に笑う中で、自分と何も変わらなず対等で、言葉がなくても「なにか」を共有できた。それがすごく嬉しく楽しかった。

以来、かわいそうという言葉を理由に、ソーシャル界隈に関わることを少しずつやめた。たまに発言として似たような言葉が出てしまい傷つけたこともあったけど、少しずつ減らしてきた。

そんなエピソードをJeniさんの記事から少し思い出した。

たしかに、上記の話は言葉それ自体の影響もあるが、伝える文脈や背景もある。いやそれの方が影響度は大きいのではないかとすら思える。

自分の上から目線に感じられてしまうのは、やはりトーンや態度などもあるのだろうかな?
明日から少しずつ行動でも「中から目線」を体現していきたいなと。

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