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【書籍紹介】野性の経営 極限のリーダーシップが未来を変えるの考察
野性の経営とは何か
『野性の経営 極限のリーダーシップが未来を変える』は、経営学者・野中郁次郎氏による挑戦的なタイトルの経営書である。
著者が注目する「野性」とは、人間が本来もつ“生き延びようとする根源的な力”にほかならない。身体感覚や直観力、感性といった要素が含まれ、それは単なる思いつきや場当たり的な行動ではなく、経験や共感を通じて培われる“生きた知恵”を意味する。
本書で大きく取り上げられるのが、タイの麻薬地帯「ゴールデン・トライアングル」を約30年の歳月をかけて観光地に再生させた非営利財団理事長のクンチャイというリーダーだ。薬物中毒に苦しむ人々を上から管理するのではなく、共創しながら“野性”に火を灯していった。野中氏はこのプロセスを「極限のリーダーシップ」と位置づけており、分析マヒ症候群に陥りがちな日本にとって大いなる示唆を与えている。
【関連図書】
失われた30年と3つの過剰
なぜ日本が「野性の経営」を必要としているのか。背景には、“失われた30年”とも称される日本経済の長期停滞がある。たとえば、スイスのIMD(国際経営開発研究所)の「世界競争力年鑑」を見ると、1989年以降の約10年間は日本はトップ10にランクインしていたものの、その後下降線をたどり、2023年には35位まで転落している。かつて“ジャパンアズナンバーワン”と世界的に言われた面影は薄れてしまった。
野中氏によれば、この停滞の原因として「オーバーアナリシス」「オーバープランニング」「オーバーコンプライアンス」の3つが挙げられる。多くの日本企業では、PDCAサイクルのP(Plan)とC(Check)に過度に力点が置かれ、実行(Do)と振り返りの行動(Action)は軽視される“PdCa”状態になりがちだ。いわば分析しすぎて手足が動かない「分析マヒ症候群」に陥っているのである。
知識創造理論(SECIモデル)と野性
野中氏の研究で有名なのが「知識創造理論(SECIモデル)」だ。
これは、人間の知識を「暗黙知」と「形式知」に分け、その相互作用を4つのフェーズ(S=共同化、E=表出化、C=連結化、I=内面化)で螺旋的に回すことで組織全体の知を高めるというもの。ここで重要視されるのが暗黙知、すなわち数値化やマニュアル化が難しい“身体的・直観的な知”である。
“野性”を取り戻すとは、すなわち分析や計画だけでは捉えきれない身体感覚や直観力を重視することでもある。クンチャイがゴールデン・トライアングルの住民と同じ立場に立ち、現地の文化や生活習慣を五感で感じ取り、共創の場を築いたのも“暗黙知”を徹底的に活かした結果だといえる。
共感と知的コンバット
SECIモデルの出発点である“S(共同化)”では、他者と暗黙知を共有するために“共感(Empathy)”が欠かせない。
共感とは、相手の視点や感情に入り込むことであり、「そうだよね」とうなずくだけの“同感(Sympathy)”とは異なる。
これは経営でも同じであり、数字一辺倒では見逃してしまう、現場の切実な声に耳を傾けることが突破口となる。
たとえばソニーの平井一夫氏は、赤字続きだった同社を改革するために、6年で70回以上のタウンホールミーティングを世界各地で開催した。そこでは現地の社員と直接対話し、“知的コンバット”とも呼ばれる真剣な議論を重ねることで、暗黙知を形式知に表出化していった。
ホンダでは、本田宗一郎と藤澤武夫が“ワイガヤ”と呼ばれる自由闊達な議論の文化を育み、そこから数多くの革新的なアイデアを創出している。こうした現場主導のイノベーションを引き出すうえでも、“野性”が持つ瞬発力や柔軟性は不可欠といえる。
野中流リーダーシップ6つの条件と実践事例
野中氏は、この“野性”を経営に活かすリーダー像として「フロネティック・リーダーシップ」を提唱している。フロネティックとは実践的知恵を意味し、以下の6つの条件を備えるリーダーが組織変革を主導すると説く。
善い目的を追求する
現実を直観する
場をつくる
直観の本質を物語る
政治力を行使して物語を実現する
実践知を自律分散し組織化する
このリーダーシップを体現した一人が、ソニー再生を成し遂げた平井一夫氏である。「KANDO(感動)」というわかりやすい目的を設定し、その旗印のもと世界の社員の声を徹底的に拾い上げ、会社全体を巻き込みながら改革を推し進めた。またエーザイの内藤晴夫氏は、企業理念「ヒューマン・ヘルスケア(hhc)」を定款にまで組み込み、患者や家族と直接触れ合う場を全社員に奨励する施策を実行してきた。いずれも善い目的を共有し、現場主体のイノベーションを促進する“野性の経営”の好例といえる。
まとめ
日本が新たな活路を見いだすためには、過度な分析や計画に縛られず、“野性”を取り戻すことが大切である。クンチャイのように極限のリーダーシップを発揮するには、組織が共感を軸とした対話を重ね、暗黙知を結集する仕組みをつくることが必要だ。ソニーやホンダでの事例が示すように、善い目的のもと、知的コンバットを繰り返すことで、組織全体が革新的なアイデアを生み出せる。日本企業の「失われた30年」を打破する鍵は、この“野性の経営”にあるといえよう。
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