努力と閾値
閾値という言葉がある。
「ある反応を起こさせる、最低の刺激量」という意味です。
努力には成果に繋がるまでに閾値というものが存在すると
私は考えています。それは一定量の努力を行わないと、
成果ベースで現すならばゼロに等しいという意味です。
一定数の経験、一定数の知識、一定数のスキル、
一定数の時間、一定数の信頼、一定数の努力、などが無いと、
何かをやった所で、何も手に入らないと考えています。
つまり、努力は行うだけでは意味が無いと私は考えます。
これは残酷でみんな分かっている事のはずなのに、
ついつい「やる事に意味がある」などの発想に行きがち
というのもあり、自分を戒める意味でもこの文章を纏めています。
それは、言葉を変えるならば、マーケティング用語で言う
「キャズム」にも現れており、隔絶・溝を意味する言葉である
キャズムを越えない事には、0→1が、0止まりになる事も多くあります。
ちなみに、キャズムに関して知りたい場合は、下記を確認ください。
またまた、ティッピング・ポイントという言葉も有ります。
知った書籍は、「急に売れ始めるにはワケがある」という本がきっかけです。
私は大学時代に知ったのですが、口コミの法則性に関して、
驚きと感心が生まれました。ティッピング・ポイントは、
「それまで小さく変化していたある物事が、突然急激に変化する時点を
意味する語。臨界点や閾値と言い換えられることもある。」
つまり、閾値です。
色んな言葉で表現してみましたが、結局言いたい事は同じで、
「一定度合い成し遂げないと何も手に入らないよ」という事です。
「こんなに頑張っているのに何故報われないんだ?」
という方の99%が私は努力不足と捉えています。特に勉強。
勉強には積み上げ式の知識の階段が用意されており、
不確定な人間社会よりよっぽど成果を挙げやすいと考えています。
実際の不確定な社会に関しても、正直同様です。
一定度合いの努力を行っていれば、見てくれている人は必ずいます。
救ってくれる人もいます。
もし、一人でモヤモヤ何も手に入っていない事に不満があるのであれば、
それは十中八九、自分の努力不足のせいです。
ポイントは自分に矢印を向けて、本当に閾値を超えるだけの努力を
しているのかという事です。私もまだまだです。
自分の実績であったり、信頼であったり、もっと不足している所を
もっともっと積まなければ、本当に手に入れたい事は手に入れられないです。
いま、もし報われていない人がいるのであれば、
奮起してもらいたいと思い、こんな文章を書いてみました。
言葉の何かが引っかかりを生みますように。