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私的『ナウシカ』考〜未だ考察途上…。

ナウシカで描かれた、

人類が制御不能の“怪物”として登場した「巨神兵」こそ、現代の原発のメタファーなのかもしれませんね。

その負の遺産ともいえる、腐海が、原発が永遠に生み出し続ける、これも制御不能な放射性廃棄物の象徴なのでしょう。

それらの、致命的な存在に覆い尽くされようとしていた世界を救おうとしたのが、

王蟲の血で染まった蒼き衣を纏って、
王蟲の金色に光り輝く触覚で構成された、
金色の“草原”に降り立った、
虫愛ずる姫君=人類の誰もに恐れられた王蟲からも唯一愛された、
風の谷に生まれ育って、
風を自由自在に操ることができた、
実は、人造人間として罪深きその人類に“つくられた”ナウシカなのでしょうね。

当時のエコロジー的な考え方とともに、現代のサステナブル・ソサイアティを先取りした思想を繁栄させた作品でしたね。

アニメーションは、コミック版の連載途中で発表された内容でしたので、コミック版は、 そのパラレルワールド的な“完結編”が示されたと思っております。

まだまだ、いろいろと気付かされることが多い作品であると思います。


●第3話:私的ナウシカ考〜番外編

二元論からの脱却が、これからの時代に求められている視点なのかもしれないと思っています。

最近のアニメーションで嵌まっているのが『七つの大罪』シリーズ。

物語は、架空の中世世界ブリタニアを舞台にしつつ、アーサー王伝説の“前日譚”を描きつつ、人類だけでなく、魔神族、巨人族、妖精族、女神族が入り乱れ、魔力が世界をコントロールするスキルでありながら、単純に善と悪が対立する訳ではなく、むしろ何が善で何が悪なのかが混沌とした世界が描かれる。

元々は、漫画家の鈴木央先生が産み出した作品でしたが、それをアニメーション作品として、多くの才能が加わったことで、よりスケールの大きな作品群が生まれています。

シリーズは、まだまだ継続中で、道なかば(央)と思われ、今後どんな展開となっていくかに注目しています。

『七つの大罪』シリーズの基本情報はコチラ。

架空の中世のブリタニア=キリスト教的世界観が形成される前の西欧文化圏を基盤としながらも、そこに、アーサー王伝説に仮託した魔力による支配とともに、人類だけでなく、魔神族、巨人族、妖精族、女神族といった、ファンタジー要素を盛り込んだ各勢力による王国支配を巡る抗争を描いたストーリー。

ただし、一般的な価値観である、女神族=善、魔神族=悪という単純化された二元論的世界ではなく、善悪の価値観が常に入り乱れる、混沌とした世界観が描かれているのが特徴。

さらに、登場人物は、いわゆる“転生輪廻(リーインカーネーション)”による肉体的&精神的滅亡と復活を繰り返すので、一筋縄ではいかない人物像、クリーチャー像が描かれれている。

テレビアニメーション版では、

「七つの大罪」
「七つの大罪 聖戦の予兆」
「七つの大罪 戒めの復活」
「七つの大罪 神々の逆鱗」

劇場版 では、
「七つの大罪 天空の囚われ人」

とシリーズ化されており、一大長編アニメーションシリーズとなっている。

二元論からの脱却が、これからの時代に求められている視点なのかもしれないと思っています。 最近のアニメーションで嵌まっているのが『七つの大罪』シリーズ。 物語は、架空の中世世界ブリタニアを舞台にしつつ、アーサー王伝説の“前日譚”を描きつつ...

Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Tuesday, October 6, 2020

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私的ナウシカ考、番外編

ちなみに、ナウシカのルーツの1つとなった、ギリシャ神話『オデュッセイア』に登場するナウシカ姫のビジュアルを観たい人には、この絵画とともに、

17世紀に、
ヨアヒム・フォン・ザンドラルト
が、ナウシカ姫がオデュッセイア
を助ける場面を描いたという
ことは、画家が、如何に
ナウシカ姫に恋い焦がれていたかを
示す証左でもありましょう。

米国資本で役者にもカーク・ダグラスなどの米国俳優も出演しているイタリア映画の『ユリシーズ』がオススメです。

(同名の文学作品は未読ですが)


たしか1950年代の映画で、カーク・ダグラス主演の、特撮も交えたスペクタクル・ストーリーの後半に、ナウシカ姫が、イタリアの美人女優ロッサナ・ポデスタ演じる純情可憐な少女として登場します。

古代ギリシア神話の「トロイ戦争(ギリシア諸国連合軍と当時の大国トロイアとの大戦)」で、

難攻不落の城壁を築くトロイアに苦戦していたギリシア諸国の小国イタケーの王、ユリシーズ=オデッセイが発案した、有名な奸計「トロイの木馬」により鉄壁の門を内側から破ることができて、遂にギリシア諸国連合軍が城壁の中に雪崩込んでトロイア軍は総崩れ、

それを見届け悔しがった、ポセイドンを守り神としていた神殿の巫女が、計略の張本人であるユリシーズを見付けて、お前は、二度と故郷の地に帰れなくなるように呪ってやるぞと叫んで自ら死を選んだ、トロイアの魔女的な巫女、或いはポセイドンの呪いにより、

オデッセイたちの一行は、故郷イタケーヘの帰国途上で様々な試練と苦難に見舞われた末、ようやく帰国の航海に出るも、船が荒天に阻まれ、それまでの冒険を伴にした全ての仲間を失って、ただ独り、故郷のイタケーから遠く離れた、とある王国の海岸に漂着したユリシーズを、

ちょうど、お付きの者たちと海岸に遊びに出掛けた王女としてのナウシカ姫が助けて、自身の所属する王国で手厚く看護して、ユリシーズはそれまでの記憶を失ったまま、次第に復活していきます。

ナウシカの父親である、彼の地の王様にも、宮廷で開催されたレスリングの試合を制したユリシーズは勇者として気に入られ、是非とも姫の婚約者となってほしいと懇願されるほど成功を手に入れますが、

次第に彼は記憶を取り戻していき、自身が今後どうしなければならないのかを悟り、この地を離れなければならないことをナウシカに伝えます。

そのことを告げられたナウシカは酷く嘆き悲しみますが、やがて、その運命を素直に受け入れることになります。

あくまでもユリシーズという、主人公=男の立場でしかこの物語は描かれてはいないので、ナウシカが果たしてどのように考え、その後はどのような生涯を送ったのかはわかりません。

※その後、以下の記事を改めて再読したところ、

この“事件”の後にナウシカは、古代ギリシア初の女性吟遊詩人となったという“後日譚”があるそうですので、

ユリシーズとの永遠の別れを惜しんで、その想いを引き摺っていった結果として、ナウシカは、やがて古代ギリシア初の女性吟遊詩人となり、各地を放浪していったのかもしれませんね。

なんとも罪作りなユリシーズであることよ!

さて、宮崎駿の作品『ナウシカ』のもう1つのルーツである(コミック版『風の谷のナウシカ』のあとがきに掲載されている)、日本の中世の物語に登場する“虫愛ずる姫君”とともに、彼女たちの見果てぬ“夢”にヒントを得て、宮崎駿監督は、新たなナウシカ像を創り出したかったのかもしれませんね。

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完全な余談ですが、カーク・ダグラス主演でシルヴァーナ・マンガーノ(当時は、あまりの妖艶さに、“原爆女優”なる、“被爆国”であるとはとても思えない物騒なニックネームが付けられたそうです)が、ヒロイン(トロイア戦争で遠征に参加後に十年間放浪を続けているオデッセイの帰国を願って言い寄る男どもを跳ね除けようとする貞淑な妻ペネロペと、帰国途上で彼を誘惑する妖艶な魔女キルケの二役を演じる)を演じた『ユリシーズ』ですが、

ストーリーの中盤で、オデッセイが帰国途上で嵐に遭い、彼を残して部下全員が溺れ死に、彼だけがとある浜辺に流れ着いた時に、その浜辺に侍女たちと遊びに来ていたのが、ナウシカと呼ばれる王女でした。

彼女は、流れ着いたオデッセイに次第に心惹かれるも、彼が近隣国の王であり、妻が彼の帰国を切に願っていることを知り泣く泣く諦めるのですが、その役を、はっとするような美人女優ロッサナ・ポデスタが演じていたのです。

そして、たぶんその映画に出演した彼女に一目惚れしたのが、後に『風の谷のナウシカ』を製作した宮崎駿監督だったのだと思います。

いつかはナウシカ姫をヒロインにした映画を撮ってみたいと決意した、宮崎駿監督の原点だったのではないかと思います。




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