二人のジルベルト=ジョアン&アストラッド#3パンドラの函に残されたもの
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#2の続編記事をご紹介しましょう 。
2020年5月8日 ·
私的『ジョアン・ジルベルトを探して』考その2
この映画の監督兼“主演”を務めた、ジョルジュ・ガショ監督の言葉に、「ボサノヴァは自分と向き合う音楽である」という言葉がありました。
一般的には、ボサノヴァは、ブラジルの中産階級=ブルジョアジーが生みだした、ちょっと洒落たスタイリッシュな音楽というイメージで語られることが多いようですが、その“原点と聖地”である、ジョアンの生まれ故郷、
バイーアに出掛けて、いわゆる「聖地巡礼」を敢行した、ガショ監督と、元々の探究者であった、マーク・フィッシャーの足取りを辿っていった結果、そこは“聖地”以上の場所でしたね。
英語では、彼の姉が住んでいた住居のbathroom=浴室にジョアンは数ヵ月も籠って、ボサノヴァのスタイルをギターで編み出したという話ですが、今でも残されていて、実際に訪れてみた場所は、そんな生易しいところではありませんでした。
バスルームというのは綺麗事で、体を浸けるバスタブは申し訳程度の狭い場所で、付属しているトイレットにしか座る場所はありませんでした。
つまり、ジョアン・ジルベルトは、バスルームというよりも、ずばりトイレット=便器に腰掛けて、何ヶ月もそこに篭もりながらギターの弾き語りを重ねて、本来は大人数でドラムや笛や弦楽器などを打ち鳴らして演奏していたサンバのリズムとメロディーを、遂に、たった1人で歌とギターだけで表現する「バチーダ」と呼ばれる独特の技法を完成させたのでした。
一見、楽しげでオシャレなメロディーを奏で、リズミカルに演奏しているように聴こえるボサノヴァには、底知れぬ悲しみや苦しみを密かに込めなければならない。
そして、それが、本来のボサノヴァの本質であるべきであるとジョアンは主張しましたし、
ドイツ人のマークも、ドイツの国境近くに住んでいたフランス国籍を持つガショ監督も、そのことを“体感”したのだと思います。
それは、絶望という“パンドラの函”に残された、たった1つの希望という表現が一番近いのかもしれません。
今や、地球全体が、まるで絶望の嵐のような、パンドラの函の蓋を開けてしまったような様相を呈していますが、果たして、その函の底に“希望”は残されているのでしょうか。
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そんなことを感じさせる映画でもありましたね。
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さらに、#4に続きます。
『ジョアン・ジルベルトを探して』
映画情報
https://www.allcinema.net/cinema/368686
『イパネマの娘』『想いあふれて』など数々の名曲で知られ“ボサノヴァの神”とも称されるブラジルの伝説的ミュージシャン、ジョアン・ジルベルト。
しかし彼は2008年のリオ・デ・ジャネイロでのコンサート出演を最後に、一切の公の場から姿を消してしまう。
そんな中、ドイツ人ライターのマーク・フィッシャーは、どうしてもジョアンに会いたいとの思いに駆られて、彼を探し出す旅に出る。
しかし結局ジョアンには会えぬまま、その旅の顛末を綴った本が出版される1週間前に自ら命を絶ってしまう。
本作は、そんなマークの本に感銘を受けたジョルジュ・ガショ監督が、マークの足跡を辿り、憧れのジョアン・ジルベルトを求めて彼のゆかりの人々や土地を訪ね歩く旅路を記録した音楽ドキュメンタリー。
#創作大賞2023
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