怨歌「サマータイム」の真実と、勝利への讃歌としての「フィーリング・グッド」
日中は、まだまだ真夏を思わせる残暑が続きますが、夜になると、少しずつ、往く夏を惜しむかのような雰囲気になってきたように感じられますね。
そろそろ、「サマータイム」を歌うのが憚れる季節になりつつあるので、ちょっとだけ、あの歌の成り立ちについて語ってみたくなりました。
元来この曲は、白人の売れっ子作曲家だったジョージ・ガーシュインが、米国南部の黒人たちの悲劇的な生涯を描いたオペラ『ポーギーとベス』の劇中で、
悲劇の主人公クララが、泣き止まぬ我が子をあやすために、
逆説的に、
あなたは幸せな家庭に生まれてきたのだから、もう泣くのを止めてとにかく眠りなさい
と、悪戦苦闘をしながら子育てをする場面で、子守唄=ララバイとして歌われましたが、
(前略)
ジョージ・ガーシュウィンは1933年12月に作曲を開始した。
彼はアフリカ系アメリカ人の民俗音楽をもとに、自分自身の音楽を作曲しようとした。
曲は1935年にリリースされている。
オペラの第1幕冒頭で、生まれたばかりの赤ん坊にクララが歌いかけるブルース調の子守唄である。
前半の
「夏になれば豊かになれる、魚は跳ねて、綿の木は伸びる。父さんは金持ち、母さんはきれい。だから坊や、泣くのはおよし…」
では、歌詞とは裏腹に1920年代のアメリカの黒人たちの過酷な生活が反映されているが、
後半の歌詞では、
「ある朝、お前は立ち上がって歌う、そして羽を広げて飛んでいく…」
という子供の成長を祈る内容になっている。
その後、ジェイクが嵐に遭遇して行方不明となったときと、ジェイクの死を知ったクララが嵐で死んだ直後にも歌われるが、
歌詞の一部が変えられ、悲壮な内容となっていく。
(後略)
『ポーギーとベス』(あるいは『ポギーとベス』、Porgy and Bess)は、アメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィンが死の2年前にあたる1935年に作曲した3幕9場からなるオペラである。
様式から言うとミュージカルの先駆的な存在である。
1920年代初頭の南部の町に住む貧しい黒人の生活を描いており、ジャズや黒人音楽のイディオムを用いて作曲されている。
登場人物はごく数名の白人を除き全て黒人である。
ジョージ・ガーシュウィン(ガーシュインとも、George Gershwin、1898年9月26日 - 1937年7月11日)は、アメリカ合衆国の作曲家。
本名、ジェイコブ・ガーショウィッツ(Jacob Gershowitz)。
東欧系ユダヤ人の移民の子として、ニューヨークのブルックリンに生まれた。
父親はロシア、母親はベラルーシからの移民である。
(中略)
しかし、少年期はいわゆる不良少年であり、女性関係も派手で、交際した女性を妊娠させたりといった騒動もあった。
一方で黒人などの有色人種を差別しなかった。
※※※
一方、ジャニス版の「サマータイム」では、
今度はそれを、白人の貧しい労働者階級から世間に、そして、家族からも“落ちこぼれ”そして“問題児”とみなされていた境遇を見返してやろうと、有名になってトップに這い上がろうとしたジャニス・ジョプリンが、
世間の嘲笑と艱難辛苦に耐えながら絞り出すようにシャウトするブルース=怨歌要素を前面に押し出したロック・バラードにアレンジして魂の叫びを訴えかける。
それらは全て、たとえこの世では報われなくても、死後には苦しみから解放されて神の国に迎えられると信じて、信仰をもってひたすら祈りを捧げ続ける…。
しかも、それらの信仰の対象が、神の子イエス・キリストというよりは、聖母マリアに向けられている(ポール・マッカートニーも、「レット・イット・ビー」で、“マザー・メアリー・カムズ・トゥ・ミー”と、マリア様への信仰を歌っていますね)のが興味深いですね♪
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ジャニス版の「サマータイム」のエンディングも、最期にはメジャーコードで締め括られ、まるで昇天する直前に神からの祝福を受けたかのような印象を遺しますね。
サマータイム
SUMMERTIME
-歌詞
作詞:D.Heyward
作曲:G.Gershwin
歌詞が、当時の黒人たちが話しているような、たどたどしい略語だらけの歌い方であることが、読み取れますね。
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2016年9月30日
日本橋コレドのスープストック東京にて、遅めのランチを食べていたらBGMがジャニス・ジョプリンの「サマータイム」なう。
やっぱジャニスはすげぇ。
泣きながらカレーを貪るの巻。
60年代から70年代の懐メロのんびりポップスが掛かっていたら、突然ジャニスの地獄の底から叫んでいるような怨念ブルーズですからね。
何を考えているのだ、スープストック東京のBGM(=有線放送のDJ)係(笑)?
当時、渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映されていた、ジャニス・ジョプリンのドキュメンタリー映画『ジャニス〜リトル・ガール・ブルー』
では、
この「サマータイム」を録音する際のスタジオでのメンバーやレコーディングスタッフとの、今にも掴み合いのケンカが始まりそうな、凄まじいシーンが収録されていて必見です。
とかく、演奏技量はどヘタであると酷評されていた、ジャニスのバックバンドだった「ビッグブラザー・ホールディングカンパニー」が、この時ばかりは神のようなアルペジオを聴かせてくれた秘密がようやくわかりました。
そしてちょうど、
町山智浩 『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』を語るという、
当時のラジオ番組の書き起こし記事を掲載したサイトが、この映画の魅力を非常に的確に紹介していましたね。
※※※
“勝利への讃歌”としての「フィーリング・グッド」
そして、ニーナ・シモンの歌唱で知られる「フィーリング・グッド Feeling Good」も、
元々は、1964年の英国のミュージカル『ドーランの叫び、観客の匂い』
の挿入歌で、
英国の階級社会と差別社会に対する、反発とともに、そこからの脱却を自ら祝う、怨歌要素を込めた“勝利への讃歌”でもありましたね。
ニーナ・シモン「Feeling Good」解説:名盤『I Put A Spell On You』に収録された黒人の希望を歌う曲
(前略)
「Feeling Good」のレコーディング
ニーナ・シモンはニューヨークで「Feeling Good」をレコーディングした。
彼女はアレンジャーであり作曲家でもあるハル・ムーニーと協力して、この録音では今日ではよく見かけるジャジーなホーンを使用することにした。
さらに楽曲の最後のほうでは、スキャットやアドリブでの即興を披露し、音楽的にもテーマ的にも重くなったこのトラックに新たな感情を加えている。
もともと、アンソニー・ニューリーとレスリー・ブリカスが、
1964年のミュージカル『ドーランの叫び、観客の匂い(The Roar of the Greasepaint – The Smell of the Crowd)』
のために書いた「Feeling Good」は、役名がなく“The Negro”と呼ばれるキャラクターによって歌唱されるものだった。
このミュージカルの舞台となっている1960年代のイギリスでの人種や社会的、経済的な不平等を批判するように、劇中のゲームで“The Negro”が2人の白人のキャラクターに勝利した後、彼はこの曲を歌うのだ。
黒人や貧乏人が勝つものではなかったゲームでのまさかの勝利、そして苦悩と挫折の中から生まれた解放としての穏やかなオペラ調の楽曲は、ニーナ・シモンの歌唱によって新たな意図をもたらされている。
オリジナル・バージョンでは“The Negro”が経験した勝利を伝えることに重点が置かれていたが、ニーナ・シモンのヴォーカルからアレンジに至るまでの自然なジャジーさが彼女のテイクの核となっており、それ自体が名演となっている。
1964年のミュージカル
『ドーランの叫び、観客の匂い(The Roar of the Greasepaint – The Smell of the Crowd)』
英文版Wikipedia記事より
7月 26, 2024
ヴォーカリストのabbie k(アビー・ケイ)さんのブログ
「フィーリング・グッド」についての考察より
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