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二人のジルベルト=ジョアンとアストラッド#2ジョアン・ジルベルトを探して

#2

からの続きです。

まずは、2019年10月2日にfacebookに投降した記事よりはじめてみましょう。  ·

昨晩、新宿の映画館で観た『ジョアン・ジルベルトを探して~英語の題名は、Where are you Joao Gilberto?(直訳すれば、何処にいるの?...

Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Tuesday, October 1, 2019

2019年10月2日
昨晩、新宿の映画館で観た『ジョアン・ジルベルトを探して~英語の題名は、Where are you Joao Gilberto?(直訳すれば、何処にいるの? ジョアン・ジルベルトorz)』。

一言でいえば、まるでジグソーパズルのように様々な要素が絡まった映画でしたね。

単に、ジョアンの現在の居どころを探すというよりは、遥か遠くのドイツに住んでいた四十歳の男性マーク・フィッシャーが、約5年前に彼=ジョアンに直接会いたくて居ても立ってもいられなくなり、ブラジルに赴き、片っ端から彼の関係者に会ってジョアンに会おうとするもそれが果たせず、傷心して帰国後にその顛末を記した本を出版するも、発行される直前に何故か自殺してしまったところからこの物語が始まります。

そして、今度は、フランス出身の(ドイツとの国境付近に在住していてドイツ語にも堪能であった)音楽プロデューサー、ジョルジュ・ガショが、彼=マークがドイツ語で書いてドイツでのみ出版した本を読んで感銘を受けて、彼の“魂の軌跡”を追体験しに、そして、彼が自死を選んだ理由を探しにブラジルに旅立ちます。

したがって、主人公兼監督は、フランス人のジョルジュ・ガショですが、マークという、本の著者の独白(ドイツ人の俳優に声だけで出演してもらう。たぶん、最初は彼が主演俳優の予定だったのだが、ガショ監督からすると声だけでしかマークに成り切れず、最終的にはガショ監督自身がマークに成り替わらざるを得なかったために主演を兼ねる結果になったものと思われますが)も語られ、結果的にはドイツ語とフランス語と、ブラジル系ポルトガル語と、そして何故か、登場人物たちがコミュニケーションに詰まると、突然英語で語られますが、これが実にわかりやすい英語なのです。

まるで、ジョアンの代表的な弾き語り作品「イパネマの娘」(ヴィニシウス・ディ(ヂ)・モラウス作詞&アントニオ・カルロス・ジョビン作曲)で、一番をジョアン自身がポルトガル語で歌って、“二番(実際は、一番のポルトガル語の歌詞をそのまま英語に訳したもの)”を、彼の当時の夫人アストラッド・ジルベルトがたどたどしい英語で歌って、米国のサックス奏者スタン・ゲッツが共演して録音した楽曲を、

米国では、彼の地のディレクターかプロデューサーが、ジョアンがポルトガル語で歌ったアルバム『ゲッツ/ジルベルト』で歌われた「イパネマの娘」の1番を、恐らくジョアン本人の許諾を得ずに無断でカットして、2番でアストラッドが英語の歌詞で歌った方だけを使って、まるでアストラッドとスタンだけが共演した歌であるかのようにシングルカットして流した、ラジオ・エディット・ヴァージョンを発売したら世界中で大ヒットしたかのように。

このように、ジョアンはいつも多くの人たちに騙され、裏切られ、傷付けられ、そこに底知れぬ絶望感=サウダーヂの一面を抱いた末=すなわち人間不信の塊となったために、いつしか人とのコミュニケーションを拒絶するようになったのかもしれませんね。

しかし、この映画は、むしろマークの供養のための映画でしたね。

彼=マークが、敬虔なクリスチャン、または無神論者なのかはわかりませんが、ジョルジュ監督としては、彼の代わりにジョアンに会うことで、初めて彼が“成仏≒昇天=天国に行ける”という執念というか“妄執”、いや、映画の中でホベルト・メネスカルがいみじくもジョルジュに警告した「ジョアン・ジルベルトの呪い」に取り憑かれたのかもしれません。

私自身は、マークが自らの命を絶った理由らしきもの=まさに絶望を、ストーリーの半ばで痛感することができました。

これ以上はネタバレになるので控えますが、一方でこの映画は、ボサノヴァ入門としてもオススメできますね。

何しろ、今までは、名前でしか聞けなかった伝説のミュージシャン=作曲者が多数登場して、ボサノヴァの名曲を次々と本人自身が歌って演奏してくれるのです。

姿は現さないが(笑)、時にテレビ出演時の映像を交えながら、
「イパネマの娘」
「想いあふれて」
(シェガ・ディ(ヂ)・サウダーヂ=サウダーヂなんてたくさんだ!=英語版でジャズにアレンジされた「ノー・モア・ブルース=ブルースなんてたくさんだ!)」
「ディ(ヂ)サフィナード(調子っぱずれ=音痴)」
などのジョアン自身の弾き語りによる名曲がバックに流れるとともに、

ジョアンの2番目=最後=最愛の元・夫人=別れても好きな人で、現在でも、ジョアンからしょっちゅう電話が掛かってくる歌手のミウシャ(取材撮影後に間もなく逝去)、

さらには
ホベルト・メネスカル、
ジョアン・ドナート、
マルコス・ヴァーリ
などの
“ボサノヴァ・レジェンド”たち
が次々と登場して、
自身のヒット曲を自ら演奏しながら歌ってくれるのです♪

そして、ジョアン公認(笑)のものまね歌手、アンセル・ホシャ
(彼のお陰で、ジョアンはもうこれからは世間に顔を出さなくてもよいと考えたのでしょう(^^;)や、

ジョアンのマネージャーのオタヴィオ・テルセイロ
のお陰で、いよいよ、ジョアンの弾き語りを直接聴くことができる手はずまでを整えてくれるところまでは漕ぎ着けることができたのですが…。

また、ジョアンが大のお気に入りの料理人だけれども、作った料理(電話でオススメの料理を1時間ほど一通り聞いた後に、結局は、必ずお決まりの粗塩とペッパー添えのバター焼きステーキしか注文しないそうですが…)
の出前注文を受けて、ジョアンが住んでいる常宿のホテルの外にドア越しに顔も見ずに置いていく役割だけを担うメッセンジャーに依頼するだけで、料理する本人は一度もジョアン本人と顔を合わせたことがないという、信じられないような話を披露した料理人のガリンシャ、

定期的にジョアンのヘアをカットするのだが、絶対に居どころを教えないことで唯一信頼されている理髪師に、主演のガショ監督自らもヘアカットをしてもらいながら取材するなど、

有名無名の多士済々な人物が登場して飽きさせません。

これだけでも、観る価値、聴く価値があるというもの。

この映画を観る直前の映画評

https://m.facebootory_fbid=2971964462833249&id=100000591726100


第2回目の映画評を書いた#3へと続く。

本日はこのへんで。

#創作大賞2023

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