『ダウンタウン』から『ジギー・スターダスト』へ
6月6日は、大瀧詠一さんがプロデュースしたグループ「Sugar Babe」の二代目ベーシストで、その後は、映画配給会社の社員を経てからフランス語や英語の字幕翻訳家として活躍された寺尾次郎さんの命日です。
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当時の訃報を受けての投稿記事より
元シュガー・ベイブのベーシストで、その後は、主にフランス映画の字幕翻訳家として活躍された、寺尾次郎さんがお亡くなりになられたとのこと。
享年62歳と、そんなに歳が近かったことに驚いております。
アルバム「SONGS (シュガー・ベイヴ)」収録後に、
プロデューサーを務めた大瀧詠一氏から、「やる気があるのか?」と、ベーシストとしてのクビ宣告をされて、ミュージシャンとしての限界を悟った寺尾氏は、字幕翻訳家に転進して大活躍しました。
私の前職が、翻訳家を養成する学院や通信教育や翻訳会社そのものだったので、その業界で「ヘラルドエース広報担当の次郎さん」と親しまれてから字幕翻訳家になった寺尾次郎さんが、元シュガーベイヴのベーシストをやっていたことを知らなかった人の方が多かったようでした。
ご冥福をお祈り申しあげます
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また、6年前に開催された「デヴィッド・ボウイ・イズ」大回顧展への鑑賞に向けて、補完計画を着々と進めており、昨晩は「ジギー・スターダスト」のリバイバル上映を観たことがあり、この字幕翻訳をしたのが寺尾次郎さんでした。
https://m.facebook.com/ziggystardust.movie/
30数年振りに観ましたが、全く印象が異なりましたね。いい意味で。
前回、1980年代に、六本木の俳優座劇場で観た時は、確か字幕スーパーが付いていなくて、歌詞がほとんど理解できないまま、映像と音声のみでの鑑賞でした。
今回は、元シュガー・ベイブのメンバーにして、字幕スーパー翻訳家でミュージック・シーンに明るい寺尾次郎さんの訳が流れていたので、ストーリーやライブで演奏された歌詞の意味がよくわかりました。
1973年の製作で、当時の流行の最先端を行っていたグラムロックの最盛期、兼、終焉の訪れを告げるドキュメンタリーフィルムで、デヴィッド・ボウイ自身は、あまりに先鋭的過ぎるということで劇場公開を自ら封印し、1980年代初頭になってようやくそれを解き、我々も観れるようになったので劇場に出掛けたと記憶しています。
1980年当時は、熱狂的なデヴィッド・ボウイファンの女子と観に行って、私はそこそこのファンだったので、いつ、大ヒット曲の「スターマン」が始まるのかをひたすら待ち構えていたため、結局待ち惚けを食らいました。
が、女子は、劇中のオーディエンスの英国のファンのように完璧に陶酔した表情を浮かべていたのにショックを覚えたのを記憶しています。
今回、改めてこの映画を観て、「ジギー・スターダスト&スパイダーズ・フローム・マーズ」世界ツアーの最終公演を収録したドキュメンタリーフィルムであるとともに、完璧なライブアルバムであったことを再認識しました。
当時のライブ・レコーディング・アルバムで、世界的な評判を勝ち取ったのは、1975年に発売されたディープ・パープルの「ディープ・パープル・ライブ・イン・ジャパン:原題はMade in Japan 」でしたが、こちらは音声のみのLPレコードであったのに対して、「ジギー・スターダスト」は、音声&映像がシンクロした、完璧なライブ・レコーディング・オーディオ・ヴィジュアル作品であったところに一日の長が見られますね。
ロックのグルーヴのスゴさがわかる作品であるとだけ、最後に申し添えておきます。
#創作大賞2023