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「世界の果てはどうなっているのか」

「世界の果てはどうなっているのか」について、ちらほら見かけるので私も書いてみることにする。


世界の形状条件

仮に、世界が球ならば、どうなるだろうか?
球には表面があるので、その表面は、世界の果てであり、必ず”何か”に接する。

世界はすべてなのに、世界の表面は世界の外の何か(=無)と接してしまう。世界はすべてであるから、これは矛盾である。

この矛盾が起きないように、世界の形状は、世界以外の何かと、接しない形状になるしかない、と予想する。
シンプルに、「世界に表面はない」と表現できるかもしれない。

世界の形状は、世界自身以外のなにものとも接しない状態でなければならない」というルールが正しいとすると、世界はどんな形状を取りうるか?

世界は無限

一番簡単なのは無限だ。
世界が無限であれば、世界が世界でない何かと接することはありえない。

世界が無限であれば可能性が無限にある(ex 私が無限に存在すると考えると夜も眠れなくなる)という、アイデアも見かけるが、筆者はそうとは限らないと思う。
もちろん、可能性が無限かもしれないが。
それは、素数が例になるからだ。
素数は無限に存在することが証明されている。
無限に存在するが、どの素数もユニークで、なんでもありというわけではない。
素数が無限だからといって、ヘンテコな数が許されるわけではない。
だから、世界が無限だとしても、素数の例のように、なんでもありというわけにはいかないパターンもあるんじゃないか、ということです。

筆者がもし、世界が無限であったとき、不思議に思うのが、無限の世界は問いを投げかけることができない、ということだ。

例えば、無限の世界において、一番巨大な数値はなにか?と問うたらどうなるか。
その瞬間、世界は存在しており、無限のすべては存在しているハズである。
(無限のすべては存在しているというのが、すでに論理矛盾に陥っている?)
存在しているにもかかわらず、一番巨大な数値の答えは決して出ない。
なぜなら、無限だからだ。
これは論理的矛盾が発生しているのではなかろうか?
つまり、無限の世界において、無限の端っこを問う問いはすべて拒絶される。
これはもうインチキしているとしか思えない。
ここに、無限の世界のうさんくささがあって、筆者は無限の世界は実現しないのではないかと思う。
筆者は、無限というものは、そもそも実現できないのではないかと疑う。

世界はループ形状

世界がループしているならば、特に矛盾は筆者は感じない。
ドーナッツでもへんてこな壺でも、そういう形状ならば、そうなのだろう。
完ぺきなループが実現されているのであれば、世界に表面はないから、世界が無と接することもないし、世界は存在することが出来る。
しかし、表面が存在しない完璧なループ形状を本当に作れるのかと、疑問にも思う。

世界は有限形状

例えば、球とか、ハート形だとか、120次元の立方体とかだとする。
この場合、世界が無と接しないよう、表面をどう形成するかが問題になる。
表面のない形を作れば整合するが、かなり難しいのではなかろうか。
それか、情報が伝わるより速く膨張や収縮をして世界の表面が無と接するという事実を隠す、とか。
食べ物の「3秒ルール」のように、速く動けば「無」と接した事実は無くてセーフという思想で宇宙は膨張しているのかもしれない。

筆者の感想

私はもともと、世界は無限かもしれないと思っていました。
しかし、本記事で考察して、世界が無限であることの矛盾に気づき、無限の世界に疑問を抱くようになりました。

今ではループ形状が一番ありそうだと思っています。
もし、そうなら「世界の果てはどうなっているのか」の問いは
「世界はループ形状であり、世界の果てはそもそもない」ということになる。

残念ながら、世界の果てに、世界はここまでという看板はないかもしれない。
お読みいただき、ありがとうございました。


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