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『九十九神示』全文掲載 【祭の巻】①
2024年5月出版『九十九神示』の全文を各章ごとに掲載しています。
今回は、「祭の巻」①を掲載します。
◎祭の巻
万有括りて真釣り世開く、結びの文の「祭の巻」であるぞ。
令和六年、辰の年が御代はじめ、七年が大峠じゃと申したぞ。
四方八方に龍神様飛び交っておられること、わかる者にはわかるであろう。
大峠越せば真のミロクの世の始まりとなるが、それもこれもそなたらの身魂相応に映ること、忘れるでないぞ。天国はそなたの内側から現れるのであるぞ。
心のあり方、身魂の磨かれ方相応に映り出すのであるから、外ばかり見ておっては何もわからんことになりますぞ。
すでにうれしたのしの天国生きておる者、大勢おられるぞ。
この文書かせておる者、二十年の鬱を抜け、今は雲一つない日本晴れの心となりたぞ。
一時は無明の淵まで落ちかけたが、神との約束忘れることなく、己は何故生まれて来たか、己は何者なのかを解き明かすため、九分九厘のいよいよの苦しみの中で一心不乱に真学んだのであるぞ。
毎日死ぬることしか考えておらんかった者が、この世の苦の一切を断たんと心の天地ひっくり返し、うれしたのしのミロクの世へと至ること出来ること、その身をもって証明してみせたのぞ。
すべてと対話する心、すべてに奇跡見る心持ちて、日々感謝と感動に咽び泣いておるぞ。
この者、生きてどこまでも高みに行くこと求めておるから、ますますその道進んで行くぞ。
皆々、求めれば与えられるのじゃ。
これ、魔法でも神頼みでもなく、宇宙の働きでありますぞ。
そなたらがこれまでの世で隠され、悪用されて来た根本原理、霊主体従のお仕組みぞ。
良くも悪くも、そなたらが見ておるすべては、己自身の元なる氣によりて具現化しておるのじゃ。
分かつあやま知に囚われた身欲の心で求めるものは、常に苦しみと表裏一体の刹那的喜びとなって現れる。
御魂の喜び、宇宙の喜び願う真心で求めるものは、分かたれるものなき絶対的喜びとして現れ、ただうれしうれしとなるのじゃ。
世は地獄の断末魔となっておるが、そなたがそれを天国に祀り替えんと求めれば、どこまでも天国が展け行くのぞ。
無理に思い込み、痩我慢することではないぞ。
何もかも一つであることを知り、皆々家族であること、皆々己であることを知り、善も悪も、光も闇も、苦も楽も、自分も他人も、美しきも醜きも、皆々働き合い、助け合う神の御姿であること肚に納めて生き方と致せば、いかなる地獄も自ずと天国になり行くのであるぞ。
己の氣の周波数が変わることで、見るもの、感じるものすべてが天国的体験に書き換わるのじゃ。
今までと同じ家、同じ仕事場におっても、別の次元の家や仕事場に移るのぞ。
ミロクの世とは祭りの世であるぞ。
祭りの世とは、皆々が互いに互いを祀り合う世ということぞ。
人と人だけではない。
草木も土も、鳥も獣も、魚も虫も、石も微生物も、何もかもが互いに祀り合い、対話する世であるぞ。
雨の神と語らえば、雨降らせるぞ。
風の神と語らえば、風吹かせるぞ。
草木も喜ぶ政の世と申して来たであろう。
生命の一切が対話する世を、大和の世と申すのぞ。
生命の一切と対話する民を、大和の民と申すのぞ。
人は太古のように、霊と祀り合い、神と祀り合い、対話、交流しながら生きて行くのであるぞ。
神人共に、神霊人共にと申して来たであろう。
神は人に依りて神となり、人は神に依りて人となるのぞ。霊人も同じじゃ。
現界と霊界は共に呼応し、支え合ってこそ成り立ち、弥栄となるのが真の世。
今の世は祭りなき世、祀り合いなき世じゃ。
誰もが心の真ん中に神を祀り、身と魂の釣り合うた世を「真釣りの世」と申す。
今は悪神悪霊の道理で人心を動かし、誰もが悪の釣糸に釣られた「魔釣りの世」であるぞ。
神も仏も形ばかりの末法の世じゃ。
この地獄の世を九分九厘まで潜り抜け、陰極まりて陽と成すのが岩戸開きであるぞ。
元の元の大神の御力によりて何もかもをひっくり返し、元のはじめの「真釣りの世」に戻すのじゃ。
年に一度の祭りとは、神との祀り合いを忘れんがための日であるぞ。
神や霊に生かされておることに感謝し、日々の無礼、過ちをお詫びし、共に支え合っておることを確かめ合う日じゃ。
その日だけ祀り合うてもいかんぞ。
日々神と霊と祀り合い、天地に祀ろうて生きることが真の人の姿であるぞ。
それが出来れば祭りはいらんのぞ。
今の世はどうじゃ。年に一度の祭りすらなくなっておろうに。
残っておっても形ばかり。魂の込もっておらん祭り、日常の憂さ晴らしのための祭りばかりじゃ。由々しきことぞ。
祭りの世とは、すべてがうれしたのしとなる世。
生きるための労働も金もいらん世であるぞ。
働きたい者は、喜びのためだけに働くのじゃ。
遊びたい者は、心行くまで遊んでいられるぞ。
じゃと申して、身勝手な享楽の世ではないぞ。
皆々神の理、宇宙の摂理に則って生きる世となるから、社会の調和のため、人々の幸せのために生きるのじゃ。
世のため人のために生きることが、真の享楽となる世ぞ。
世のため人のために尽くす者だけが、政出来る世となるぞ。
自由な世と申しても、何でも好き放題に申し、致すことが自由じゃと思っておる今の世の悪自由とは違うのぞ。
厳しき秩序、厳しき法の中にこそ咲く、真の自由と喜びの世じゃ。
法と申しても、法律戒律いらんのぞ。
皆々が己で己を律すること出来る世であるぞ。
律すると申しても、我慢し、戒めることではないぞ。
身魂磨かれた者は、戒めずとも自ずと調和の心、神心で生きられるのじゃ。
変わり者はおれど、悪人おらん世ぞ。悪人住めぬ世であるぞ。
身魂相応に篩にかけられると申すこと、これでよくわかるであろう。
博打や娼妓、夜の世界もなくなるぞ。
金がなくなるから、商売も税金もなくなるぞ。
それぞれに作りたいものを作り、やりたいことをやり、それを与え合う無償奉仕の世となるのぞ。
これまでの金のため、身欲のための生業なるものはなべて必要なくなる道理、わかるであろう。
文字通り、生業なる考えがそなたらのあやま知の業であったのじゃ。
霊能力、あたりまえになるぞ。
そこかしこで天地の交信が始まるのじゃ。
人民の想念、すぐに現実となるぞ。
皆々己が神であったこと思い出すのじゃ。
悪しき想念持つ者おらんから、善きことばかり現実となりてうれしたのしじゃなあ。
半霊半物質となりて、どこでも自由に行き来する者出て来るぞ。
五感は超五感となり、見えぬ色が見え、聞こえぬ声が聞こえ始めるぞ。
人の見方も変わるぞ。
これまでのように生まれや学歴、社会的な地位や功績で人を見る者はいなくなる。
身魂が磨かれ、それぞれの本性が見え透くゆえに、人は互いを魂の輝きで認識し合い、それぞれの霊格がわかるようになる。
これまでの世ではおちぶれさせておった霊格高き者たちが、いよいよ本領を発揮する世となるぞ。
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