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『九十九神示』全文掲載 【我の巻】②

2024年5月出版『九十九神示つくもしんじ』の全文を各章ごとに掲載しています。


今回は、「われの巻」中編を掲載します。





そなたの心が悪意や自我エゴまみれておれば、その思い、感情に呼応した悪魔悪霊あくりょうを引き寄せ、そなたにかか罵詈雑言ばりぞうごんを吐かすぞ。
陰口かげぐち申して仲間を取り込み、笑顔の裏で人を騙し、方々ほうぼう不和ふわ仕掛けるぞ。
これが、そなたらの知る悪霊憑依あくりょうひょういの仕組みじゃ。
特別なことではないぞ。
ねん溜め込んでおる誰も彼もが、悪魔悪霊あくりょうに取り込まれておいでじゃ。
今の世の九分九厘くぶくりんの人民が、多かれ少なかれ低きれいの影響を受けておる。
悪の好き放題の世と申すはこのことぞ。


そなたの内にないものは呼応せんのぞ。
類は友を呼ぶ。常にその者たちはそなた自身が引き寄せておるのじゃ。
悪霊あくりょうとは言わんまでも、そなたの側には多くの晴れぬおもい抱えた霊人方、御先祖ごせんぞ様がおるのぞ。
そなたの晴れぬおもいと、その霊人方のおもいが呼応し、そなたの心、肉体を日々使っておることを知りなされよ。
これ、今の人民にとりては怪談や迷信のようなものなれど、人とれいとの根本こんぽんなるお仕組みでありますぞ。
さらに申せば、そもそもそなただけの意識というものはないのぞ。
皆々、れいの世界と呼応しながら思考を選んでおるのじゃ。


受信機であるそなた、送信機であるそなたが、何を受信し、何を送信するか、常に意識しなされよ。
いかり、悲しみ、寂しさ、ねたみ、不安恐怖、不足不満といったねん、あるいは支配欲、名誉欲、所有欲、勝負欲、金やいろへの過剰な身欲みよくを送信し続けておれば、それを受信し、われわれもと同じおもい持った霊人、邪霊、いくらでも寄って来るのであるぞ。
おのれの思考、おのれの言葉と思えども、知らん霊人の野次やじであること多いぞ。


変換装置であるそなた、増幅装置であるそなたが、何を変換し、何を増幅するか、常に意識しなされよ。
この地の低き波動、けがれた波動を高き波動に、光の波動に変換するのがそなたらの御役目おやくめぞ。
けがれとは氣枯けがれであるぞ。神のが枯れておることぞ。
神のとは喜びじゃ。
そなたらが日々笑い、楽しみ、喜んでおるだけで、良きが増幅され、そなたらのおる地やそこに繋がっておる世界の地、幽界ゆうかい霊界れいかい神界しんかいの地、そしてそなたに連なり関わる霊人方の心が、良き波動、高き波動で満たされて行くのぞ。
それが変換装置、増幅装置ということじゃ。
しかし、ほとんどの人民がその道理をわからんから、多くの者がただ低き波動にまれるばかり、氣枯けがれた波動、氣枯けがれたおもいを受信し続け、送信し続け、ますます心身を病み、苦しくなるばかりの世となっておる。


まずは自分という存在が、自分一人のものではないことを知りなされ。
宇宙万物と繋がり、元なる神と繋がり、縁あるれいたちと常に繋がり、呼応しておることを知りなされ。
そして、そなたが発信するおもいの波動に応じた者たちが、良くも悪くもそなたの心と肉体を頼りにしておることを知りなされ。
そうして互いに影響を与え合い、支え合って生きておるということ、いつも心にとどめなされよ。


そなたが良き波動、良きおもいを発信することによって、そなたに関わる多くの御霊みたまがその波動を受け、皆々良きように変わって行くこと、理解してくだされ。
そなたがねんに囚われなくなれば、ねん持った霊人方もそなたにいておること出来なくなるのじゃ。
横が様々なる他者との繋がりなれば、縦は様々なる自分との繋がりであるぞ。
日々そなたの思考の選択、感情の選択によりて、無限の高き自分と呼応し、無限の低き自分とも呼応するのぞ。
そなたが何事なにごとも前向きに捉え、毎日を笑い、喜び、感謝と共に生きておれば、愛と調和に生きておる高き自分、高き霊人方と繋がり、守護いただけるのであるぞ。


この世の物理現象や、人間関係の波動も同じじゃ。
霊主体従れいしゅたいじゅう、すべてはが元じゃと申して来たであろう。
目に見えぬが、目に見える世界を映しておるのぞ。
そなたののありように応じて、人生はいかようにも変わって行くのであるぞ。
皆々同じ世界を見ておるわけではないのぞ。
人類、民族、国、家族なる共同体は、集合意識として同じ現実を共有してはおるが、同じ現実を地獄と見るか天国と見るかは、一人一人おのれの内なるが決めておるのじゃ。
とはおもいであるぞ。感情であるぞ。
考え方、捉え方であるぞ。
この道理、大事大事であるから、片時かたときも忘れてはならんぞ。


波動の高い低い、善悪ではないぞ。
性質の違いを申しておるのじゃ。
高いには高い学びがあり、低いには低い学びがあるのぞ。
低い学び尊いぞ。
例えて申せば、今の世は地獄の世の下から二段目。
大峠おおとうげとなればさらに一段下に下がるぞ。
低い学び、底の底まで終えたそなたらは、まこと尊い御魂みたまらでありますのぞ。


日毎夜毎ひごとよごとおのれの内から湧き出るおもいを観察し、ねんまれぬよう、揺さぶられぬよう精進しょうじん致してくだされよ。
それがこののち、最も肝腎かんじんとなる身魂みたま磨きのぎょうであるぞ。
身魂みたま磨き、身魂みたま磨きと百万遍ひゃくまんべん申して来たのはそのことであるぞ。
心の掃除洗濯であるぞ。
肉のうつわに神のたま入れ直すことぞ。
影なく澄んだ真心まごころとなることぞ。
心の裏表うらおもて八方美人はっぽうびじんなく致すことぞ。
こころくちぎょう三事みこと揃えて神のみこと御子みこ)となることぞ。



『九十九神示』は以下ページにて販売中です。
(*書籍版はnote 掲載版より細かにルビを振っており、紙サイズ、文字サイズ共に大きく読みやすくなっています)
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