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『九十九神示』全文掲載 【神の巻】①
2024年5月出版『九十九神示』の全文を各章ごとに掲載しています。
今回は、「神の巻」前編を掲載します。
◎神の巻
己の神を問い正す「神の巻」であるぞ。
そなたの心の内には、信じる神がいるはずじゃ。
心に何らかの神を持たぬ者、この文を読むことはないからじゃ。
世界中の人民が何らかの宗教や信仰を持っておる。
宗教や神の名を持たずとも、心の中に「良心」を持っておろう。
それが本来の神じゃ。内なる神と申すであろう。
しかし、殆どの人民が神を外に追いやっておる。
神を自分の外側や、天の上にいる者として、懸命に神棚や仏像に手を合わせ、上ばかり仰いで祈っておる。
多くの人民が、「神」とは何者であるかを顧みることなく、ただ宗教や土地の風習に従うまま、想像上の「神」を拝んでおいでじゃ。
絶対であると信じ、日々拝んでおる神の姿が、あやふやであってはならんのう。
己拝んでおる神、何者であるかしっかり審神せねばなりませぬぞ。
審神審神と申して来たが、審神とはそなたに憑る神や霊のみならず、そなた自身が縋っておる神の本性を見極めることでもあるぞ。
宗教の世は終わりじゃとくどう伝えて来たが、人民なかなか宗教手放せんから、今一度申すぞ。
神様が救ってくださる、仏様が救ってくださる、キリストが救ってくださると言い続け、どうじゃ、世界は平和になっておるかのう。
そなたの心は天国になっておるか?
同じ神二つあると申しておろう。
一つは真の神の御子らが説いた正しき教えであるが、もう一つは悪神悪霊が善の仮面被り、もっともらしい方便で捻じ曲げた偽りの教えじゃ。
人民の信心、良心を巧みに使い、深き罪悪感を植え付けては喜びを抑圧し、従わなければ地獄に堕ちると脅して、そなたらを不安恐怖に縛り付けておく仕組みを作ったのであるぞ。
宗教の教理教典、どれを見てもさっぱりわからんのう。
どれもこれもしち難しく複雑に致し、ごちゃまぜに致し、人民には何が何だかわからんように致して、牧師坊主にそれらしい説教させては、皆々説き伏せて参ったのじゃ。
学なき人民にはようわからんから、有難い有難いと従うしかあるまいのう。
学の世は終わりじゃと申して来たぞ。
それもこれも、神の理を勉学にしたからこうなったのじゃ。
そなたらの遠い御先祖様、神学や宗教持たずとも、そなたら以上に神の理知っておったぞ。
神の理に勉学いらんのじゃ。
いくら読んでもわからぬぶ厚い聖典いらんのぞ。
赤子にでもわかるのが真の神の教えじゃ。
教えと申せど、押し付けがましい説法説教ではないのぞ。
読み書き算盤でもないのぞ。
草木、獣、魚、虫けら見てみなされ。
天地自然の営み、季節、星々の巡り見てみなされ。
勉学出来んでも、皆々神の理に従っておいでじゃ。
神の理、神の教えとは、そなたらが申す自然の摂理そのもののことぞ。
自然の摂理に従う心あれば、宗教いらんのぞ。
天仰いで拝む神も、神棚も仏像もいらんのぞ。
じゃと申して、宗教には宗教の御役目もある。
縁ある者を引き寄せ、類魂の者らで神の御用を致すのじゃ。
されど、宗教にも真の宗教と悪の宗教とあり、真の宗教であっても悪霊に乗っ取られ、おかしなことになっておるものも山ほどあるぞ。
ミロクの世とは真の神代。
神代とは誰もが内なる神と一体になり、神人として生きる世じゃ。
教祖様が上に立ち、迷える人民を束ねる宗教の世は終わりであるぞ。
一人一人が己で宗教終わらせねば、いつまでも人を頼り、教祖を探し、外ばかり見ては己に神宿らぬ木偶の坊のままで終わってしまうぞ。
人は「霊止」であるぞ。
神籬であるぞ。神の宿り木じゃ。
身体に霊入れよ、◯に丶入れよと申して来たのは、そなたらの身魂の中心に真の神を祀り直せということであるぞ。
九分九厘まで悪の世に魅入られた身魂を、一厘の神心で洗濯致せということぞ。
真の神とは何であるか、各々よくよく審神し直せということであるぞ。
さらに事分け、神の概念を申すぞ。
神に概念などないのであるが、そなたらにわかりやすいように申すのぞ。
そなたら拝む「神様」とは何者か、これで整理しなされよ。
まず、神とは宇宙万物を生みし御心のことを申す。
はじめに「無」の神ありて、「無」の神の御身体として、そなたらの生きる「有」の神、万有の宇宙が現れておるのじゃ。
この方、「有」の神であるぞ。
大宇宙取り仕切る、大宇大神大霊団じゃ。
「無」の神の御心そのものでもあるぞ。
大霊団と申すは、人民申すところの御役所のようなものぞ。
宇宙万物は元なる神の身々分け、それぞれにちぎって現れておるから、生きとし生けるすべてのものは大神様の分御霊であるのじゃ。
すなわちそなたらをはじめ、どんな生き物も、どんな小さな虫も微生物でさえも、宇宙そのものであり、神そのものであるのぞ。
海や山の世界も、人民の身体も、皆々小宇宙になっておろう。
あらゆるところ、あらゆるものに宇宙が宿り、神が宿り、一つ一つの小さな雛型に宿った神が、有限の器を通して無限の可能性を見出すことで、存在の喜びをより深く、より多様に感受しておるのじゃ。
宇宙万物は対比対照によりて弥栄となる。
弥栄とは、元なる神の御霊が対比対照に分かたれ、再び和する喜びぞ。分離と統合ぞ。
無から有が生まれ、有が無へと帰する無限の循環が、宇宙の大いなる営みにして、神の呼吸であるのぞ。
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(*書籍版はnote 掲載版より細かにルビを振っており、紙サイズ、文字サイズ共に大きく読みやすくなっています)
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