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『九十九神示』全文掲載 【祭の巻】④
2024年5月出版『九十九神示』の全文を各章ごとに掲載しています。
今回は、「祭の巻」④を掲載します。
此度の歴史におけるはじめの受肉は二回ぞ。
最初はスメラの民、次はユツタ(元なるユダヤ)の民、どちらもやまとの御魂を持った元なる民であったが、それぞれに日と月、天と地、真釣りと魔釣りの表裏の御役目があったのぞ。
十二支族とは日の本を出たユツタの民の末裔のことじゃ。
そこに後からやって来た星々の民が交わり、夜の巡りの中で人民の意識は眠って行った。
悪に厳しき元の親神をうっとうしく思い始めた人民は、神を丑寅(東北)の方角に追いやり、忌むべき鬼門と致した。これが艮の金神なる由来ぞ。
艮は表鬼門、坤は裏鬼門、日の本の外と内とにそれぞれあり、世界における艮とは海の結界に囲まれし日本列島そのものであり、坤はイスラエルぞ。
艮に封じられしは厳霊(男神)、坤に封じられしは瑞霊(女神)であるぞ。
かようにしてそなたらは真の神を恐ろしい鬼じゃ、祟り神じゃと申して遠ざけ、悪神を祀った人間中心の世界を創って参ったのじゃ。
これが今今のそなたらに繋がっておる歴史の始まりであるぞ。
人間の歴史は一つではないぞ。
人の借金、国の借金あれば、時代時代の借金もあるのぞ。
銀河星々にも巡りあると申しておろう。
文明もまた死に変わり生き変わり致して、過去六度の世の開闢を経て、此度の最後の禊の時を迎えておるのじゃ。
過去の文明で信仰されておった太陽神とは皆、天照様のことぞ。
されど、天照様とは今の人民が思うておるより大き大き神様であるのぞ。
伊邪那岐大神、伊邪那美大神の御二神にて生み給いし大神、親より大き親神様であられますぞ。
此度の歴史の岩戸閉め、五回あったと申してあるぞ。
過去の岩戸開きは、騙した神と申してあろう。
ゆえに偽の神、嘘の神名、真わからぬ隠蔽の神話となりておったのぞ。
此度の最後の最後の岩戸開きは、真の天照様の大稜威輝く世となるのであるから、嘘偽りは通らんぞ。
何もかも暴かれ明かされ、澄み切り渡る真の御代となるのじゃ。
伊邪那岐大神の御一柱でお生みなされた神々は別の神、片端の神ぞ。
大宇宙の根源にしてすべての神の帰一せるを天之御中主大神と申し、伊邪那岐大神、伊邪那美大神の御二柱より生れし貴神とは、此度の大き神仕組みを元より構う真の天照様とこの方であり、智慧の火の神と、知恵の火の神ぞ。
愛の神と学の神。氣の神と意思の神。
元なる火(霊)の神、水(身)の神であるぞ。
その祖神を高皇産霊大神、神皇産霊大神と申し、神漏岐命と神漏美命、天照国照大神と豊宇氣大神とも申すぞ。
天の神、地の神でもあり、陰の神、陽の神、日の神、月の神でもあり、はたまた男の神、女の神とも申されるぞ。
陰陽と申しても、人民の思う陰陽ではないぞ。
そなたらの申す陰陽は、取り違えの陰陽して、逆さまの陰陽でありたのぞ。
真の陰陽とは、暗い明るいのことではないぞ。
縦なる火と、横なる水の働きのことを申すのじゃ。
裏と表であり、無と有とも申されるぞ。
裏で支える火(霊)の働きを真の陰と申し、表で現す水(身)の働きを真の陽と申すぞ。
ゆえにそなたらが長らく天と申して来たのは、その実陰の御役目であり、地と申して来たのが陽の御役目のことであるのぞ。
陰陽とは申せど、陽陰とは申さぬであろうがな。
陰主陽従の真が、陽主陰従となりておったのぞ。
働きの真は陰主陽従、性質の真は陽主陰従であるぞ。
男神女神と申しても、人民の申す男と女でもなく、男なれば陽、女なれば陰でもないぞ。
神に性別ないことわかるであろうに。
何事も組み組みて成りておると申しておろうに。
男の魂は女、女の魂は男と申して来たのもそのことであるぞ。
天照様は男神じゃと申して囚われておる者たち、悪に魅入られておることに気付けよ。
闇に堕ち、封印されしは女の道であるぞ。真の陽であるぞ。
男は性質こそ陽なれど働きは陰、女は性質こそ陰なれど働きは陽であるから、此度の立替えで天の守護は元なる陰(裏)に収まり、地の守護は元なる陽(表)に収まるゆえに、男が裏、女が表の正位の世となるのであるぞ。
日の御代から月の御代と申して来たのはそのことぞ。
大き目で見れば真の日の御代、日月一如の御代となるのぞ。
そうして真の火と水、真の陰陽、真の男性性と女性性を組み組み直して一つに結び、元なるはじめの御代にお戻し致すのじゃ。
何故男が生命の種を植え、女が産み現し給うか、これでよくわかりたであろうに。
取り違えの夫婦の道を正すのであるから、ミロクの神のお示しは女であるぞ。女神であるぞ。
女が喜ぶと書いてうれしうれし(嬉し嬉し)であろうがな。
このこと、よく心得て国造り致してくだされよ。
日月一如とは、さらに申せば日月地一如ぞ。神幽現ぞ。
3が基と申しておるのは、火水二元の和合の3であり、それを取り持つ三位の働きのことであるぞ。「王」であるぞ。
そなたらの身体で申せば、心、口、行の三事のことぞ。
三事揃えて「尊」(神の御子)となるのぞ。
口ばかりではならん、思うのみでもならん、生き方に致せと申すはそのことぞ。
この立替え立直しに関わっておられる大神様、「大日月地大神」として篤く祀りてくだされよ。
大宇宙の元の元なる大霊団のことぞ。
「大日月地大神様、祓いたまえ浄めたまえ、守りたまえ導きたまえ」と日毎宣りてくだされよ。
大神が守護致し、そこいらのちょろこい邪霊は手出し出来なくなりますぞ。
昼の神も夜の神も、大切な大切な御役目であるのぞ。
夜の神が悪ではないのぞ。
月読大神様もこの方の中におられる神、密やかに密やかにそなたらお見守りくださる尊き御神様であるぞ。
これから元のお働きなさるのぞ。
日と月と地と、共々大事に祀り合わせて日々拝んでくだされよ。
唯物主義の極まりて、節分の煎り豆に花咲く時来る。
世は丑寅の刻過ぎて、白雪のごとき八九十(白兎)跳ねれば、御代のはじめの朝焼けを辰立ちて知らすなり。
辰、天昇りて地駆けて、生まれ巡りて神代の巳へと帰るなり。
地の大神のいよよ出座の晴れ舞台。
六甲おろしに白山おろし、起きよ起きよと五六七を告げる春一番。
いろはにほへとちりぬるを。
氣と身と元の一つに治まりて、真のキミが代と相成った。
火と水と元の一つに治まりて、真の火水の素型(姿)と相成った。
天なる鶴と地なる亀と一つに統べり、二二の苦(九)の花一と咲かして鳥(十理)となり、御霊の旅路果てなむ時となる。
梅は先駆け、桃成る御代の桃源郷。
皆々うれしたのしとなり、元つ祖神の御胸に抱かれる。
令和とは霊和なり。◯となりて◯して治まる真の神代。
三千世界の大政奉還、ここに相成れば、大調和は大大調和、大弥栄は大大弥栄、大歓喜は大大歓喜と成り成りて止むことなし。
千早振るひふみの神の生れ出づる無有の元に立てる人神。
天の日月の神、人民皆々に感謝申し奉る。
現神代、地の日月の神々、千代に八千代に弥栄えまさむ。
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