僕は透明人間さ
きっと透けてしまう
同じひとには判る
学生の頃はクラスで変に目立ってしまうなら、透明人間でいいやって思っていました。
いても居なくても変わらない存在でいいやって。
でも最近はワガママになってしまって、そこにいるのに存在を認知してもらえていないのが寂しく思うようになりました。
とはいえムードメーカーでも面白い話が出来るわけでもなく。昔からイベントや飲み会では影が薄くて、大人数であればあるほど最終的には1人でこっそりしています。再開したときに覚えられている確率はだいぶ低くて。
それでも最近は「旅が好きな〇〇さん」「きな粉が好きな〇〇さん」とちょっぴりとだけ覚えてもらえるようになった気がします。
もはや「きな粉ちゃん」と言ってもらえることもあり実は嬉しいです。
これまでは学生やサラリーマンとしての外から見た自分しかいませんでした。
今は好きだと言えるものができて、外へ伝えられる自分がいます。そうなってから、個として認識してもらえるようになってきたかなと。
好きな度合いを人と比較しがちてすが、少しでも好きなら好きって言いたい。人に言ったらバカにされるかもって恥ずかしがっていないで胸を張っていきたい。
きっと言ったもん勝ちなんだなって思います。自分で作ってしまっている壁をぶち破って、言葉にできる勇気があるかどうか。
言葉にするのは苦手だけれど、自分の好きを主張したらもっと多くの人に会えるはず。その分、誰かの好きなものたくさん知ることができるはず。
それなら、何も知らず透明なままでいなくていいや。たくさん寄り道して、転んで転んで転がり回って濁っていきたい。
誰かに自分の存在を認識してもらえるって嬉しいし、すごいことです。さらに2度・3度と会ってくれるなんて感謝の気持ちでいっぱいです。
そんな人たちと知り合いたいし、相手自身を深く知りたい。
そう、だから。
またあなたに逢えるのを楽しみに待って
さようなら
(歌詞は東京事変『透明人間』からお借りしました)
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