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『「スーパーマリオブラザーズ」の音楽革命』を読む

“スーパーマリオブラザーズの音楽”を頭の中で想像する。

タラッタ、タラッター♪

ほとんどすべての人が同じメロディを脳内で奏でているだろう。マリオの音楽はそういうものなのだ。これはすごいことや。ほんで音楽的にもすごいんや。なにがすごいんか。ワイが解説していくで。

『「スーパーマリオブラザーズ」の音楽革命』(DU BOOKS)はそんな一冊である。

筆者のアンドリュー・シャルトマンはクラシック音楽の研究者。したがって、マリオのすごさを語っていくうえでのベースは「楽理」となる。

1拍目で、近藤はゲーム音楽というよりもジャズの名曲やドビュッシーの前奏曲のような和音を鳴らす。通常の三和音(D-F#-A/レファ♯ラなど)とは違い、ナインスコード(五和音)は三和音の雪だるまの上に3度ずつ離れた音を2個積み上げたものだ。

こんな具合で、楽譜、そして音楽の専門用語が駆使されながら、スーパーマリオブラザーズの作曲を担当した近藤浩治が、いかなる工夫を施していたのかが詳らかにされていく。

とはいえ、三和音? ナインスコード? 3度? これはなかなかワケがわからんぞ……音楽の成績がひどく悪かった俺以外にも、そう感じる人はきっと少なくないだろう。しかし、「(ファミコンの音に似た)エレクトーンの教室に幼少期から通っていた」「(デモテープなしで)任天堂に面接で採用された」といった近藤浩治の個人史や、当時のゲーム製作の背景に関する話題など、トリビア的な内容が散りばめられていることもあり、一般読者でも意外にも易々読み進められる。

音楽の専門的な話も--専門用語が頻出する箇所を除けば--なるべく噛み砕こうと腐心しているさまがうかがえる。例えば、クラシックの一ジャンルである「ワルツ」を換骨奪胎させてつくりあげられた水中BGMのについての記述はこうだ。

モーリス・ラヴェルは、ワルツによる表現に新たな可能性をもたらした先駆的な作曲家のひとりだった。歴史家のカール・E・ショースキーは「第一次大戦が終結したころ、モーリス・ラヴェルはその『ラ・ヴァルス』の中で、19世紀世界の非業の死の記録を留めた。長い間陽気なウィーンの象徴だったワルツは。この作曲家の手にかかると狂った死の舞踏となった」と記している。
ただ伝統に歯向かうだけでなく、ラヴェルは音楽的な批評精神を持って、ワルツというジャンルに新しい芸術の地平を切り拓いたのだ。

ワルツは特定の文化に強く根ざしているものの、ワルツという音楽の意味合いは、さまざまな作曲家によって繰り返し再創造されてきたという点だ--それは、クラシックの作曲家に限らない。
近藤がワルツに8ビットの服を着せたとき、彼はただゲーム音楽を18世紀ヨーロッパに由来する文化と結びつけただけではなかった。その結びつきをさらに深め、新しい音楽領域にまで広げていったのだ。

専門“用語”が頻出する箇所は読み飛ばしながら、その前後の噛み砕かれた専門“的な話”を読んでいく。そうするうちに、なんだか音楽全般に知悉してきているような気すらしてくる。

無論、音楽の基礎知識を携えている人は、はるかに知的かつエキサイティングに読めるのだろう。俺は自分の学の無さを恨むばかりである。どんなオチだ。とはいえ、俺の感想としてはそんなところ。以上。

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