小学生の我が子が不登校になると、ワーママはどうなるか
私、自分では自分のことを相当なダメ子だと思って諦めつつ認めているのですが、どうも人から見ると、完璧主義で頑張りすぎな奴のようなのです。
できないのに、自分に対して求めるレベルが高すぎるヤツです。
いやですね~
なんとか自分にOK出しをしたい、ラクになりたい、肩の力を抜きたい、と思うのですが、それがとっても難しい。
ラクになろうとがんばっちゃう、みたいな、変な力みが特技です。
子育てしながら働くペースを、やっとつかんだところだったのに
そういう「完璧主義」「頑張りすぎ」「力んでる」自分を認識し始めたのは、子育てをしながら働く中で、でした。
それまでは、自分の好きなように仕事に没頭すればよかったし、時代的にもまだ、長時間労働が美徳でしたよね、10年前って。
自分の理想を自分のペースで追えばよかったわけです。
子どもがいながら働くとなると、
自分の理想 → 現実とのギャップがエンジェルフォール(落差979m)
自分のペース → これまでとの差が競走馬とカタツムリくらい(時速差60㎞以上)
自分の仕事も、日常生活も、まったくの別物として捉えないとならなくなりました。
「完璧主義」「頑張りすぎ」「力みすぎ」だと、心身のバランスが保てないな、と気が付いたのです。
長男の育休明けから早9年。
上記のような変化にも順応し、自分の考え方が変わり感じ方も変わり…子どもたちの成長と共にだんだんと「自分の理想に向かって自分のペースで」をいまのこの状況なりにできるようになっていました。
次男が小学校に上がって時短が終わり、業務の量も幅もセーブしないでよくなって、思い切り走るようになっていたとき、突然、本当に青天の霹靂的に滝つぼに落とされ、カタツムリの後ろを歩くような状況になったわけです。
ハイ、自己中な母です。
当初は、次男を責めました。心の中で。
どうしてくれんのよ、仕事。
立場無いんですけど。
超メイワクかけるんですけど、いろんな人に。
そういう気持ちが、「なんとか学校にいかせないと」という焦りに直結していました。
次男にとって、学校がどんな場所なのかとか、学校にいけないって、どういうことなのかとか、考えていなかったです、私。
自分の都合だけで、「学校行ってくれよ」と思っていました。
親が行き渋る子どもを学校に行かせようとするのって、いくつか理由があるみたいなんですけど、例えば
①勉強についていけなくなるんじゃないか
②なまけ癖がつくんじゃないか
③体裁が悪い
④とにかく学校にはいくもんだ
みたいな。
私の場合、
⑤学校に行ってくれないと仕事にいけないだろ!
だったんですね。
自分の都合、自分の「やりたいこと」のために子どもの行動をコントロールしようとしていました。
仕事よりなにより、我が子の心身の健康じゃね?!と気づいたら
まあ、途中で「ハッ」と気がついて、方向転換したんで今は楽しい不登校しているんですが、かなり危なかったですね…
あのまま、「学校行かないなら、行かないで勝手にしなさい。母は仕事に行ってきます」になってたら、どういう展開だったのかと想像すると…
どうなんでしょうね、少なくとも、フリースクールに行かせてはあげられてないので、今みたいな溌剌とした笑顔はなかったのではないかと思います。
次男がフリースクールで体験している「畑」とか「プレゼンテーション」とか「異年齢の外遊び」とか、
学校とは違うスタイルの「勉強」とか、写真をお見せできないのが本当に残念!なくらい、素晴らしい笑顔の毎日なの!!
次男を無理に学校に行かせ続けなくて、よかった、と今は思っています。
どういうタイミングで「ハッ」と気が付いたのかは、こちらのnoteに書きましたので、よかったら。
私のキャリアがどうとか、仕事への責任とか、周りに迷惑かけるなぁ、とか、そんなことより、我が子がぶっ壊れる前に、いま立ち止まらずにいつ立ち止まるのだ!となったわけです。
シフトチェンジを決めたら、もう次にどうすべきかは、フツーに考えたら思いつくようなことしかしてません。
●上司に現状を伝え、働き方の相談をする
●チームに現状を伝え、仕事のやりくりを差配する
●経済的にどのくらいまでどんなチェンジを我が家は受け入れられるのかを試算する
●夫とプランを擦り合わせる
●長男、祖父母にコンセンサスをとる
●学校と当面の過ごし方の相談をする
●フリースクールと当面の通い方を相談する
やったのは、そんなことくらいかと思います。
せっかちだから、あんまり考えもせずにとりあえず、周りに助けを求めて、みんなが協力してくれると信じて、相手にとってもいいようにしてもらうことを頑張った感じです。
本当はもっと、ちゃんと情報収集したり根回ししたり、した方がいいようなこともあったのだと思うのですが、その余裕は、なかったですね。
でも、こういうピンチのときにつくづく思い知るのですが、結局助けてくれる人がどのくらい周りにいてくれるか、というのが運命の別れ道だということです。
心からありがたいことに、職場でも、学校でも、フリースクールでも、もちろん家族内でも、みんなが口を揃えて言ってくれたのが、「次男くんのために一番いいと思うことをしてあげてください/してあげましょう」という言葉でした。
そしてそのやり方は、私の信じるようにやるのを、応援してくれるスタンスでした。
母、責任重大〜!って、押しつぶされそうになった数日間もありましたが、けっこう早期に「これだね、いまのベストは」という道が見つかり、それをみんなに応援してもらえるのは、心強くて、感謝でいっぱいです。
自分にとって「仕事ってなにか」の変化もある
働き方が変わった、というか変えざるを得ない今、「自分の仕事って会社にどう貢献できてるのか?もっと効率あげるには?」とか、「チームの中で私がすべきことは?」とか、育休明けで職場復帰したときみたいに、また真剣に考えさせられる日々です。
子どもがこんな状況だから、しょうがないじゃないですか、とか開き直ってわがままな働き方をさせてもらってますが、だからと言って、「それはできない、そこまでやれない」とか言ったら、みんなに申し訳ない、そんな自分情けないという気持ちがあります。
なかなか難しいことだけど、物理的な迷惑をかけている分、成果は落とせないですよね。
(いや、落ちてると思うけど!)
働き方の変化があるたびに、自分の仕事の意味、他の人じゃなくて自分がココでこの仕事してる価値、とかって考えました。
時間的物理的な制約があるなかでどうやっていこうかって、試行錯誤し続けて数年…
なんとか自分で自分にOKだせるところまで、やれるようになってた時に、足元掬われた感じでしたが、これはまた成長のチャンスだと捉えて、自分の仕事を磨いていかねばと思っています。
(精神論だけじゃなくて、ちゃんと結果が伴わないと単なる「がんばってるのに」と同情求めるイタい人ですけどね…)
今回、公立の小学校からフリースクール(というかオルタナティブスクール)に乗り換えるためには、経済的な負担も大きくて。
それを受け入れられるのも、ダブルインカムだから、というのは大きいと思います。
私の稼ぎがいまの半分だったら、絶対にフリースクールは無理でした。
フリースクールですが、フリー(無料)ではないです!
日本では、自由や選択の幅のためには、ある程度の経済力がないといかんのだと痛感しています。
だからこそ、働いててよかったし、これからもある程度の収入を得られる仕事を続けにゃ!と強く思います。
今まで、あんまり自分の仕事を家計の面から必要なこととして捉えていなかったけど、改めて「働いて対価を得る」価値がわかりました(社会人20年目にしてやっと)。
だから、仕事はやめられない。やめないで働き続けられる世の中、求む。
ということで、タイトルの「小学生の我が子が不登校になると、ワーママはどうなるか」にたいする答えは、
「やっぱり仕事はやめられない」
です。
経済的にも、精神的にも、そして私にとっては人との繋がり的にも、仕事をしないで子どもに専念するのはできなそうです。
続けさせてもらえる限りは、今の会社で頑張るし、いまの会社にこれ以上迷惑かけられないところまで来たとしても、仕事はし続けると思います。
👆とね、思うんですけど、
私はまだ、子どもがそこまでヘビーに落ち込んだり、生活面で私の力を必要としていないので、働き続けていられるのですが、これは非常に恵まれていることなんですよね。
もし、子どもにもっとサポートが必要だったら、きっと泣く泣くやめるしかなくなると思います。
そうなると、経済的な理由から、子どもへのサポートを選択するにも制限が出ます。
有料のフリースクールはムリだねとか、私立の学校はムリだねとか、家庭教師や塾もムリだね、このICT教育サービスはムリだね…ってなっていく。
経済的に外に助けを求めるのはムリだから、母親は働けない。
働けないから、ますます選択肢が狭まる…
という悪循環が起こります。
きっと、そういうご家庭もあると思うのです。
でもそれって、変ですよね。
日本には「義務教育」があるのに、その義務教育を親の負担なく受けさせるためには、公立の学校に行かせるというワンチョイスしかないんですよね。
んで、その公立の小学校って、けっこうに相当な画一的な場で、その場にハマれない子は意外と多く(2019年度 小学生の不登校 5万3350人、中学校12万7922人)、コロナ禍で更に増えていると言われています。
自分が当事者にならないと、気が付かない、世の中の「アレレ?」なこと。
この18万人の学校に行ってない子たちのお父さんお母さんは、就労状況どうなんでしょうね?
保育園増やすのに加えて、画一的な大人数の学習の場に合わない子たちの学びの場、居場所をつくることが、女性の労働力確保のためには必要じゃないかと、思います。
あ、ここまで書いてきて今更ですが一言お断りしておきますと、
「誰しもが外で働かないといけない」という意図はありません。
個人的に私は働き続けたいと願っているので、その立場で書いてきました。
子どもと近くで過ごすことを選択されているご家庭がたくさんたくさんあるのは理解していますし、長期スパンで経済的な計画を立ててホームスクーリングをされているご家庭があるのも、羨ましい、素敵だと思っています。
それぞれのご家庭の選択が、経済的理由で狭められることのないようにするには、働く必要がある人が働き続けられる仕組みがほしいよ、ということです。
長くなりましたが、最後まで読んでくださって、ありがとうございました!!
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